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蹴り開けてクローズド - 1

苛立ちは収まらなかった。むしろ日が増すごとに、腹の底に溜まった濁りはぐるぐると渦巻き始めている。蹴り飛ばされた痛み、落下し、打ち付けた体の痛みは消えていたが、それと同時に発生した噂話までもは自然消滅するのを待つしかない。由緒ある一族の者が、死神にもなっていない人間の魂に叩き落とされた。そう囁き交わす声が耳に入ってきた時の憤怒と羞恥は、到底忘れられるものではない。

ウィルヘルムは、怒りのままに自室で酒を呷っていた。執務室とは名ばかりの、豪華な調度品に埋もれた広い部屋だ。

ひとつひとつが一食分にも相当するような、高価な肴をまとめて飲み下す。歯を持たない鳥にも飲み込みやすいよう細かく切られたそれは、味覚だけでなく食感においてもカラスである彼の嗜好に合っていたが、今はそれもただいたずらに腹を膨らませる以外の意味を持たない。

面白くない。まったく面白くない。あの日から消えない、胸の奥でくすぶり続ける怒り。


空になった皿に、ウィルヘルムが片方の翼を鬱陶しげに振ると、役目を終えた浮遊する円盤は静かに下がっていった。本来ならば空中に簡易的な足場を作る為に支給される品だが、ここでは荷運び等の用途でも使用されている。数は潤沢であり、不足するような事はない。名士を集めての会食の時など、ひとつに一皿の贅沢品を乗せて、それ自体を装飾品として使用する事も珍しくなかった。いかに美しく空間を表現するかが、腕の見せ所と言える。

それ程の権力を、思うがままに行使できる一族だというのに。

扉の横に佇む若い男がそっと目を伏せたのを、荒れながらもウィルヘルムは見逃さなかった。警備の者は、直立不動で前を見続けるのが役目。あれは重大な違反行為だ。この新月の一族の下に配属される栄光に預かった下仕えの下等な魂の分際で、身の程知らずにも無断で表情を変えた。

余程この場で追求してやろうかと思ったが、やめた。後で幾らでも責める事はできるし、あれに怒りをぶつけたところで、今の不快感が解消されるとも分散されるとも思えない。


「くそっ、あいつめ……」


ウィルヘルムの脳裏に、汲めども汲めども尽きない新鮮な怒りと共に、一人の人間の姿が浮かぶ。

訳の分からぬ暴言をまくし立てられ、無礼を満足に咎める間もなく昏倒させられる羽目になった。その為に自分が受けた屈辱は筆舌に尽くし難く、蛇の如き執念深さを以て破滅させたとしても、名誉回復には時間がかかる。しかも結局は最底辺相手なのだから、そうしたとて何ひとつ得るものがないではないか。

そも自分は選び抜かれた存在であるのだから、このような辺鄙な場所にいる事自体が本来は気に入らないのだ。広大な領地を束ねる新月の一族。ここもその管轄であるとはいえ、通過地点であって中枢ではなかった。いずれはエリートとして権勢を誇るのが約束されている身といえど、全くの未経験で上層には入り込めず、従って誰もが短期間、こうして比較的下に当たる部署で経験を積まされる。

だが所詮は慣わしに過ぎず、年数の経過で自動的に上へ運ばれていくとなれば、職務に熱が入る筈がない。

ウィルヘルムにとっては、現在の地位も役割も、そうしなければ上に行かせられないから消化だけはしてくれという、建前として就いているものに過ぎなかった。華麗なる一族皆が通過してきた道だと分かってはいても、自分がいるのはこんな僻地ではないという鬱憤は常に付き纏っている。


そこに、今回の事件だ。


厳正な処分、いやさ処罰を望むのは当然の話。

ところが、即座に各所から抗議を行った筈なのに、何かあったという続報を聞かない。処罰の意味がない程の零細事務所なのは知っていたが、そうして相手の無価値さ、惨めさをいかに見下そうと、この事態は気に入らなかった。かといって、完全に潰してしまうには理由が足りない。

親族に訴えてみはしたものの、こちらの恥でもあるからこれ以上は避けるという返答があったのだ。恥、である。よりによって存在している資格さえないような劣った連中相手に、新月の一族の自分が、恥だと!

いまだまともな謝罪ひとつ届けようとしない事務所の長。

この憤懣やる方ない事態においても尚、思い浮かべる行為自体に価値がない出来損ない二匹。

そして、あのイレギュラー。

奴の首に縄を掛け、事務所総出で直に謝罪に訪れ、床に頭を擦り付けて許しを請うのがあるべき光景だというのに。

おまけに、あろう事か死神にするという。

話を聞いて耳を疑った。例外というなら消してしまえばいいものを、意味がわからない。何もかもが気に入らない。どうにか、あの汚らわしい連中に一泡吹かせられないものか。

伸びた爪でがりりと腹を掻き、そして気付いた。


近くにあったベルに脚の爪を引っ掛け、ウィルヘルムは部下を呼びつける。

例の警備の男が、慌てて扉から半歩下がるのが見えた。


「おい、あの77地区の事務所はどうなっている。――違う、元からいる連中の事ではない! 馬鹿者が!」

新しく配属されたという人間の魂だ。申請手続きはどこまで進んでいるか?」


怯えた顔で入ってきた使いの者は、話が終わるや調べますと言い残し、慌てて去っていった。戻るまでの間、ウィルヘルムは爪でコツコツと机を叩き、近くにあったワインを啜る。一秒でも待たせない事が自分の運命への保証であるかのように、駆け足で下働きの者が携えてきた報告に、彼は満足そうに笑うと、嘴の端から酒に濡れた舌を覗かせながらヒステリックな甲高い声で指示を伝えた。


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