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その4 No hint


 夏休みが終わると、華里大学付属高校では体育祭が開かれる。夏休みの後半から、生徒達は各々役割に分かれて準備を始めていた。男子の応援合戦、女子のマスゲームはプログラムの中でも注目を集めており、その他には各色のシンボルとなるマスコット作り、衣装班など様々な役割がある。彰は衣装班だった。

 1年2組は青、赤、黄、黒の4色のうちの赤組に所属している。生徒の人数が多いため、1人が出場しなければならない競技の数は2種類しかない。

 だが、運動が得意な生徒には、他に重要な役目を担わされる。5月に行われた体力測定で100m走のタイムが速かった生徒を、それぞれのクラスから男女4人ずつ学年別リレーに選出することになっているのだ。また、色別リレーは各色に属する組から学年ごとに選りすぐりのランナーを男女2人ずつ決める。今年は異例なことに、赤組の1年生ランナーには彰のクラスから木高蓬(きだかよもぎ)明石美鈴(あかしみすず)の二人が選ばれ、そして男子は前野浩二と宮津郁が選ばれた。3クラスある中で、まさかの2組の生徒だけになったが、クラスの皆は、この4人が出れば優勝間違いなしだと太鼓判を押した。

 そして体育祭当日、午後の競技が進められている中、彰は来賓席のテントにいた。その手には湯のみがあり、視線は前方にいる来賓のハゲ頭とバーコード頭に向かっていた。ここで注意しておくが、彰はオジサンたちの後頭部を見る役職についたわけではない。実は茶道部の仕事には、体育祭の間、来賓と教員達にお茶を出すという仕事も含まれている。そう、お茶だしだ。ポットに入っている冷茶を湯のみに注ぎ、来賓に渡し、返ってきた湯のみを洗う。この地味な行為を繰り返す。

 今日は天気が良く、日差しも強いので水分補給が欠かせない。茶道部の先輩と春海とともに、顧問の菅野の指導のもと仕事に励む。来賓席のテントの隣は休養所として、保健委員と養護教諭が待機している。顔を小麦粉まみれにして走る女子生徒に、心を痛めていた彰は菅野から、休養所に冷茶を差し出しに行ってきて欲しいと頼まれた。

 休養所に行くと、小埜は怪我をした男子生徒の手当てを終えて追い払って――いや、見送っていた。

 「小埜先生、お疲れさまです。お茶を持ってきましたよ」

 「なんだ駒沢か。俺は冷たい茶よりも熱いコーヒーの方が良いんだがな」

 「無茶言わないで下さいよ。大体、コーヒーを入れるのは茶道部の仕事じゃありません。コーヒー部に頼んで下さい」

 「そんな部、あったか?」

 「無いですけど」

 どうぞ、とパイプ椅子に腰かけている小埜に湯のみを押しつける。小埜は猛暑日にも関わらず、上下黒で、その上から白衣を羽織っているのに涼しげだ。保健委員にも茶を渡した彰は、適当に空いていたパイプ椅子に腰かける。

 「駒沢。お前、そんな格好で暑くないのか?」

 小埜の問いかけに彰は目を丸くし、自分の格好を見て笑った。こんな暑い日に長袖の体操服に長ズボンを身につけているのは、彰だけだろう。

 「紫外線に弱いんです」

 「そうか」

 彰の答えに、小埜は深く追求することはしなかった。彼の、あっけない態度に驚かされる。

 「何も聞かないんですか?」

 「聞いて欲しいのか?」

 眼鏡の奥の瞳が、彰を真っ直ぐに射た。全てを見透かすような眼差しに、苦笑いを返すしかできなかった。

 健康診断で健常と表示されるようになっても、まだ駄目なのか。知り合って間もない小埜に誤魔化しがきかないのなら、長い時間を共有した幼馴染に見破られるのも無理はない。

 (ああ、悔しいな)

 唇を噛み締めて、膝の上に置いた拳を強く握った。唇が、無自覚に想いを紡ぐ。

 「軽い運動はできるようになった。走るのも短時間だったら問題ない。日に当たり続けると気分が悪くなるけど、すぐに治まるようになった。なのに――」

 (なのに、どうして?どうして、私の身体は、弱いままなの?)

