映画『ハクソーリッジ』国内宣伝の忖度
「忖度」(そんたく)と言う言葉が、数か月前に流行っていた。
某学園の問題で「忖度」が有っただの無かっただので、随分荒れていたが、それは正直ノンポリを自認している私にとってはどうでも良い事だった。
ただ、「忖度」と言う、無学な私には聞き慣れない言葉には興味が出てきた。
調べてみると「忖度」とは、とどのつまり「他人の心を推し測る事」だそうである。
日本のように「本音と建て前」の国では、絶対必要になりそうなワードではないか。
たぶん、今までは「忖度」ではなく「気遣い」とか、そういう言葉を使っていたのだろうかと思う。
この「忖度」と言う言葉を、最近私はかなり身近に感じたことが有る。私にとっては、全く不必要な「忖度」だったのが、より印象に残った。何とか学園などより、よほど私には重要な問題だった。
私は映画ファンである。洋画も邦画も、面白そうであれば無い金と時間をやりくりして劇場に足を運ぶ。
そんな私が、どうしても見たい映画に出会った。今年のアカデミー賞の賞レースでも有力候補としのぎを削った作品で、戦争映画である。
戦争映画は嫌いではないし、何より今回の作品はもう一つ興味を抱かせる要素を持っていた。
「沖縄戦」の事を米軍側から描いているのである。
かつて硫黄島の戦いをクリント・イーストウッド翁が日米双方の視点で映画化したのが話題になったが、今回は米軍視点での沖縄戦。一体どういう内容なのか、興味が尽きなかった。何しろ予告を見ても戦闘シーンは『プライベートライアン』並みに激しいし、作品のテーマにも興味が出てきた。
しかし、この映画はとんでもない「忖度」を行っていた。
正確に言えば、映画は何もしていない。この映画を日本国内で配給する宣伝部門が「忖度」を行ったのである。
この映画は沖縄戦と言う、太平洋戦争中最も過酷な戦いを作品の舞台にしている。
国内配給サイドは、あろうことか宣伝で「沖縄戦」のワードを削除したのである。
これを最初に訊いたとき、私は直ぐにyoutube 等で確認してみた。確かに沖縄戦の文字は無く、チラシにも見当たらない。因みに「太平洋戦争」という言葉も大きくは出ていなかった。
「なんだこれ」
私は怒りを通り越してあきれ返る思いで予告編映像を眺めていた。
沖縄戦と言う言葉を使うのがいけないのか? 基地問題でぎくしゃくしているからか?
一応言い訳のような文章は後日ネットに上げられた。
いわく、沖縄県民の気持ちを推し測ったと言うのである。
映画の舞台は、沖縄戦の中でも大変な激戦地だった「前田高知」の戦いに重点が置かれている。この戦いで、宗教的理由で武器を持つことを拒否した衛生兵の主人公が、負傷した米兵を七十人以上救ったと言う実話をもとにした作品なのだが、事前にこういう情報を知っていた客はそれほど多くなかった。
「こんな映画だなんて聞いてない」と、デート中の女性が泣き出したというエピソードまである。
何故こんな事になったのか? 想像だが前田高知は一般住民の被害も大変多かった場所で、これらの「負の面」が全く描かれなかった作品だったことも影響していると思われる。これはアメリカ映画だから仕方がない。
ほかにも数多くの理由が有るのは承知している。しかし、私はそれでもこの「忖度」に我慢がならない。
こういった話は何も今に始まったことではない。戦時中の話はかなり教育機関でも腫物扱いされる部分があり、大体の日本史の授業は明治くらいで終わってしまうのがよくあるパターンである。
義務教育でこうだから、メディアの方でも、戦争と言うものの取り扱いが難しくなっていく。
その結果、日本はどうなったか? 日本と米国が戦争をしていたと言うのを知らない中高生・大学生・社会人を生み出してしまったのである。
「アメリカと戦争してたのを知らないなんてさすがに嘘だろう」と思ったが、実際には居る。かなり多く、居る。なぜならば、学校が教えなかったし、戦争体験者と若者の間に核家族化による隔たりが生まれたし、TVの戦争特集も組まれるのが少なくなり、結果日米戦争に関する知識に、ほとんど触れることなく育って行ったからだ。
今回の映画の宣伝の「忖度」は、今まで日本国内で長い時間をかけて行われてきた「忖度」をそのままやっただけなのである。
これは良い事なのであろうか。臭いものにふたをしたい気持ちは理解できる。しかし、太平洋戦争と言う、日本史の大転換期を教えず、日本がアメリカと戦争をしていたと知らない、戦前日本はどういう国だったのかも知らない人間が増えていくのは、想像しただけで背筋が寒くなる。日本人は自分の首を絞めているようなものだ。
この映画の宣伝には、当然ながら多くの批判が集まっているようである。
これが契機になって、戦争や近現代史を積極的には教えないという「忖度」が、減ってくれればいいと強く願う。困るのは他ならない我々日本人なのだ。
≪終わり≫