蹴り開けてクローズド - 4
赤煉瓦で組み上げられた高さ8階に及ぶ城砦の如き建物は、広い表通りに面している事もあって、古い歴史を持つ百貨店のようにも見えた。
事実それは、百貨店である。百貨店に重ねられて建てられているのだ。
無論、外部も内部も完全に独立している。
月巣院東京支局。新月の一族が所有する領地、その拠点のひとつ。
人間のビルの、それも半ば廃ビルに近い建物の1フロアを間借りしている自分達の事務所との差に、今更ながらカーラは身が竦む思いだった。普段は意識しなくとも、こうして土台から造りが違う建物の前に立つと、ただ単に惨めな気持ちを味わうというだけでなく、その圧倒的な威容に胸を打たれる。性根が腐っていようと仕事振りが雑だろうと、この一族が繋げ、蓄えてきた歴史だけは本物なのである。
が、今、その前に仁王立ちするのは、生憎そんなものを気にして遠慮してくれるような男ではなかった。気後れしないのかと聞けばおそらく、私が持っていたビルの方が高いぞと実に偉そうに自慢してくるだろう。
ついでに、もっと沢山あったとまで付け足してくる。
「たのもう!」
返事を待とうともせず、西園寺は叫ぶなり入り口へ突撃していく。これでは本格的に道場破りだ。第一手から間違えている。どこが交渉なんだよとカーラは頭を抱えたくなった。それとも、この男の生前はこれが交渉だったのか。そして、この方法で成功させていたのか。
いずれにせよ、もう止められない。こうなったからには信じるしかないと思った。およそ最も信じたくない相手を。相変わらず小脇に抱えられっぱなしの少年が、どうしましょうとでも言いたげな目で見上げてきているが、一番自分が聞きたい事を聞いてくるなとカーラは顔を背けた。唯一断言できるのは、無事では済まない、それのみ。
入り口には扉がなく、まるで門のように巨大な口がぱくりと開いていた。左右を固める見張り役のカラス達が、急接近してくる異様な男に体を固くし、全身の羽根を膨らませてギャアと鳴く。
「御機嫌よう守衛諸君! 私は西園寺死ん太郎デス彦(26)ニックネーム『ゼロ』(仮名)という! 此度は最後の(仮名)を取り除きこの名を公的なものとするべく、私の死神としての許可証を貰い受けに来た! 責任者なのか一職員なのか既に退職後なのか全く知らないういろうヘルメットくんはいるかね?」
守衛達は、咎めるのも忘れて絶句していた。
それもそうだ。いきなり頭上に同族のカラスをへばり付かせた意味不明の人間の魂が突撃してきたと思ったら、小脇に子供を抱えたまま一方的にまくし立て始めたのだから、他の反応を求める方が酷である。なんだこの破綻した奴はと思って当然であった。それとういろうヘルメットとはそもそも誰だ。
それでも訪問者ではあるらしき事、更にはこの壊れた男が誰であるのかまでをも何となく理解した者はいたようで、騒ぎを聞きつけて駆けてきた廊下を慌てて引き返していく背中が見える。おそらく判断を仰ぎに行ったのだろうが、被害者を増やす判断にしかカーラには思えなかった。
と、ここでようやくカーラは自分の役割を思い出す。無駄と分かっていても、訪問理由くらいは伝えなくては。
「ア、アポも無しでの突然のご訪問ッ、お詫びする言葉もなくッ! えー、わたくしどもはですね……」
「よし行くぞカーラ嬢、少年! いざ徳川埋蔵のういろうを探しに!」
「あんたまだ喋ってる途中で! あっこらっ!」
「お、おい勝手に中に入るな!! 誰か、誰か警備! 守衛ーっ!!」
守衛はあんた達だろうと思わずカーラは言いたくなったが、これに関わりたくない気持ちも心底理解できるので、通り過ぎる際に軽く頭を下げただけで、あえて何も言わなかった。それでも果敢に立ちはだかった一羽の守衛を、軽く手の甲で払い除け、後に大混乱を残したまま西園寺はずんずんと大股で広い通路を直進していった。まるでどの階に何があるか熟知しているような力ある足取りだが、絶対に分かっていない筈である。
芝居でもしているように無意味に振り回したり指さしたりする腕にとばっちりを食らわないよう、僅か数秒で己の役割を失ったばかりのカーラも、数歩分下がった場所を飛んで追い掛けた。ようやく降ろされた少年が、その後ろを引き離されないように急ぎ足で追いかける。
騒ぎを聞きつけて奥から現れた職員と思わしきカラスや人間の男女の姿をした者達が、西園寺と遭遇しては硬直し、ある者は慌てて壁に張り付いて道を譲り、またある者は悲鳴のような声をあげて逃げ去っていく。とうとうどこかで警報音が鳴り始めたが、気のせいだとカーラは自分に言い聞かせ、黙々と翼を動かした。
追いすがってくる数名を笑いながら振り切って階段を数段飛ばしで駆け上がり、2階へと到達して間もなく、おや、という表情と共に、無限にも思われた西園寺の進行が止まった。怒鳴り散らしながら迫ってくる、聞き覚えのありすぎる、ヒステリックな怒りに満ちた声。
「なんだ貴様、これはどういうつもりだっ!!」
きた、とカーラは身構えた。
騒ぎを聞きつけたか、あるいは先程駆けていった連絡が届いたか。
しかし、それにしても妙に反応が早い。それも部下に任せず自ら出てくるとは。単なる偶然かもしれないが、あらかじめ何らかのアクションがこちらからあると予想していた線も考えられる。それにしたって事務所総出で謝罪や懇願に来る程度で、まさかこんな事になるとは思ってもいなかったろうが。
これはひょっとするとひょっとするのか――と密かにカーラは高揚し、また同時に落胆もする。もともと却下されたか足止めされたかの二択であったとはいえ、突き止めて気持ちのいい当たりではなかった。嫌がらせをしてきそうな相手から嫌がらせをされていたと分かっても、残るのは疲労感だけだ。
立ち止まった西園寺の正面に、円盤に乗ったウィルヘルムがやや距離を取って静止した。目線の高さが西園寺とほぼ並んでいる事に、面白くなさそうに目を細める。これ以上高いと不自然になる為この位置なのだろうが、できれば見下ろせる位置にいるつもりで来たのだろう。
「やあういろうヘルメットくん、直々の出迎えまことにご苦労!」
こんな状況では、西園寺の不必要に明瞭な声が一服の清涼剤である。
だがそんな呼ばれ方をしたウィルヘルムが面白かろう筈もなく、吐瀉物でも見るような目を西園寺に向ける。
「誰がウイローヘルメットであるか。聞け下郎めが、我が輝かしき名は――」
「ウィルヘルムくんだね、勿論知っているとも。相手の名を覚えるのはビジネスどころか社会生活の基本だ。第一、ビジネス以前にたった6文字の名前が覚えられない訳があるまい」
「……な……で、ではなんだ、何だというのだ! その巫山戯た呼び方は!!」
「コケにする為に決まっているだろう! しかしそろそろ飽きた!
