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駆け抜けるビクトリーロード - 6

「そう難しい理屈でもないのだよ」


まんじりともしないまま迎えた翌日。

誰も気付かない間に事務所から姿を消していたかと思えば、正午過ぎに帰ってくるなり出し抜けに西園寺は言った。


「敵がひとつ獲得する間に、こちらはふたつ戻せば良い。それでマイナス分の1は残る。相手が取れる数より多く戻してしまえば、その時点で我々の勝利だ。だからこそ初動が肝心なのだよ」

「はぁ……」


困った時の少年がよく発しているような声で、カーラが相槌を打った。どこへ行っていたのかと問えば、試合のフィールドを見回ってきた、と事も無げに西園寺は答える。要は、領地内を全て回ってきたらしい。無論、ただ見てきただけではないのだろうなと、ほとんど使われていない地図帳を棚から取り出し、脇目も振らずペンで何事かを書き込んでいく姿にカーラは思う。


「ふうむ、地図は常に最新のものを取り寄せておくべきだな。私が実際にこの目で見てきた光景とだいぶ違っている」

「別に街の構造まで大きく変わってる訳じゃないし……それで足りるよ。そもそも見ないけど」

「今ばかりは見るようにしたまえ。店が入れ替われば家族も変わる、家族が変われば死にそうな者も変わる。即ち、決戦に当たって注目すべきポイントも絞れるのだ。重要だぞこれは、我々はひとつも見逃せないのだからな。病院は分かり易く狙い目だが、同時に最も油断できない場所でもある!」


物騒な事を言い出す西園寺に普段なら一言二言はありそうだというのに、今日に限っては終始ぼんやりしたまま、カーラはそれを見ていた。何も考えていない訳ではない。それどころか、昨日の話があってから、ずっと考えている事がある。


この男は、生き返った人間が味わう苦しみについて全く気にしていない。


頭から抜け落ちている訳ではあるまい。その程度の可能性、この男が気付いていない筈がないのだ。ならば、気付いていながら無視しているという事になる。それも苦渋の決断としてではなく、考慮の対象外として。言ってしまえば、わざわざ気にするような事でもないだろう?と。

病気や寿命で死んだ人間ならば、それでも良いのかもしれない。一時的に持ち直すのも然程不自然ではなく、場合によっては喜びを生みもするだろう。

しかし、事故で全身が吹き飛んで即死したような場合においてはどうだ。

それさえも、魂を戻してしまう事だけなら出来る。脈打つ心臓は驚異的な生命力、あるいは医学の奇跡と例えられ、脈打つ心臓すら存在していない場合でも、魂が在れば生き続ける。モニター上は死んでいようと、だ。

なんと恐ろしい、と、普通の人間であれば思うだろう。

なのに自分の行いがそうした状況をもたらすかもしれない事を、勝負に当たって一切考慮しなくて良い、と。


実の所、カーラ自身も人間の苦しみとやらを特に案じている訳ではなかった。生前いくら人間が苦しもうが、自分達の領分は死んでからの事という価値観が生まれながらに根底にある。これはもう、死神だからとしか言いようがない。何もカーラに限った話ではなく、真神も、そして少年も、その他大多数の死神達もほぼ同じだろう。

だが西園寺は、ついこの間までその人間だったのだ。

それなのに、気にならないというのか。

初めて会った日の西園寺は、間違って魂が狩られている事に、あんなにも腹を立てていたというのに――。


あ。


光が走るように理解した瞬間、危うくカーラは声をあげる所だった。

西園寺が怒っていたのは、手違いで人が死ぬままになっていたからだ。

怒りの対象は人ではなく手違いの方。その手違いが手付かずだった方。

頻発するミスが放置されている事に、西園寺は怒っていた。

決して、一人の老人が殺されかかっていた事に怒っていたのではない。

死神の世界に一歩目の足を踏み入れた時から、もう西園寺は死神のルールしか見ていなかったのだ。そして、査定における魂の逆流は禁じられていないと確認が取れた。ならばミスではなく、彼が怒る理由はない。

そういう事だった。

そのくらいでなければ、人間が死神になるなど起こる筈がなかったのだ。


「なんか、真っ先に分かってた筈なのに勘違いしてたよ。あんたは別に善人じゃなかったね」

「私は善人ではないが、どうしたのだね急に」

「や、こっちの話」


一方的に話しかけて一方的に打ち切ったきり、カーラはまた黙る。

その態度をどう理解したのか、西園寺も再び自分の作業に戻った。


「あんたさ」

「うむ」

「もしかしなくても、本気で勝つ気でいる?」

「もしかしなくても勝つとも」

「……ん……ちょっと現実感がなくてさ。勝つ勝てないじゃなくて……なんかこう……もっと前の段階の。うちの事務所が、そういう場に勝負に出ていこうとしてるって状況自体がね。おかしな感じ」

「初めは誰でも慣れないものだ。だが、これからは慣れていく。一同、慣れてもらわねばな。私がいるからには、今後こうした場は飛躍的に増加していくだろう」

「ハ、最初っから好き放題勝手放題にやらかしまくってくれてた奴が、誰でもたぁよく言うよ……」


ニックネーム・ゼロ。恐れもゼロであった男。

カーラは達観した苦笑を漏らすと、よく見える眼を西園寺から外して室内に向けた。

真神は昨日から部屋に引っ込んだまま、出てこようともしていない。朝に一度顔を見た気はするが、それきりだ。少年は台所の奥。どうやら湯を沸かしているようだから、また何か新しい茶の淹れ方でも仕入れてきたのだろう。

西園寺がひっきりなしにペンを動かす音だけが、事務所内に響いている。音があるのに、奇妙な静けさを感じた。

ようやく、カーラも地図に目を向ける。


「……勝てる、のか……? 本当に、うちが勝てるなんて事あるのか……?

いや、いやいやいや、まだどうなるかなんて分からないよ。所長は数だけで判定されるって言ってたけど、今回が却下される初の事例になるかもしれないし。だって、やろうとしてる事があんまりにも」

「高揚しているな、カーラ嬢。どうだね、いいものだろう勝利とは」

「――は、はあ!? 誰が高揚だって!?

これは心配してるんだよ! やっぱ駄目でしたーどころか、罰で本格的に取り潰しになったりしないかと……!」


とんでもなく的外れな事を言いだした西園寺にカーラは反論するが、返ってきたのは涼し気な美しい笑み。

高揚だとも、と、心からの、魂からの確信に満ちた口調でカーラを断定する。


「何故ならば、君が気にしているのは勝った後の事ばかりだぞ!」


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