カーラの休息
ソファの背凭れに両脚で留まった姿は、器用に動き回る普段の彼女と比べて、ずっと普通の鳥らしかった。
フクロウ程ではないが、カラスの首も案外自在に上下左右へ動く。まずはよく使う右の翼の付け根を持ち上げ、脇へ滑り込ませるように頭を下げると、長い嘴の先端を使って風切り羽根の一枚一枚を丹念に、小刻みに噛みながら漉いていく。その度、擦れる羽の音が、すうっ、すうっと規則的に響いた。乾いていて、涼しげでもある音色だ。
それが済むと、次は胸元。ぐっとS字型に首を曲げ、風切り羽根よりもずっと小さな一枚一枚を、ひとつも漏らさずに整えていく。無骨な造形の太い嘴からは想像もつかない、細やかで繊細な作業だった。
外回りから戻ってきた西園寺が、そんな羽繕いの最中だったカーラを見て動きを止める。
「おや、これは失礼をした。もう一度外へ出ていた方が良いかな?」
「あん? 別に今は仕事時間じゃないよ、ほれそこ空いてる」
「君のプライベートな時間に踏み込んでしまった非礼を詫びている。女性のメイクタイムに土足で踏み入るべからずというのは、我が信条のひとつ。うむ、やはり出ていこう」
「いや出ていかんでいいからめんどくせぇ。あと羽繕いな」
相変わらずの謎の女性扱いもそうだが、今度はメイクときた。
突拍子もない言動の無い日が、死神になってから一日も無いような男である。カーラもいい加減に慣れて、この種の発言はぞんざいに聞き流せるようになっていた。今では苦笑を交える余裕さえある。
そもそも、個室に篭っていた訳でもなし。誰の目にも入る事務所の真ん中で堂々とやっていたというのに、プライベートな時間も何もないものだ。確かに今は、真神は昼に寝にいったきり自室から出てきておらず、少年は少年で、たまにはビルの前をお掃除しますと言い残して不在になっているとはいえ。
「んな時間かからずに終わるから、その辺で待ってて……ん、別に待ってる必要ないな。なんだこの会話」
「そうかね。靴を脱ぐ許しが出たというのなら、同室に留まるのも吝かではないとも」
西園寺は、よりによって真向かいのソファに腰を下ろした。再開された羽繕いを正面から眺められる位置。許可とやらが下りた途端にこれなのだから、つくづく極端から極端へと跳躍して前に進む男である。
いつもの無駄口が、ふっつりと途絶えた。静かなのは歓迎するが、こうも視線が途切れないと気にはなる。
なにさ、とカーラが羽を梳く合間に尋ねた。
「鑑賞しているだけだが」
「それは分かるんだけどね、見ていて楽しいのかっつーのが」
「楽しいとも、美しいものを眺めるのは。元よりカラスは虹の羽根を持つ美しい鳥ではあるがね。君の際立った輝きは、常に身だしなみを欠かさない気配りから生まれているのだろうな」
「だーから身だしなみって程じゃないっつーの。習性だ習性、外のカラスだってみんなやってる」
「私の見た限りでは、まともに爪も整えられない者もいるらしい」
「それそれ、それだそれ!
やたら褒めてくるのは、パッと浮かぶ比較対象が酷すぎるってのも絶対あるだろ、あんたの場合」
「おや、これはなかなか言う。あの言語道断な駄目ガラス氏の扱いに、君は慎重な姿勢だと思っていたが」
「っとと、今のは無し無しノーカン。いいな?
