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少年時代

少年の一日は、狭い事務所内の総点検から始まる。

活動時間を迎えるや、入り口の扉前から台所、ソファの汚れにガラスの曇り、果ては所長席の椅子がまっすぐ前を向いているかまでをも、ひとつ残らずチェックしていく。半ば閉鎖しているのに近い零細事務所とはいえ、一応の始業時間がある為、それまではなるべく音を立てないようにそろそろと、かつてきぱきと。

掃除は少年自身が毎日行っており、昨晩からたかが10時間未満しか経過していないのだから、変化など起きている訳がない。それでも少年は、この日課を欠かさなかった。これが今の自分の存在意義なのだとでも言うように。


「毎朝毎朝ご苦労な事さね」


そんな少年よりも朝の早いカーラが、止めるでもなく労うでもなく手伝うでもなく呟く。さすがに生粋のカラスに早起きでは勝てず、そこは無理に張り合う所でもない。

てきぱきと動き回る小さな背中を尻目に、カーラは大きく嘴を開いてやる気のない欠伸を漏らした。あとは何をするでもなく、ぼんやりとブラインドの降りたままの窓を見ている。






やがてのっそりと部屋から這い出してきた真神が席につくのと同時に、業務開始となる。この頃には西園寺も現れていた。意外にも彼はそこまで早い時間から活動を開始しない。といっても、皆から見えない場所で何をしているのかは分かったものではないが。

椅子に座って虚空を睨む事を己の仕事だと考えているような真神の前に、少年が淹れたての緑茶を置いた。次にカーラ。最後に西園寺と同じ物を出して、彼の朝の仕事は終わる。

朝一番での一服は紅茶の事もあればコーヒーの事もあり、何が出てくるかはその時の事務所台所の在庫と、彼の気分次第である。センスが問われる、とも言われる。食事に該当するものは出ない。食わずとも死なない死神にとって食はあくまで嗜好品であり、余程恵まれている事務所ならともかく、ここ以外の大概の事務所でもこんなものだった。

あとは、カーラが億劫そうに午前中の仕事に出ていくのを見送ってから事務所内の掃除に取り掛かるのが、ずっと続いてきた次の流れだったのだが、最近になって見送る対象に西園寺が追加された。

正式に認められるのはまだ先とはいえ、彼は正規の死神である。

よって今からカーラの仕事のやり方を見て、学んでおく必要があるのだ――と本人は強固に主張している。真神は一貫して何もするなと命じており、初日に盛大なトラブルを起こしたカーラも相当嫌がっていたが、他人が何を言おうと気にするような性格の男ではない。


ふたりが出ていき、事務所には真神と少年が残された。

この光景だけは、少年が配属された時から変わらない。


「じゃあ真神所長、ボク、お掃除を始めますね!」


煩わしげにひと睨みしてくる真神に、すみませんと謝ってから少年は掃除道具置き場に向かう。毎日2回の掃除。これといって汚れていない、汚れている訳もない室内を、少年は手を抜かず拭いていく。西園寺に丁寧な働きぶりを褒められているからか、雑巾を絞る手付きには殊更熱が入っていた。

そうだ、今日は食器を磨こう。






ひと通り朝の掃除が終わってしまうと、候補生である少年に出来る仕事は何もなくなる。もともとこの事務所に割り当てられた仕事自体がやってもやらなくても支障がないようなものであって、となれば当然、他の事務所で行われているようなまともな業務をこなしながらの教育は望めない。そもそも、事務所に残っている唯一の死神である真神に部下を教育する気が一切無いときている。

