色
僕の家とは反対の電車に乗って二つ目の駅を降りて、数分歩いた所に宏美さんが大家の貸しアパートがある。一階にある宏美さんの部屋をヒデ兄がノックした。
「彼氏だったら合鍵ぐらいもらっとけよな。」
僕がヒデ兄の横っ腹を小突いた。
「うるさいな、持って出るの忘れたんだよ。」
ヒデ兄が『ふん』と言っていると奥から『はい?』という返事と共にドアが開いた。
「なんだ秀樹か、鍵ぐらいちゃんともってこい出てよね。」
「怒られてやんの、宏美さん晩ごはんご馳走になります。」
僕は宏美さんに向かって手を合わせ、遠慮なく宏美さんの部屋に上がった。
「今日は私張りきって作ったから沢山食べてね。」
「もちろんですよ。」
ふと足元を見ると宏美さんとはサイズが少し違う女物の靴が一足チョコンと並べられていた。
「誰か来てるのか?」
ヒデ兄も知らなかったらしく、部屋を覗き込んだ。
「実はちょっとヒロ君に紹介したい人がいてね、会ってくれる?」
そういうことか、僕は小さくため息をついた。
「部屋まで来て会わずに帰るのは相手にも失礼だろ。」
そう言って僕は部屋に入っていった。小さな部屋の真ん中にある長方形のテーブルの向こう側に、その人は長い髪を肩に乗せ、細い足を二つ折りにして座っていた。
その人を見たとたん、僕の真っ白だった心の中に筆がサラッと触れた感じがした。
「彼女は進藤由紀さんよ、私の大学の後輩でいつも堤防で海を見ているヒロ君と話がしてみたいて言っててね、今日呼んだのよ。あれ、ヒロ君?」
僕はいつの間にか鞄からキャンパスノートを取り出し『進藤由紀』を描いていた。僕の心の中に色が付いていくように、僕はこの人に『恋』という色に染められていく予感がした。