紙の箱庭
『 技術的特異点と箱庭
技術的特異点という言葉がある。
それは、人工知能が人類の持つすべての知能を超えた時、人工知能による知の探究が開始され、我々人間には想像もつかない知の世界が始まる瞬間のコト。2045年に、実際に到達すると言われている。
簡単に説明すると、こういうことだ。人間よりも、人工知能の成長と言うのは著しく速い。
人間が数万年かけて築き上げてきた歴史に対して、人工知能はわずか百年程度で追いつき、追い抜いてしまうだろうという。それらは少し前ならばSFの中の出来事でしかなかったが、チェス、将棋、そして碁といった、ほとんど無限大と言ってもいいほどの手数を持ち、今までコンピュータでは不可能と言われてきたゲームでの人間への勝利。さらに、音楽や言語、運転など、現在ありとあらゆる分野で開発が進み、それらで悉く人間を上回る成果を上げ始めている。繰り返すが、これらはファンタジーではなく、実際に起きている現実の出来事である。
そしてすべての分野で、人間が勝てなくなる瞬間・技術的特異点。それがだいたい、2045年頃だろうと言われているのだ。
そして、すべての面で人間を上回った人工知能は何をするか。
ターミネーターのように人間と戦うかどうかはともかく、必ずやるであろうことが一つだけある。よりよい人工知能の開発である。
つまり、人間が自分たちを補助するために人工知能を作り発展させたように、人工知能が自分たちを超えた人工知能を開発し始める。技術的特異点とは、これが完全に可能になる瞬間でもある。すると、出来上がった人工知能たちはさらに優秀な人工知能の開発を……といったように、人工知能の爆発的な技術革新が起き、世界の”知”というものが人間からは途方もない彼方の高みに到達してしまうだろうと言われている。
そうなったとき、我々人間の生活はどうなるのか。
いくつか予想はあるが、一つには、我々人類は”箱庭”の中で生きてゆくであろう、という論がある。
これまで、人間が何かを考えることは、人間の生活を豊かにしてきた。
しかし、人間を圧倒的に上回る存在としての人工知能が完成すると、人間が自分で考えることが意味をなさなくなる。人工知能に考えさせた方が、よりよい答えを導いてくれるからだ。それはすでに”チェス”や”将棋”では顕著に起こっている。将棋では数年前までは互角と言われていたが、今ではプロですらが人工知能という”お手本”に照らし合わせながら、将棋を学ぶ時代になった。
これからはもっと身近なことでも、そう言ったことが起こってくる。たとえばSiriに「今日のごはん何がいいかな?」などと聞けば、あなたの体調、好み、これまでの食生活、健康、予算そしてあなたの気分まで全て考慮した上で「ラーメンなどいかがでしょう」と返してくれる、そんな時代が来るのだ。あなたが答えるべき答えはたった一つ「俺もそう思ってたよ」である。
そうして考えること、が意味をなさなくなった時、本当の悲劇がやってくる。
考えてほしい。あなたは小さい子供だ。一人の優秀な親がいる。何をやるにも、「こうしたほうがいい」「こうすれば上手くいく」全て指示をしてくる。うんざりだ。そして実際、その通りにすればうまくいってしまうのだ。
実際の親と子の場合、親が正しいとは限らないのが救いだ。時々本当に、自分で考え実行した方が正しい場合がある。そう言った成功が自信につながり、やる気へと繋がる。
しかし、相手は人間を遥かに超越して進化した人工知能で、人工知能の言った通りやれば必ずうまくいく、となるとどうだろうか。人類の大半は、いずれ考えることを止めるだろう。別の喩えをするなら、ゲームの発売日にすでに完全なwikiが完成している状況だと思って頂いてもいいだろう。
そうしてそれですべての人間が幸せになれるだろうか……? 答えはNoである。
