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死霊のわたわた  作者: 塔之借名
第一章
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第一話 北の穴から①

 絢爛たる王都から遠く北の果て。『巨人の牙』と称されるグレンデル連峰の山肌には、凍てつく空に向けて無数の虚が口を開けている。異邦からの侵略が盛んであった『黒の時代』に、彼らに使役された小牙鬼族(ゴブリン)によって北の山脈に穿たれたという『戦線迷宮郡(メズティオン)』である。

 だがそこに軍場(いくさば)としての威容は無い。古兵器の残骸が地に打ち捨てられ、敵を阻む血塗れの罠は苔むしている。かつての大戦から長い時を経て異形の前線基地としての役目は終わりを告げ、今では町を追われた無法者共の巣穴と成り果てていた。


 そんな未開の地に無数に存在する穴ぐらの一つに何者かが住みついたのはつい数日前の事である。


「銀に雫。火に礫。我掲げしは紫檀の王杯。オルムの雲は月を覆い、灰の都へと道を繋ぐ。向かい四辻の精霊よ、歌い、踊り、巡り給え……」


 静謐な闇の中に朗々たる祝詞が響く。

 その声の主の名はキスラ。自らの奉ずる魔導の道を究めんが為、つい先日神の慈悲の手を振り払い王都を背に旅立った死霊術師の少女である。

 彼女が王都の召喚士に依頼をし、異世界の霊魂を召喚してから一月ほどの時が経過していた。その長い旅路と労苦の果てが、まさに今実を結ばんとしている。そしてキスラの儀式は遂に佳境へと至り、渦巻く魔力の奔流は紫黒の色を纏った。


「出よ、出よ、出よッ! 死を越え影を喰らい顕れ出よ!」


 闇の中に眩い閃光が走り、キスラは身じろぎもせず黙してそれを見つめる。そして光が消え去った後には、儀式に用いた魔法陣の上に淡い色をした赤子の頭ほどの大きさの光球が浮かんでいた。


「おお……っ!」


 思わずキスラの口から感嘆の声が漏出る。成功――そう確信したキスラは一人で深く頷きながら、しばしの間感慨深げに漂う光球の姿を見つめた。


 だがそんなキスラの魔導人生絶頂の瞬間は、光球が発した声で一瞬にして霧散する。


「……だあるぅい」


 何とも気の抜けた声が、不死の秘術の使い魔から聞こえてきた。キスラは何か虫の羽音でも聞き違えたかと思ったが、そうではない事にすぐに気づく。


「もうダメぇ。ホント無理ぃ……」

「もう働きたくないのに……」

「明日から本気出すからぁ……」


 同様の間抜けな声は他の光球からも聞こえてきたのである。


「な、何だこれはッ!」


 キスラは我も忘れて狼狽えた。光球達の様子は、死霊の二度目の産声としては全く想定外の反応だったのである。

 これが恨みつらみや怒号なら問題は無い。死霊というものは通常、激情を内に抱えて存在するものだ。それが正であれ負であれ、感情こそが力の源泉となる。

 だが、聞こえてくるのは弱音と愚痴ばかり。どれもこれも全く気迫というものが感じられない。これでは折角形をもったエーテル体として顕界していても、すぐに魔力が大気中に霧散して消えてしまうだろう。


「お、おかしい! 私の儀式は完璧だった筈だッ!」


 ならば何が悪いのか。ぶつぶつと口に出して考えぬいて、キスラは一つの答えを導き出した。手順に問題がないのなら、元になる素材に瑕疵があったとしか考えられない。高潔で意思の強いな魂を用意して術式の要とした筈だが、目の前の光球達はどれも精神的な気高さというものが欠けていた。

 脳裏に浮かぶのはまるで商人のように手揉みしながら媚びへつらう王都の召喚士の姿。あの時キスラは素材となる魂に詳細な条件を付けていた。そして召喚という技術は条件を厳しくするほどに高度な霊媒が必要となるものだ。


 しかしもし低級品の召喚物を客に騙し売りするのならば、必要経費の霊媒の分だけ丸儲けである。


「もしかして、騙された……? 騙されたぁッ!」


 北の大地の穴ぐらの中から、天空の雲をつんざかんばかりの怒声が鳴り響いた。


「くぁあーッ! ざっけんなあッ!」


 キスラは激怒した。自慢の銀の長髪を振り乱し、暗い穴ぐらの中に光の軌跡を描いている。もはや彼女が人前で必死に演じてきていた「知的な魔女」の姿はそこには無かった。


「やってくれるじゃないか、あの三流召喚士めっ! 詐欺師紛いのマネしおって! うら若い乙女を騙すとか、魔術師としての誇りはないのかッ!」


 これでは断腸の思いで投じた祖母の遺産も、遠い祖先へ誓った悲壮な決意も、その全てが水泡に帰してしまう。キスラは涙と鼻水を拭いながら、どれか一つぐらいは使えそうなものがないものかと光球達を隅から隅まで調べつくした。

 だが神に背いた報いなのか、そんな幸運は万に一つもキスラの元では起こりえないようである。生ごみを調理しても、生ごみ以上の料理が出来る道理はない。光球達はどれもぶつくさと世の不平を述べ立てるばかりで、まともな意思疎通すらも困難だった。


「うう、あんまりだぁ~。私が何したって言うんだ。真面目に死霊術師やってたのにぃ……」

「それが原因じゃないですかね」

「うるさい! 死霊術の何が悪いッ!」

「とりあえず道徳と世間体は最悪なんじゃないでしょうか」

「何だお前はさっきから! 人の揚げ足とって楽しいかっ」


 口角からツバを飛ばしながらキスラは不埒な声の方へと顔を向けた。それと同時に涙と鼻水のゲル状の混合物が勢い良く飛び散り、べちゃりと音を立ててそこにいた何かを汚す。

 キスラは涙で曇った目を擦りその音の正体を探ろうとするが、そこには魔法陣とその上で漂う失敗作の姿しか無い。

 

「ひぃっ、汚なッ!」


 悲鳴を上げたのはゲルまみれになった光球の一つだった。

 キスラは未だに疑心から抜けだせず、涙で曇った目元を何度も拭う。目の前のゲル状の何かに包まれた光球は、そんな呆けた顔のキスラに抗議の声をぶつけている。声を上げたのは確かにこれで間違いがないようだった。


「お、おおっ! 成功だ! 無事なヤツがいた!」

「……たった今無事ではなくなりましたけどね」


 不満気にキスラの声に答えながら、ゲルまみれの光球はキスラのローブの裾で自身の体を拭った。明確な意思と感情をもって行動している証だ。

 キスラは満面の笑みでその光球を踏み潰すと、朗らかな顔を上と向けた。


「神よッ! 感謝致します!」


 一度神に背いておきながらも、キスラは無責任に天上の主への賛辞を述べ立てる。それを咎めるかのように、北の空には次第に暗雲が立ち込めるのだった。

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