さあ正しく名前を呼ばれたウィルヘルムくん、そうと分かったらさっさと私を許可証のもとへ案内したまえ!」
「なっ、こっこらっ貴様! 掴むなあっ!!」
西園寺は素早かった。
鎌を手放すや円盤に乗るウィルヘルムにさっと両側から手を伸ばし、翼ごとがしっと掴まえてしまったのである。手元でぐるりと回転させて前を向かせ、ウィルヘルムを掴んだままの両手を真っ直ぐ前方に伸ばして、サーチライトのように左右に振りつつ、さあどこだ、許可証はどこだと大声を発しながら、通路をずんずん進んでいく西園寺。大鎌を慌てて拾った少年とカーラが、後に続く。
喚くウィルヘルムに続々と人が集まってきたが、当惑するやら仰天するやら、西園寺の得体の知れない迫力に打たれて、遠巻きにしているか後ずさっているかで誰も止めに近寄ってこない。徐々に速度を増す腕振りに勢いがありすぎて、迂闊に近付くと自分達の主で殴り飛ばされそうな危険を感じる。
「どこだ!? どこだ!? 埋蔵金はどこにある!
私の経験ではダミー会社を作るのが手っ取り早いな! はっはっは」
「やめろ、やめろ離せえっ!! この無礼者が、無法者があ!! この件は後で必ず――ぶわああああっ!?」
横に振るのに飽きたのか、今度は縦に振り始めた。
これにはさすがに呆然と見ているしかなかった者達も我に返って、口々に止めに入る。
「ウィルヘルム様、ウィルヘルム様あぁ!」
「おやめください、旦那様をお離しくださいっ! 許可証でしたら旦那様の私室にございますっ!」
この愚か者が、と怒鳴ろうとしたウィルヘルムの声が、特別強い一振りで悲鳴に紛れて掻き消える。
悄然としている大柄な鴉を、うむ、と頷く事で西園寺は労う。体格の割に幾分羽根の艶がくすんでいる事から、おそらくは仕えの者達の中でも身分も年齢も上、云わばまとめ役の立場に当たる者だろう。
ともあれ、こうなれば話は早い。黙って先頭に立つ案内役に導かれ、西園寺は悠々と歩みを再開した。行進でもするような勢いで両腕を前後に繰り出しているが、片手にウィルヘルムが掴まれっぱなしである事は、改めて言うまでもない。時折「うぇ」「め」といった短い声が聞こえる。
後ろを歩く少年とカーラは無防備なのだから、捕まえようと思えばいつでも確保できるのだろうが、西園寺の周囲に結界でも張られているように相変わらず誰も近寄ってこないままである。気持ちは理解できた。
「こちらになります」
「助かる。ついでに私の大切な正装も持っていてくれるかね?――結構。
では早速家捜しを開始するぞ、カーラ嬢、少年!」
「あああ……」
全身を覆う死神装束を脱いだという事は、つまり暴れるぞという宣言である。これまで以上に。
道中も散々シェイクしまくったせいでぴくぴくと痙攣を起こし始めているウィルヘルムをぽいと床に投げ、慌てて集まってくる部下達を尻目に、西園寺は目につく片端から家具や調度品をひっくり返し始めた。見た目の豪華さ、推定される価値、いずれも一切お構いなしに。
探せと促されたものの、心境を一言で表せば「どうしろっていうんだよ」だったカーラは見守るに留める。少年も途方に暮れた顔で壊れていく部屋を見回していたから、似たような気分なのだろう。そのうち大鎌を壁に立て掛け、転がってきた椅子や絵画を遠慮がちに邪魔にならない脇に除け始めたのが、この少年の几帳面な性格を良く表していた。
というよりも、無闇に部屋を荒らす前に、案内してくれた執事じみたカラスに場所を聞けば良さそうなものだが、あちらはあちらで目を回している主の介抱に手一杯な様子であった。それとも、放っておいてもこの男なら勝手に見付け出すと判断したのか。確かにそれは正解だとカーラは思った。




