駆け抜けるビクトリーロード - 3
艶めいた光沢を放つ白のティーカップ。湛えられた濃い琥珀色の液体。安物ではあるが、丁寧な手入れが成された陶器の肌には茶渋の染みひとつ残っていない。
久し振りとなった紅茶に合わせるように、本日の茶菓子はフロランタン。敷き詰められた薄切りのアーモンドが、蜜を纏った表面をてらてらと輝かせている。カーラ用に細かく割られたものの横には、何故か爪楊枝が添えらえていた。
「さあカーラ嬢、私がエスコートしよう」
「自分で食えるからいいっての。菓子食わせるのにエスコートって何だよ」
「そうかね。……ふむ、良い香りだ。また腕を上げたな、少年」
「えへへ……高い葉じゃないですけど。お代わりはたっぷりあるので、じゃんじゃん飲んでくださいね!」
少年が、嬉しそうにティーポットをちゃぷちゃぷと振った。
真神は一口だけ紅茶を啜り、後は机の上に放置していた。小皿に乗せられた菓子ふたつには手も付けていない。
「さて。喉と心も潤ったところで、本題に戻ろうではないか」
「やっぱそれ蒸し返すのな……やめない? 聞いても無駄なんだし。ダメ?」
「無論だ」
西園寺が力強く頷く。
カーラは一口サイズのフロランタンをぐいと飲み込むと、しょうがねえなあ、とぼやいて再び右の翼を振った。会報がまたも光と共に現れる。少年が急いで皿やティーポットを退けて作ったスペースに、カーラがそれを広げた。
カーラ、西園寺、そして少年の視線が、開かれたページに集中する。
「ここな。査定ってのは……」
「………………」
「……あー……あんた説明しなサトイモ坊主。できるだろ」
「えっ、いいんですか!?」
役割を振られた少年は、大きな目を喜びに輝かせた。
口角を僅かに上げてみせた西園寺に、ごほごほとカーラが咳払いをする。
「えっと、それじゃ……こほん!
さっきカーラさんがお話しされてたように、査定というのは死神事務所で行う格付け競争、です。その日一日、普段は事務所ごとに決められてる管轄が地区内で全部解放されるので、その広いエリアで魂を取り合うんです。いちばん多く取った事務所が勝ち、ですよねカーラさん?」
「ああ」
「事務所もなかった大昔はサボる死神が多くて、回収されずに消えちゃう魂までいたそうですから、それを引き締めるためにグループを組ませて競わせたのが元になっているって読みました。伝統ある行事なんですよ。
……別の理由で回収されなくて消えちゃう魂は、今でもあるみたいですけど……」
「伝統はどうでもいいけどさ……な、分かっただろ?
勝敗の行方は魂の数による。そもそも魂を集める仕事を禁止されてるうちは参加できない。参加資格がないんじゃ勝ちようがない。はい、おしまい」
「特例として、査定機関だけでも魂の回収が認められるという事は?」
「ないね」
「なんたる不平等! 結果とは公平なる参加資格の下でこそ価値と意味を為すものだというのに!」
眉間に皺を寄せて拳を振り回す西園寺に、少年はあわあわと慌て、カーラは肩を竦めるかのように両翼の付け根を持ち上げた。動物であろうと能力が足りていれば採ると豪語した男にとっては、確かにこの処遇は許し難いものなのかもしれない。
お茶です、と少年がすかさず注ぎ足した紅茶を喉を鳴らして飲み干すと、西園寺はページ内の一点をびしりと指さす。
「では、その件はひとまず脇に置くとしよう。ここに記されている『棄権する事務所は一週間前までに申請を』というのは何だね。そのような歴史ある神聖な戦いに、折角の参加資格を持つにも関わらず、どうして棄権が認められているのだ?
