蹴り開けてクローズド - 3
「やめろ」
「はっはっは」
「やめろ」
「はっはっは」
「やめろ、やめろおぉぉ!!!」
「ところで場所はどこだね、ういろうヘルメットくんの住処は」
「やめろって言ってんのに場所聞いてんじゃねーよ!! この上揉め事に揉め事重ねてどーすんだっての!!」
背筋を伸ばし一直線に空を往く男が一人と、鳥なりの必死な形相で肩を引っ張り、腰に縋り、前に回り込んで何とかその進行を阻止しようと試みるカラスが一羽。
西園寺は飛んではいない、歩いている。すたすたと、空中を。堂々と空中を。
努力は買われるべきであろうが、いかんせん無駄な試みであった。人間の成人男性と標準的なハシブトガラスとの体格差を論ずる前に、歩き始めたこの男を止められる者自体が、そもそも何処にも存在しない。
ああせめて、せめてこの身がコンドルであったならと、何度目かの体当たりを胸板で弾き返されて己が小ささと無力さとを痛感したカーラは、強行阻止から一転して泣き落としとも取れる態勢に移った。
取れるというよりも、本気で泣きたかったのが現実である。
「なぁやめろ。本当にやめようって。後生だから。
今ならまだ間に合うんだ、立ち止まって良く考えて、そして思い直そうじゃないか、ねえ。早まったってなんにもいい事ないよ。そうだ、おとなしく帰ったら特製カクテルの作り方教えてやるからさ……」
肩にぎりぎりと爪を食い込ませながらの訴えは、高笑い一発であえなく退けられた。顔にくっ付かんばかりになっていた大きな嘴を、そっと手の甲で押し戻される。
「カーラ嬢、君の意志は聞かせてもらった。が、却下だ!
極めて重要な未来がかかっているのだからね、残念ながら今回は譲る訳にはいかない」
「うるせえバーカ!!
今回はって一回でも譲った事があったかい!? ないね! 全く記憶にありゃしないね!」
「ふむ、そうか。酒は優れた文化だが、程々に嗜むのが良いのではないかな。その特製カクテルは、新しくアルコールを抜いたアレンジを考えるようにしたまえ」
「記憶無いのは酒のせいじゃねーよこのオート酔っ払い野郎!
あんた生まれた時から脳内麻薬の元栓閉まった事がないんじゃないの!?」
揺り籠から死後まで。
無力を嘆きながらも叫び続けるカラス。それを壮行曲として、悠々と空中を歩む男。そして、そんな諍いを遠慮がちに見上げる、ふわふわした髪の下からの視線がひとつ。
「あのう……本当にボクも来ちゃって良かったんでしょうか……?」
「よかねーよ!!」
「ひゃっ! ご、ごめんなさいカーラさんっ!」
「あんたに言ってるんじゃないよ、あんたを掴んで飛んでるこのバカにだよ!!」
カーラの剣幕に思わず縮こまった少年は、西園寺によって小脇に抱えられて運ばれていた。見ようによっては誘拐されているようでもある。
この場に少年がいる事がカーラの怒りを増すのに一役買っているのは間違いなかったが、とはいえ矛先はあくまで半ば強引に、もう半ばは普段の調子で少年を連れ出してきた西園寺に向けられており、認識としては概ね「被害者同士」で一致している。そういう意味では、誘拐というのも然程的外れな印象ではない。
加えて、西園寺が全身を死神装束で固めている事が、尚更全体の怪しさを決定的なものにしている。相手の事務所に伺うからには正装で向かうべきだと、西園寺が強く主張した為こうなった。そこだけ真面目にしてどうするのだとカーラは頭から湯気を出したが、西園寺はいつだって真面目なのだろう。
そして、西園寺の特異な真面目さとは異なり正統な真面目さを持つ少年の立場からすれば、いかにお前には責任がないと言われても、こうも揉めているのを目の当たりにすると、当然ながら萎縮してしまう。
幾らか気落ちしたように表情を翳らせた少年に、西園寺は優しく言った。
「少年、君もいずれは我らが事務所の看板を背負って働かねばならぬ身。団体と団体との交渉過程は、直にその目で見ておくべきだろう。現場の空気を肌で感じるのは良い経験になる」
「団体じゃなくてこっち限りなく個人だからね。お願い話聞いて」
辛抱強く説得を続けながら、カーラは虚しさを感じていた。
いつだって真面目であるのと同じく、西園寺はいつだってカーラの話を聞いている。声の届く範囲である限り、聞き逃す事も、聞いていて無視する事も、聞かなかった振りをする事も決して無い。それはカーラに限らず、少年であれ真神であれ、誰の声に関しても変わらない筈だ。どんなに小さな呟きだろうと、聞いたからには見過ごさない。聞いて、そして、それと全く関係なく行動を決める。
聞くとは一体何だったのか。
「だいたいさ、いいかい? 本当に許可証があそこで足止めされてるのかも不確かなんだよ? ちゃんと確認できないうちは動かない。それが常識だし、先方にも失礼に当たる。そうだろ?」
「では違っていたら非礼への謝罪をした上で、許可証が今何処にあるのかを聞くとしよう。どちらにしろ出向く必要はあるようだ」
「これっぽっちもねーよ!!
なあ所長に任せようってば。もっかい問い合わせしてもらってさ、や、いつ返事くるかわかんないけど。それで本当に足止めされてそうだってなったら、なるたけ腰低くして前回の暴力を謝りつつお願いしまくって、譲ってもらうのが一番いいんだよ。うちみたいな所が波風立てたって、何も得るものなんかありゃしない……」
「ところで件の事務所の場所はどこだね少年」
「え、えっと、今いるのが45ブロック目だから、まずあと300メートルくらい北に行ってください」
「答えんなー!!」
「す、すみません!!」
「なるほど、その方角からカーラ嬢に近い気配が感じ取れるな。おそらく北西だね?」
「そしてあんたは何を感知してるんだよ!? 前にも言ってたけど気配って何さ!?」
「気配とは、存在が放つ匂いの差異だ。
この元西園寺貴彦現西園寺死ん太郎デス彦(26)ニックネーム・ゼロ、さる水産関係事業を新しく起こす際に、海面下を群れるマッコウクジラ達を船上から勘で五日間追跡した事がある。信頼してもらって結構だ」
「……あれって深海泳いでなかったっけ……」
遠い目をしかけたカーラであったが、西園寺が急に助走態勢を取り始めた為、慌てて肩を掴む足に力を込める。
全身を包む切れ目の無い布地。緩く担いだ巨大な鎌。旧式の死神装束を身に纏った男は、ビルと商店の立ち並ぶ上空を勢い良く駆け、そのまま飛行態勢に移る。地を蹴る如く空を蹴り、補足対象へと西園寺は翔ぶ。抱えた少年の歓声と、尾を引くカーラの悲鳴を後に残して。
「ウィルヘルム様、ウィルヘルム様っ!!」
「なんだ騒々しいっ!! ベルは二度静かに鳴らせと命じてある筈だ、無礼者めが!!」
「そ、それが……」




