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死霊のわたわた  作者: 塔之借名
序章
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序章 死霊の召喚

 重苦しい鉄の扉が開き、生ぬるい風と共に甲高い叫び声が飛び込んできた。絶望と諦観の声。負け犬の調べである。


「どうです。イキが良い証拠ですよ」


 男はいっそ嫌味なまでに胸を張りそう言った。その言葉には答えず、女は烏羽色のローブの中で静かに思案する。そうしてたっぷりと間を開けた後に深く頷き、虚空を見つめながら闇の中へ厳かに声を響かせた。


「大言を吐くだけの事はある」


 ローブの女に悟られよう、男は静かに安堵の息を吐き出した。

 

 男はこの界隈ではそれなりに知られた召喚術の大家の出である。しかし若気の至りで家を飛び出してからというもの、どうにも運の巡りが悪くてしょうがなかった。気がつけば先祖代々の研鑽を積んだ高度な技術も埃をかぶり、今や町の手間仕事で糊口を凌ぐ毎日である。

 そうした鬱屈した日々の中でも、ふとした拍子に過去の栄光を胸の内に呼び覚ます仕事が舞い込む事があった。他の魔導の徒に依頼されて、異界への門を開く召喚士としての仕事である。使い魔や希少な錬金術の素材の為、こうした依頼には一定の需要があった。

 しかしその数は年に片手で数えるほどでしかない。その僅かな機会の中でのみ召喚士としての己の腕前が評価され、値札がつけられる。自然と依頼を受ける度に男の意気込みは深くなった。そして今回は今までに無いほどに難しく、また大口の依頼だったのだ。


「恐縮でございます。触媒の細部に至るまで拘り抜いた甲斐がありました」


 今度は去勢ではなく、真に心から誇らしげに召喚士は語った。


「良い仕事には相応の報いがあって然るべきだな」


 ローブの女は男の顔を見ず、その手の上にそっと赤い皮袋を乗せた。その口を縛る紐が解かれると、七色の小さな宝石達が闇の中で眩い煌めきを見せた。召喚士の顔がにへりとだらしなく歪んだ。


「しかし一体何に使うのですか? わざわざ異界から、魂など召喚して」


 支払いが滞り無く済んだことで気が緩んだのか、召喚士はそんな事を口走っていた。そしてはたと気づく。客の事情をあれこれと詮索するのは多くの場合好ましく無い行いだ。特に今回のように如何にも訳ありの客の時は。

 召喚士が恐る恐る手元の宝石から顔を上げると、いつの間にかローブの女がこちらに向き直っていた。雨に打たれたかのように黒く塗りつぶされたローブの奥底の表情は杳として知れない。


「……墓を暴く時は口と耳を塞ぐものだ。少なくとも私達(・・)はそうする」


 そしてローブの女は憮然とそんなことを宣った。それからまた静寂が辺りを支配し、闇は重さを増し、ただただ冷ややかな時が流れた。

 召喚士は自らが竜の鱗を撫でるようなマネをしたのだと覚った。


 魔導の神秘の礎として、魂やそれに類する霊媒を用いる事はそう珍しくはない。土人形に魂を込めて操る『ゴーレム』や、伝説に謳われるドワーフの名工の手による意思持つ武具がそれにあたる。それらに卑小な技術体系を合わせれば更に枚挙に暇がない。

 しかしそれら神秘の御業に対し、死の穢れを匂わせる不吉な言葉を被せる者達と言えば、導き出される答えは一つしかない。


「もしや貴方様は死霊術師(ネクロマンサー)であられるのですか」

「覗き見るなというに。不逞な輩よ」


 だが問われて恥じるべき生まれではないと、ローブの女は肯定の笑みを返した。布越しのくぐもった不気味な声に、召喚士は恐怖し思わず足を引いた。


「何もそう怯えることもあるまい。我が身に何ら咎められる罪など有りはしないのだから」

「しかし、その、死者の魂を『死霊術(ネクロマンシー)』に用いる事は教会法が禁じております。協力した者も同様に罰せられると!」


 召喚士は震える声で必死に訴えた。『死霊術』は『穢れの術法』の一つとされ、教会は関わる事それ自体を禁忌とみなしている。


「後で面倒事には巻き込まれたくないと? 案ずるな。そなたは召喚士だ」

「それが免罪符になるとでもおっしゃるおつもりか。間接的にでも死霊の業の成就に協力してしまう事に変わりはありません。知らなかったなどと言い逃れをしても、教会は聞く耳も持たずに私を火にくべるに違いないんだ!」

「こうまで言っても分からぬか? 教会法ではこう定められている。セルト神の加護を受くる者を穢れの泥に沈めてはならぬ、と。御主はこれを何処から呼び出した?」


 ローブの女はくつくつと笑いながら眼前に厳重な封印を施した大瓶を持ち上げた。分厚い硝子の向こう側では、異界の魂が綿毛のようにフワフワと気ままに踊っている。


「……あ」

「そう、異界の魂はこちらの神の加護など受けてはおらぬ。わざわざ金と手間を掛けてゴーント家の倅に大仰な儀式をさせたのはその為よ。屁理屈と言えばそれまでだが、申開きは如何様にも立つであろう。加えて言うのならば小奴らを守る王もおらぬ。そも訴え出る権利と義務を持つ者が居ないわけだな。その点、御主はいざとなれば実家と領主に泣きつけばそれで良い。身の振り方を考えなおす良い機会になるのではないか」


 皮肉には努めて無視をして、召喚士は黙して考えた。

 それでも教会はうるさく言うかも知れないが、ローブの女の言葉通りそう強気にも出れない筈だ。召喚士は頭の中でそう計算をして、この事を腹の底に収める事に決めた。


「分かりました。よもや禁じられた『死霊術』に用いられるなど、一介の召喚士たる私如きには想像も出来なかった事です。それでよろしいですね」


 そう言いながら右手の上の宝石たちを握りしめた。結局の所、全く反故にするにはこの商談は美味しすぎたのだ。


「善哉である」

「しかし貴方様もお人が悪い」


 召喚士のその言葉はからかい半分、恨み半分というところだった。


「魔導の徒が他者に謀られた事に憤るか。悪魔の前でも同じ台詞が吐けるのなら見ものだがな」

「……左様でございますね」

「ここまで話したのは私なりの誠意だったと思ってくれ。まぁ私も愉しませて貰った事は否定はしない」


 そこでローブの女はフードを外し、初めて顔を顕にした。漆黒の闇の中に月の光から紡いだようなか細い髪が踊った。


「私は『騙された』と驚く男の顔が何より好きでね」


 白金に輝く髪をかきあげながらローブの女は笑う。召喚士は年甲斐も無く顔を朱に染め、目の前でくつくつと笑う少女を呆けた目でいつまでも見つめていた。


 それからしばらくの時が経った後のこと。召喚士が気がついた時には手の内にあった七色の宝石は床に零れ落ち、禁忌の魔女の姿は幻想のように消え去っていた。

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