病欠の事とも思えん」
「見付けんのはえーな。
どうしてもこうしても、参加しても意味なかったりする場合も多いから……」
「参加する以上、意味がないという事はないだろうに。年に一度きりの上を目指す機会を、自ら放棄するなどと」
「……ハァ……わかったよ。ちゃんと説明する。
うちを例に挙げるとね、ここらは事務所別の管轄地がみっつ隣接してる。で、このみっつをまとめて一つの大きな管轄である領地として見る。ここまではあんたも知ってるだろ」
「うむ」
「競争するのはこの中ね。
領地内のトップは、あんたがこないだメチャクチャにしたウィルヘルム様の所。支配域は領地の九割を占め、規模でも権力でも他とは比較にならない。ていうか、実質ここしかないって言っていい。本来ならこれだけの広さの土地にはもう二、三は事務所がある筈なんだけど、全部あそこに持ってかれてる。
次にうちの事務所。これは管轄地ゼロだから、存在しててもノーカウント」
「魂を回収しない事務所は、管轄する土地も与えてもらえないという事か」
「ある意味じゃ、領地全部が管轄って見方もできるけどね。はは、そうすりゃうちがトップだ」
カーラは小さく笑った。
人間のような唇を持っていれば、その端はさぞかし自虐に満ちた吊り上がり方をしていただろう。
「残りの一件は……まぁ普通だね。
普通の、平均的な事務所。地味。ただし土地は狭い。
下手に頑張って諍い起こすの避けたいから、ここは当日いつも目立たないようにしてる。気張らず出張らず、普段通りに、ね。そうすりゃ自動的に数で圧倒的に勝るウィルヘルム様の所が勝つ」
説明を終えたカーラは、喋り続けて疲れた嘴を一旦ティーカップに浸した。
「ふう、分かっただろ?
実質、争う資格があるのはウィルヘルム様の所とそこだけ。んで、弱い方にゃ喧嘩をふっかける気がさらさら無い。仮にやる気出しまくって奇跡が起きて勝ったとしてもだよ、一位と二位が入れ替わるだけで、うちが不動のビリッケツなのは変わりゃしない。だって肝心の魂回収が認められてないんだからね。納得したかい?
で、全国各地でも似たような事が起きてる。うちと違うのは参加資格があるかないかくらい。だから、棄権なんて選択が出てくる」
「ウィルヘルムくんの所は極端な例としても、とことん大きな事務所に有利なルールになっているのだな。しかも、その様子では今まで改善される気配すらなかったと思える」
「そりゃそうさ。ヘタに下克上なんて起きても余計な仕事が増えるだけだもの。強い奴が順当に勝って、結果、何も変わらずってのがベスト。どこもそう思ってるんじゃない? 勢力が拮抗してる事務所同士だと、棄権まではせんでも事前に決着ついてたりね。昨年は私共が勝ちましてぇ晴れて誰々が栄転の運びとなりましたのでぇ、今年は是非そちらで……なんて話し合いで。ガチ勝負したい奴なんてほとんどいやしないのさ」
「なんだか、夢がないですよね……皆さん、正々堂々がんばろう!って思わないんでしょうか」
「こんなもんに夢見てんなよ……。
ま、空気読まず伝統ある行事とやらの精神を尊重してる地域もあるにはあるだろ、どっかには」
しゅんとしてしまった少年を突き放すような慰めるような事を、カーラは口にした。
「ただ、うちも別の意味で忙しくはなるよ。
大雑把な試合なだけあって、死を配る側もより大雑把になるのか何なのか知らんけど、うちのお客様である『死ぬ予定じゃなかった人間』が、毎年この日は増加する傾向にあってさ。結果として一番仕事増えてるのうちなんじゃね?って感じ。やってらんねー」
「頑張らないと、いけませんね」
ぼやくカーラとは対象的に、少年は両手を胸の前で握り締めて、ふん、と鼻息を荒くした。正式な候補生となった事で使命感に燃える少年を暑苦しそうに一瞥してから、ふとカーラが思い付いたように言う。
「サトイモ坊主を連れて行くのもいいかもね。当面はここにいなきゃいけないんだから、うちの仕事も見せていくって事で……」
「当面じゃなくて、ボクはずっとここにいますよう」
膨れっ面になっている少年の隣で、腕組みをして宙を見据えていた西園寺が、正面を向いたまま唐突に口を開いた。
「戻す事は出来るのか」
「ん? 魂の事? 出来るよ。じゃなくて戻すのがうちの仕事な。
相変わらず話を聞いてるんだか聞いてないんだか……」
呆れるカーラには構わず、西園寺は更に重ねて尋ねる。
「どんなに努力をしようと、公式ルールの下では我々はゼロのままという事か」
「そうだってば。あんたは不満だろうけどねえ、こればっかりは殴り込みに行ったって無駄だよ。名前の時みたいな、向こうに非があった件とは違う。決めてるのはもっと上なんだから」
「そうか、わかった」
西園寺は大きく頷いた。
カーラは、システムの理不尽さにやっと西園寺が納得してくれたのかと思った。
だが、一瞬後には違和感に襲われていた。この勝負心の塊のような男にしては、納得するのが早すぎる。むしろ、納得してしまった事自体がおかしい。こうも素直に不遇を受け入れる性格であれば、そも、死後こうして死神になったりしていないだろう。
怪訝そうに口を噤むカーラ、不思議そうに首を傾げている少年を順に見やると、最後に再び前を向いて西園寺は告げた。
「では、魂を戻そうではないか諸君」




