エピローグ:ワールド・エンド
「心配しなくても大丈夫ですよ。――え、別に心配してない? そりゃ失礼を。
そうですね、言うまでもなく、誰も所長のせいだなんて思っちゃいません。
アレと長く付き合ってりゃあ分かります。誰だって、あいつがいつもの自分勝手を通しただけだって。だから所長。――え、いつまで所長と呼んでるんだって? ははは、習慣ですよ習慣」
「ねえ所長。
人が死んでまず訪れるのが死神の世界なら、死神が死んだ時にも向かう世界ってのはあるんですかね」
「考えた事もなかった。でも……あって欲しいと、今は思うんですよ。あいつの為に。どうせまたそこでも身勝手に好き放題に暴れ回って、後を振り返りもせず去っていくんでしょうけど。
登れる山は尽きない方が、きっとあいつは楽しいんじゃないかってね」
「私は、まるで楽しくありませんが」
鮮やかな白の風切り羽根を持つ鴉は、夕焼けから目を離さずに言った。
見上げた空はどんよりと曇っている。
見下ろす街並みは雨に濡れている。
霞がかったように帳で覆われた心全体には、それらの景色もあまり入り込んでこない。
今はひとつでも余分な事を考えたくないから、幕が下りている。
「ボクは、あの人を探そうと思います」
「もちろん仕事は手を抜きません。それが、ボクがあの人から教えられた事ですから。
全てを完璧に、完全にやって、それでも空いた時間を使って、あの人を探す方法を探します。無くたって見付けてみせます。見付けるまで止めはしません。
だって、あの人はそういう人だった」
「死神が死んだ後の世界なんて、どう探せばいいのか分かりません。
そんなものが存在しているのかも分かりません。ボク自ら死んでみて探しにいく愚も犯しません。
ボクはボクのまま、生きて職務を全うしながら、あの人が行ったかもしれない場所を探し続けます。
そんな事は、無駄なんでしょう、けれど」
「――ボクは、まだお礼を言えていない」
少年と青年との狭間にある死神は、伸びた背と少し低くなった声で言った。
死は消失だった。
死神は肉体を持たず、その死は何も残さない。
流れる血液はなく。
漏らす苦悶はなく。
捧げられる祈りは必要とされず、そも、皆が立ち会う事を許されなかった。
残るものがあるとすれば、それは最期の光景のみ。
故に唯一それを見、知るのは、死神を殺す手を持つ者のみ。
「ハ? なんだと、死んだ?
たわけめ、裁かれてもいない死神が死ぬ訳が――死んだ!? 誤報ではない!?
いや、いやいやいや待て、後の引き継ぎはどうなっているか? ――何も言い残されていないだと!?
ええい、ええい! つくづく、この、厄介な真似ばかりを、最後まで、ええい、この!」
「……ああ、花くらいは送っておけ。
栄えある一族として最低限の礼節は欠かせぬ。なに、建前だけだ」
神経質で高慢そうな鴉は、いつもと変わらない態度で言うと目を閉じた。
永らく、倦怠と諦観に漬かっていた。
それでも問題はなかった。進み続ければ翼を折られて火にくべられるだけだと、過去に知っていた為だ。
久し振りに浮かび上がった。
眠る場所がないので、仕方なく羽ばたいてみた。
待ち受ける先を知っていたのに、どうして羽ばたいてしまったのだろう。
「では宜しく」
と言われた。
「ああ」
と答えた。
今生の別れにしては、我ながらあまりに素っ気ない。思い返してみても、もっと話す事があった気もすれば、話すべき事は、既にその日その時までに充分すぎるほど話し合っていた気もする。
遺言があった為、罪には問われなかった。最上位存在からの言葉は、独断での殺害すら庇ってみせるらしい。
生身の生物ではないが故に、己の手では決着をつけられなかった男が、死に当たってたったひとつ残していった言葉がそれなのだから、呆れて物が言えない。
遺していくのなら、他に必要な言葉が山程あった筈だ。
気遣うなら、他に必要とする者達が山程いた筈だ。
生前と変わらず最後まで身勝手に走り続けた男の、唯一、生前とは違った、違うようにするしかなかった点。それが、よりによってこんな惰性で生きているだけの一人の死神に関しての一点とは。
真神雄一ノ行為、其ノ一切ヲ不問トスル。
事が済んだ後の身の振り方についてなど自分から一言も触れた事はなく、むしろ放っておいてなるようになれと思っていたというのに、無駄に念入りで親切な事だ。
かつては無力だった故に。今は、力を有していたが故に。二度味わった。もうたくさんだ。
「君なら耐えられる――か。陳腐で傍迷惑な文句だ。最初に使った奴は永遠に地獄でもがき苦しむべきだな」
あの男の死について、誰も責めてはこなかった。
だが、責められようと責められまいと、罪に問われようと問われまいと、殺した事実は変わらない。個々の感情とは別に、こいつが殺したのだという目は今後ずっとついて回る。
それについてあの男は、悪いが背負ってくれたまえと、完全に他人事の調子で笑い飛ばしながら言い放った。
投げられるままに背負った。そして事実、耐えて、今もここにいる。
「結局、いつも俺が貧乏くじを引く羽目になるんだ」
落とした視線の先に、上へ向けた掌があった。
やや内側へ曲げた指。何かを握り込むようなその形。
こびりついた感覚は、いまだ消えない。
それはいつか訪れる結末。終わりの未来。不可逆な旅路。
しかしもう暫くは、降り注ぐ光の中を、その大きな背を追って進もう。