たとえば、誰かとかけっこをするとする。二人とも勝ちたい。しかし、二人が争えば、勝つのは一人。どんなに最善を尽くしても、満足が得られないという場合が、世の中には存在するのだ。
そんな人類の最後のよりどころとなるものが「箱庭」だ。
箱庭はバーチャルリアリティの世界である。それらはお互いに独立で、それぞれがその世界の主人を満足させるためだけに作られている。時には成功もするだろう。成功だらけの世界では満足は無い、時には失敗もあるだろう。それらは全て、主人を満足せるために、その主人のためだけに作られたプログラムだ。
人類は幸せを求めるため、それら「箱庭」に最後の希望を託すだろう。
これから我々人間は知の先端を生きる、知を司る存在ではなくなる。我々は人工知能という”知の神”が囲った塀の中、箱庭を生きてゆく存在となるであろう。
著・×××× 19XX~』
放課後のチャイムが響く。
俺と実は、前の単元で使った教科書を閉じ、ため息をついた。
「なんか、怖えな。マトリックスじゃん。あの人間発電所」
実が言った。
「そうかな」
外はもう薄暗い。北海道の冬は、午後四時前には真っ暗になってしまう。
「そうかなって……お前も読んだんだろ、教科書」
俺の口からは、また、はぁ、とため息が漏れる。
「そんなの関係あんの、一部の優秀なヤツらだけだよ」
「……どういうことだよ」
ビィィィ。ビィィィ。スマホが揺れる。ラインだろうか。
開いてみると、登録した覚えの無い会社からの広告メッセージだった。
「スマホ。どうやって出来てるか、知ってる?」
「何だよ、急に」
突然の話題に実は戸惑う。
「いや、しらん。多分、電池とか、チップとか、だろ?」
「じゃあさ。仮に全部知ってたとして、作れる? 一から」
俺はメッセージを削除しながら言った。
「いや、……ムリ」
「じゃあさ、ジュースの缶、弁当箱、シャーペン、黒板、チョーク。なんか一つでも、お前作れる物ある?」
「ない」
「だろ」
俺はスマホをしまうと、帰宅の準備を始める。
「俺たちさ、とっくに、俺らよりバカみたいに頭いい連中とか、わけわかんねー物に囲まれて生きてんじゃん。これ以上頭いい奴が増えたってさ、変わんねーよ、俺らは。俺らの生活は」
「そうかな……」
実の奴はまだ納得していない。俺にとっては、そんなことどうでもよかった。
「それよかさ、お前買う? モンハンの新しいヤツ」
「ああ、買う買う」
こうして俺ら帰宅部員は、無事その帰宅活動を終える。
俺はふと、教科書の内容を思う。
何が、これからの人類は箱庭にすがる、だよ。
あれを書いたヤツはバカだと思う。
だって、その「箱庭」と同じものを、俺たちは知っているんだから。
箱庭はこれからできるんじゃない。すでに存在する。
俺はふと、3DSに古いマリオのロムを差し込む。
俺がマリオをクリアする。
実もクリアする。
世界中の奴が、マリオをクリアする。
その楽しさは、誰もが味わうことができ、俺がクリアをすることは、誰の喜びを奪うことでもない。
もし人類が箱庭に縋って生きるというのならば、すでに見つけているんだ。
ゲームと言う形で。
そして、俺は今日も「なろう」を読む。
そこに書かれているのは、主人公たちの冒険記。恋愛譚。
ルディの、ソーマの、蜘蛛の……無数の主人公たちの物語。それを読んだ俺に、そしてすべての読者に、素晴らしい爽快感を、感動を与えてくれる。俺が読むことで損をする人間など、誰もいないんだ。
ゲームと同じ。読者全てに、その冒険の一部始終を与えてくれる。
小説と言う空間は、紙の上に造られた箱庭だ。
だから、俺も作ろう。
パソコンに向かい。スマホに向かい。ケータイに向かい。
上手くいかなくても。
今日も一人。
そして、みんなで作る。
紙の箱庭