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蹴り開けてクローズド - 5

やがて歓声があがり、西園寺が一通の封書を高々と掲げる。誇らしげにというよりは、自慢気に。

どうやら鍵のかかった引き出しから発見したらしく、足元にはこれまた鍵の開いた小振りな金庫が転がっていた。破壊した訳ではなく開いているのである。どうやって解錠したのかは不明だった。

封書の中央には、鎌の柄に留まる鴉の金印。間違いない。


「ああ、見付けちまったよ……」

「うむ、見付けたぞ。それでカーラ嬢、取り込むと言ったが具体的にはどうすればいい?」

「うん? ……あぁええと、確か心臓に当たる位置に押し付けるんだとか……もう動いてないけどねあんたのは。つか封開けるの早いよ。もうちょっと厳かとか厳粛とかそういうの出せ、貴重なもんなんだから」

「き、貴様、らぁ……」


地獄から響いてきたような声に、西園寺に注意を奪われていたカーラが振り返る。

ようやく回復したウィルヘルムが、よろよろと起き上がった所だった。となれば自然、床から西園寺達を見上げる格好になってしまう訳で、これも怒りを増大させた原因に違いない。

睨まれた西園寺は全く臆していなかった。これはいつも通りだが、あわあわしている少年はともかく、困ったように翼で頭を掻く仕草をしてみせたカーラにも、そこまでの強い焦りはなくなっていた。


「ご覧の通りだ、ウィルヘルムくん。いかに君の一族が中枢に食い込んでいようと、これを意図的に足止めしていたのは少々まずいのではないかな。

君が我々の上に位置するのだとしたら、上には更に上がある。そして上とは、行き着く所まで行けば似たような勢力で横並びになるもの。一勢力の失点は、そのままもう一勢力の好機となるのだ。

カーラ嬢、冥府の法においてこれはどうなる。いかに腐っていようと、公然と不正は認められまい。悪はこそこそ行うからこそ許容されるのだ! 私も生前は最大限に利用したから良く知っているぞ」

「そこを威張んなよ……んと、どうなるって……」


カーラは右側の翼を広げ、空間から臙脂と金の本を取り出す。

しんと静まり返る周囲を気にしながらページを捲り、目を走らせ。


「まあ、公になるのはまずいと言えばまずいよ、うん。でも……」


そこで口を噤んで、ウィルヘルムを見る。どちらかというと助けを求める風である。有利ではあるのだが、不利でもある者特有の態度だった。

怖気づくのが当たり前なのだ、自分達がここに来てからやらかした事を考えれば。


「申し訳ありません……どう……なるのでしょう、ウィルヘルム様……?」

「ふん……」


面白くなさそうに鼻を鳴らしたものの、こちらからも勢いは削がれている。

さすがに現物が発見された後では分が悪いと見たか。

とはいえ謝罪などする訳もなく、あくまで横柄にぬけぬけと言ってのける。


「あの許可証は冥府においても最重要文書扱い。それが金庫にあったから何だと?

不備が無いかの最終確認をしていた所だ。万一見落としがあっては我らの名に関わる問題だからな。その最中に貴様らが、無礼千万にも踏み込んできた」

「ハイそれはもう、ようっく存じております、はい!」

「挙句に、意図的な足止めをしていたなどという濡れ衣……まったく下衆の発想は吐き気を催すわ。本来ならばこの不敬の代償は何としてでも払わせる所だが、それはもう良い、さっさと消え失せろ。特にそこの欠陥品、視界に入るだけでも不愉快だ」


少年を見る眼に、暗い笑みが浮かぶ。


「慈悲深いな、生まれながらに歯車の止まったままのガラクタを置いておいてやるとは」


カーラが凍りついた。

まるで、体の中に氷の手を突っ込まれたように。下に降りていたからいいが、もしも翼を使っていたら、制御を失って落下していたかもしれない。

ウィルヘルムの嘲る声は、騒ぎを聞きつけ集まっていた多くの者達にも届いた。意味が分かっていない者がほとんどのようだったが、一部から、ああ、という納得と同情を帯びた声があがる。その口を片っ端からカーラは塞いで回りたくなった。よりによって最悪の急所を突いてきた事に、カーラの内に初めてといっていい種類の怒りが湧き上がってくる。同時に先程感じた冷気こそが、その怒りであった事を知った。怒りとは、限界を超えると冷たくなるのだと。

いくら純粋で疑う事を知らないような性格だろうと、今の言葉の意味まで分からない筈がない。黙っている少年を見るのが、カーラにはひどく怖かった。それでも、嫌でも視界に入ってしまう位置にいる。露骨に視線を外す事は、もっと出来ない。