だからこれまで少年がしてきた事といえば、真神の邪魔にならないようソファに座って静かにしているか、丁度この辺りで帰ってくるカーラにお茶を出すくらいだった。

カーラが昼の休憩で事務所に留まっている間は、話し相手らしい話し相手ができる。その時間が過ぎてしまえば、また真神と二人きりだ。少年が話しかければ一応答えはするが、彼の方から口をきく事は滅多にない。そしてやる事もない。仕事は自分で探すものと心得る少年は、お湯や容器の温度を段階的に変えては最もおいしくお茶が抽出される組み合わせを研究してみたり、事務所内の模様替えを提案しては真神に鬱陶しがられたり、稀に訪れる来客や使いの者の応対をしながら、夕方の掃除の時間を待つのが常であった。


しかし、今日は少々様子が違っている。

常に何かしらやる事を探している少年にしては珍しく、日課が終わるこの時間を待っていたかのように、いそいそと本が並ぶ棚から取り出した紙の束を手に、ソファにぽんと腰掛けた。

ページにして百枚ほどあるそれは、昨晩のうちに西園寺から手渡されたものだった。びっしりと書き込まれた整った文字列を目で追おうとして、少年はふと不安そうに真神の方を見て問う。


「あのう、ここで読んでても……」

「いちいち無駄な許可を求めるな」


真神が、彫像の如く固まったまま不愛想に口だけを動かす。

声が低いので余計に迫力があった。少年は首を縮こまらせながらもぺこりと頭を下げ、視線を前に戻す。読めなかった箇所、分からなかった箇所をマークしておく為のペンが脇に置いてあるのも忘れずに確認して。

おもむろに差し出され、反射的に受け取った時の、重なり合って聞こえる紙の音。乾いた触感、さして無い重み、戸惑う自分の心、思わず見上げた先にあった強い輝きの目を、今でもはっきりと思い出せる。


『……これ、何ですか?』

『君の手抜きを許さぬ仕事ぶりには私も感心させられているが、死神の候補生として勤務している者が掃除とお茶汲みだけをしているのもいけない。業務の合間に時間を作って目を通しておきたまえ。ああ、文字は読めるね?』

『はっ、はい。これなら読めます……読めると思います、けど……でも、ボク……』

『うむ、ならば良し!

私には著書も多数あるが、それら全てに関して一字一句違えず、使用した句読点の数から、何がどの本のどのページの上から何センチ目に記されていたかも含めて記憶している。

それらの中から現時点の君向きと判断した箇所を抜粋し、説明として成り立つよう繋ぎ合わせ、この分野に触れるのが初めての者にも読みやすいよう理解しやすいよう表現を噛み砕き、時には内容そのものを変更し、だが要所は押さえつつ、グラフや挿絵も交えて書き直したものだ。つまりほぼ完全新作だから、著作権に触れる心配はしなくていいぞ。はっはっは!』

『いや待たんかい、いつ書いた!? んなもん書いてるところ全ッ然見てなかったけど!?』


いつも通りに得意気で自信満々な西園寺と、唖然としながら騒いでいるカーラと交わした言葉も。

自分の為にここまで手間をかけてくれた事にも少年は感激していたが、それ以上に、どうせやる事がないだろうから読めとは言わず、仕事があるだろうが何とか時間を作って読めと、あくまでも彼に与えられた仕事を最も高い位置に置いて認めた上で話を進めてくれたのが嬉しかった。

カーラに労われた事はあった。あまり一生懸命にやらなくてもいいと労わられた事もあった。しかし、尊重されるというのは、少年にとっては初めての経験だったのだ。

くすぐったい気持ちと同時に、ある種のもどかしさがある。何をしてもらっても自分は半人前で、与えられたものと等価なものを返す事はできない。だからこそ、今の自分に任せられている分野の仕事、部屋の掃除とお茶汲みに全力を注ぎ、あの一張羅の死神装束と格好いい大鎌を、いつでも西園寺が持ち出せるよう万全の状態に保っておくのだという決意を、少年は新たにする。

そして今日の仕事を終えて戻ったふたりを、これだけは誰でも認めるしかない取り柄だと昔カーラに言われた、明るくて大きな声で出迎えるのだ。


「おかえりなさい、カーラさん、西園寺さん!」


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