……まァでも、あんだけボロクソカスに汚いだのこき下ろされたんだ。少しは気にしてるかもよ、御大も」
羽繕いを終えたカーラはぐぐっと喉で笑い、顔を斜めに傾けて時計を見た。
まだ、午後の仕事を始めるまで時間がある。始業時間も終業時間もあって無いような事務所な為、あくまでカーラが自主的に決めている区切りで、という事だ。
カーラは背凭れから飛び降りると、ペタペタと床を歩いていき、ラックの一番下の段から箱を引っ張り出す。何の飾り気もない、所々の破れた小さな段ボール箱である。上に被せられたハンカチを嘴で摘んで退けて、どことなく気忙しそうに、いそいそと中身を覗き込むカーラ。
別段やめろとも言われなかったので、西園寺も立ち上がって箱に近付き、同じように中を見下ろす。
中身は――有り体に言って、ゴミとガラクタの詰め合わせだった。
カラスは光り物が好きだと良く言われる。
指輪やレンズ、ハンガーにガラス片、瓶の蓋。殊更光っていなくても、咥えて運べる小物類には目がない。中にはとんでもない量の”宝物”を巣に溜め込むカラスもいるが、カーラはそこまでの収集癖はなかった。
逆に言えば、全く無いという訳ではない。
カラスではあるが死神。理性が本能に依った行動を抑えているというのが正確なところである。
といっても、道に落ちているそれらをカーラが拾う事はできない。それらは人間の世界に所属するものであって、死神の側からの介入は基本的に不可能だからだ。
よって、カーラが入手できるのはこちら側の世界に所属するもののみであり、当然そんなものと巡り合う機会は限られている。何だかんだ職務には忠実なので、探し回りもしていない。相当裕福な事務所であれば、宝石だろうと黄金だろうと思いのままに集められるだろうが、茶葉ひとつに四苦八苦している零細事務所では、天地がひっくり返っても望むべくもない。今後もどうぞ宜しくお願い致しますと贈られる心付けの代わりに、中傷と嘲笑が浴びせられるだけである。
矯めつ眇めつ数少ないコレクションを眺めているカーラに、西園寺が尋ねた。
「カーラ嬢の秘蔵コレクションか。
なるほど、これらは君にとっての玩具であり装身具であり衣服なのだろうね。私はまだ見た事がないが、普段身に着けたりは?」
「まさか。カラスにゃそんな事できないし、第一邪魔だし、眺めるだけだよ。何、悪い?」
「いいや、身に付けるのならば私から選んで贈らせて欲しいと思ったのだが、しかし今の身分では君に合う宝飾品ひとつ買えそうにないな、と無念を嘆いていたのだよ」
「お前時々本気で気持ち悪いぞ……」
カーラは嫌そうに西園寺を見上げ、すぐに貴重な時間を無駄にしたとばかりに視線を戻す。
ひとつを嘴で摘んで床に置き、暫く眺めてはまた箱に戻す。時々幾つかを横に並べてみる。そんな事を、これ自体が仕事のような真剣さで、飽きずにカーラは繰り返していた。
その時、カーラが戻そうとしていたひとつを西園寺が素早く取り上げた。あっ、とカーラが声をあげる。
それは連なったビーズ玉に、千切れた細い鎖を通したものだった。長さは10センチもなく、いつバラバラに解けても不思議はない。形状からして、元はブレスレットだったのだろう。
「おい何すんだ、返せ」
「返すとも、ただし箱ではなく君に。
手がないなら私のを貸そう。羽では邪魔だというのなら、こうすればいい」
「ん――あ!? お、おいおい!」
西園寺は手を伸ばすや、ビーズをぐるりとカーラの脚に巻き付け、鎖の端を引っ掛けて留めてしまった。
一瞬だった。早すぎて抵抗する暇さえなかった。極めて手慣れている。
この男が人間の女に慣れているのは理解できるが、何故鳥の脚の扱いに慣れているんだとカーラは呆れた。
ともあれ有耶無耶のうちに巻き付けられてしまったそれを、カーラは最大限に首を曲げて確かめる。所詮はビーズなので軽く、動く妨げにはならない。巻かれた側の脚に、かさかさした違和感があるだけだ。
片脚を持ち上げて、下ろす。それから西園寺を見る。からかっている表情でもないので決まりが悪くなり、すぐにまた、カーラは脚へ目を戻した。鱗のような硬くて黒い皮膚に、カラフルで透明なビーズ。
まあ、目立つ事は目立つ。
「脚環? 伝書鳩かよ」
「アンクレットだと思いたまえよ。この場合、競うのはレース相手ではなく他の死神淑女諸君となるかな」
「何言ってんだか……仕事始まったら外しとくれよ。自分でやったらバラけちまいそうだ」
「うむ、請け負った。ご希望とあらば、カーラ嬢の脚周りにサイズを調整して作り直すが」
「定期的に装着するの前提やめろや」
世界には、拾い物を背中や腰に差し込んで自らを飾る鳥もいる。
ハシブトガラスはそういった鳥ではないものの、結果としてそういう状態になる事もある。