「……あの」

「…………」

「あの……ボク……」

「これはこれはお初にお目にかかる、我が名はウィルヘルム・シュラウ・シュラウセン。この度は、まことに珍奇な存在にお目にかかれて光栄の極みだ。いや世辞ではないとも! なにせ我らが新月の一族に、成長できない欠陥品など存在しないのだからね。珍獣はいつの世も好奇を引き付けてならない」

「っ!!」


黙れ、と、身分も何もかも忘れて怒鳴りつけたい衝動にカーラは駆られた。

成長できない候補生。稀に吐き出される歯車の止まった欠陥品。

目標である死神に、その小さな手が届く未来は永遠に訪れない。

少年の身の上を、カーラ達が本人に隠していた事まではウィルヘルムは知らないだろう。だが事情を知っていようと知っていまいと、下位と認めた相手を嬲る点にかけて、この男は非常に目敏かった。


「そんな事はないぞ!」


唯一人、普段と変わらぬ調子で叫んだ西園寺に、カーラの怒りはそのままそちらへ向かう。

身内だけで事務所に篭もり雑務をしている時なら、それでもいい。

しかし、およそ考え得る限り最悪を行く目下の状況において、そんな根拠も無く理屈を理解していない、勢いだけの言葉を聞かされたところで、救われたなどという思いが微塵でも湧くものか。

迂闊だった。カーラは西園寺へ憎々しげな目を向ける。この馬鹿が自分以外に気を回さないのは当然としても、もしくは無根拠の精神論を振りかざして突撃すれば全て片付くと思っているとしても、他者はそうはいかない。欠陥品であったという少年の現実は、現実としてそこにあり続けるのだ。白羽根混じりの欠陥品であった、自分と同じく。

こうなるのは、事前に充分予測できた事であった。事務所ぐるみで真実を隠していた事は知らなくとも、そういう存在が配属されている事をウィルヘルムが知らない訳がない。ならば、それを使ってくる事も。

西園寺の暴走にばかり気を取られて少年にまで気を回せなかった自分に、腹が立った。そして、今になって怒って悔やんでみたとて、もうどうにもならない。


その時少年が、西園寺に向けてでもカーラに向けてでもなく、ぽつりと声を発した。溜息をつきたくなるくらいに前ばかり見ていた目を、床に落として。


「いいんです、知ってますから」

「……な……ん、だって……? お、おい……あんた、だって……!」

「ごめんなさい。カーラさんが気にしてくれてたのは分かってましたけど」


所長は元から無口ですし、と少年が僅かに微笑む。

カーラには全く笑えなかった。


「ただ知ってても、自分で口に出してしまうのだけは、どうしても少し辛くて。それにカーラさんも所長も、ずっとボクに普通に接してくれてたから。だから、ボクはボクにできる事をやるんだ、って」


少年の声は固い。

カーラが聞いた事のない声だった。

小さく鼻をすする音が、胸に突き刺さるように痛い。


「……ごめんなさい。もっと前に、ちゃんとボクから言っておけば良かったですよね。ボクが自分の事ばっかり考えてなかったら、こんな……気を使わせちゃう事もなかった……のに……」


ああ、そうか。

ようやく、カーラは理解した。

疑う事を知らなかった訳じゃなかった。

知っていて、我慢していたのか。


声に無理して笑いを滲ませる少年に、カーラは黙って首を振った。

違う、と。もういいと。

間違いがあったとしたら自分達の方であり、そして最初から誰も間違ってなどいない。初めて少年が事務所にやってきた日に、よろしくお願いしますと明るく挨拶をしてきたあの日に、自分の事情を把握しているのか確かめておけば、今になってこんな思いをする事もなかったのかもしれない。

でもきっと、分かっていても出来なかっただろう。


「ふん、欠陥品同士で慰め合いか。なんとも涙を誘う麗しき光景であるな」


ウィルヘルムが、愉しげにふたりを嘲った。

どうやら欠陥品が欠陥品である事を隠していたようだ。その行為自体は理解不能だが、結果として自分の言葉は最も有効な形でそこを抉ったらしい。ようやくこの不愉快な連中を痛め付けてやれたという愉悦は、歪んだ男の暗い悦びを満たすのに充分であった。

カーラは、何かを言い返す気にもなれなかった。

ただ、早く少年を連れて、ここを出たかった。

もう何でもいいから、出なければならないと思った。

少年の背を軽く翼で叩き、帰るよ、と言ってやりたかった。


「だから、そんな事はないぞと言っている」


不自然に沈黙を保って成り行きを見守っていた西園寺が、尚も平然と繰り返す。

この期に及んでと、静まりかけたカーラの怒りが再びぶり返し始めた。

空気を読まないのは勝手にすればいい。巻き込まれるのは迷惑甚だしいが、好きにすればいい。それでも、絶対に守らなければならないラインはある筈だ。

だが、次に西園寺のとった行動は誰ひとり予想できないものであった。

今、ここに死神として立っている事からして、天国にも地獄にも冥府にも予想できなかった男。奇跡のプラスマイナスゼロ値。ならばその振る舞いを事前に見通すような真似、それこそ神であっても不可能に違いない――。


ビリッ、という派手な音が響く。


この場で最も聞いてはならない、聞く筈がない嫌な音と共に、西園寺が頭上に掲げた許可証は、彼の手によって中央から真っ二つに破られていた。


「ああああああああああぁぁ破いたああああああああああああ!?!!?」


怒りも、後悔も、何もかもがあまりの展開に吹き飛んでいた。

絶叫したのはカーラだけではない。ウィルヘルムが叫び、その部下達も叫び、少年はあんぐり口を開けている。


「何やってんだお前!! 何やってんだお前ええ!?」


悲鳴をあげながら飛びつくように西園寺に食って掛かるカーラ。

意に介さず西園寺は少年の前まで歩いていくと、初めて会った日にそうしたように、膝を折って目線の高さを合わせ、淡く光る半分の許可証を差し出す。


「受け取りたまえ少年。これは君のものだ」

「え……」

「胸に当てるのだ。輝かしく、そして誇らしく! さあ、君の鼓動は刻み始める!」


西園寺が、少年の胸にぐっと許可証を押し付ける。

受け取れと言っておきながら、あくまで自分の手で、自分勝手に事を進める自我の権化。

音もなく、死神の証はすうっと服に、その下に飲み込まれていき、消えた。


「……しゅ、修復……された、だと……?」


信じられないものを見たように、ウィルヘルムが掠れ声で呟く。

いかに腐敗し堕落していようと、生まれがもたらす目は疑いようがないものだ。

何が起きたのかはカーラにも分かった。それなのに、何が起きたのかが全く分からない。


「なんでっ!? なんでえええ!?」

「おや、君が教えてくれたばかりの事ではないかカーラ嬢。使う時には胸に当てろと」

「そこじゃねーよクソボケェェっ!! なんつー真似してんだよ!? なんでそんな使い方ができるんだよ!?

……わ、分け与えた……? 半分に千切って……?」

「なんだその事か。うむ、真神くんに聞いた」

「は!?」

「事務所を出た直後にふと思いついてね。忘れ物があると言って私だけ戻っただろう」


確かに。

扉を出たところで、西園寺はカーラと少年を待たせて一度中に戻ったのだ。

死神に何の忘れ物があるんだよと思ったものだが、すぐに出てきたのでたいして気にも留めずそのまま忘れた。ふと思いついて聞くような内容ではない。


「そこで私は尋ねたのだ。許可証が力そのもので、取り込む事で死神になれるのなら、それを分割して複数人で取り込む事は可能か、と。真神くんは言った」


一拍を置いた西園寺は、カーラに向けて片目を瞑った。


「可能だ、とな」

「可能だって言ったの!? 止めるとか慌てるとか馬っ鹿じゃねえかと怒鳴るとかしなかったの!?」

「一切何もしなかった。おおかた面倒だったのだろうな!」


相手を貶すにしてはあまりにも快活に笑い、西園寺は立ち上がった。


「では、残り半分は私が頂くとしよう」


敬礼でもするように、もう半分の許可証を胸に当てる。

今しがた見たばかりの有り得ない光景を、カーラ達は再び見る事になった。

許可証がすっかり消えてしまうと、ううむ、と西園寺は右の眉を持ち上げて腕組みをし。


「特別何かが変わったようには思えないな。まったくつまらん。少年、君はどうだね?」


見下ろして尋ねる。

目が合った少年はびくっと体を震わせ、西園寺相手には見せた事がない、怯えに似た表情を浮かべた。


「……あ、あの……」


何とか答えようとして、けれども何を答えたらいいか分からなくて、そもそも何が起きたのか、自分の事なのにいまだに把握しきれていなくて。

しかし、それでも、待っていれば言葉は、いつかは追い付いてくる。


「ぜっ……全然っ、何も……変わった感じじゃ、ないですっ……!」


一杯に開かれた瞳が、みるみる潤んでいく。

震えっぱなしの幼い声を聞いた西園寺は、満足気に頷いてみせた。


「そうだろうとも! 所詮は、その程度の違いだったという事だ!」


床に翼を広げて呆けたウィルヘルム。脚を投げ出して座り込んでしまったカーラ。

そして小さな啜り泣きが聞こえ始めた室内に、耳障りなまでにやかましい高笑いが鳴り響いていた。

いつまでも。いつまでも。


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