 「こんな身体じゃなかったら、もっと、もっと側にいられた」

 誰の側なのかは言わなかった。呼吸が荒くなる。胸が苦しい。それでも溢れ出す想いは止まらない。

 「もっと、もっと側にいてくれた」

 それはどうだろう。自分の言葉に、疑問を投げ掛ける。

 徐々に開いていく距離。手を伸ばしても触れられなくなった時には声すら届かなくなって、追いかけても縮まることはない。耐えられなくなって、いつか背を向けてしまうのは、自分の方なんじゃないか――。

 「落ち着け」

 ふわりと消毒液の香りに包まれたかと思えば、視界が真っ白に埋め尽くされた。何が起きたのか分からずに放心していると、背中を軽く叩かれた。

 「大丈夫だ。お前は強い。だから、お前も大丈夫だ」

 俺が保証する、と白衣越しに優しい言葉が届く。「大丈夫ですか?何かあったんですか?」という保健委員の心配そうな声に対し、小埜は「気にするな」と応えた。

 ぽんぽんと背中を叩く手に甘え、彰は小埜の腕の中に収まったまま、涙を流した。



 「――おい駒沢。お前の幼馴染が出てきたぞ」

 しばらくして小埜が動いた。彰は頭から被せられた白衣をずらし、モグラの如く顔だけ出す。前野と話しながらアキレス腱を伸ばしている郁の姿が遠くに見えた。休養所のテント側には、蓬と美鈴がいた。応援合戦の後にあった学年別リレーで赤組の勝利に貢献した面子が揃っている。

 〈今から、最後のプログラムの色別リレーを始めます。選手の皆さんは、それぞれの位置で待機して下さい。繰り返します――〉

 放送部のアナウンスが響く。彰が出る競技は午前中に既に終わっている。後は茶道部としての仕事だけだ。自分の持ち場に戻ろうと白衣の裾を掴むと、小埜に止められた。

 「いいから、そのままでいろ。菅野先生には後で、俺から謝っておいてやる。――まあ、逆に感謝されるだろうけどな」

 「どういうことですか?」

 「すぐに分かる」

 にやりと口の端を吊り上げた小埜に、彰は首を傾げる。赤組のスタートを切るのは前野のようだ。頭に赤のハチマキを巻き直し、スタート地点に立って柔軟体操をしている。学年別リレーと異なり、走る順番は各色によって任せられているので、3年対1年の組合わせもあり、毎年盛り上がっている。

 小埜は脚を組んで選手たちを眺めた。仕方ないので彰も座ったままでいると、蓬が彰に気がついたらしく、後ろで1つに束ねた長い黒髪を揺らして手を振ってきた。

 「彰ー、そんなとこにいたんだ!どこに行ったのかって探してたんだよー!」

 底抜けに明るい笑顔に癒され、彰も手を振り返す。勢い良く手を振っていた蓬は、ふと動きを止め、ものすごい速さで休養所のテントに向かって走りだした。学年別リレーで見せた走りよりも凄いと思ったのは彰だけではないだろう。

 「ちょっと、蓬!どこ行くの!もうすぐリレー始まるのに!」

 美鈴が慌てたように蓬の後を追い、彰を見つけて声を上げた。

 「休養所って彰、具合でも悪くなったの?」

 蓬と美鈴は中学からの友人であり、いつも暴走しがちな春海と蓬を、彰と美鈴が冷静に止めるという関係で成り立っている。たまに彰も暴走することがあるが。

 「ううん。お茶の差し入れに来ただけだよ」

 「そう」

 お疲れさま、と頭を撫でられる。一人っ子の彰にとって姉的存在である美鈴は、飴細工のような色で細い髪を横に1つに束ね、モデル級の小さな顔を疑問に満たした。

 「何もないならいいけど、それより、その白衣どうしたの?」

 「あーらあらあら。小埜先生ったら、彰のこと口説いてたんじゃないんですか?あーあ、愛しの彼女に怒られますよー…って、ああ、そういうことですか」

 美鈴の横でけらけら笑っていた蓬は、突然、瞳を煌めかせて体の位置をずらした。「何か悪い予感がするんだけど」と美鈴が呟きつつも、体を動かす。二人に塞がれていた彰の瞳に郁が映った。スタート位置に立っている前野と何かを話しているようだ。さりげなく郁から視線を外して、蓬と美鈴に、そろそろ戻った方がいいと言いかけたまさにその時、アナウンスが鳴った。

 〈赤組のリレー選手、さっさと位置につきなさい。リレーを始められません。休養所のテントにいる、そこの二人、あなたたちです。早く戻りなさい〉

 凛とした声でアナウンスを読み上げたのは英語教師の阿久津だった。全校生徒の目が休養所に注がれる。当然リレー選手たちもだ。来賓席のテントと休養所のテントの間は衝立で仕切られており、他の教員や来賓客から小埜と彰は見えず、美鈴と蓬だけ見えていた。

 「蓬、戻るよ。これ以上、変な注目を浴びるのは嫌」

 「はいはい。とりあえず目的は果たせたから戻るとしますか。祥子先生も、いいタイミングでアナウンス流してくれたし。小埜先生、これに免じて彼女には黙っててあげますよ。じゃ、彰、勝つから見ててね!」

 一仕事終えたと言わんばかりに堂々と去っていく。二人の背中を見ていた彰は訳が分からず、小埜に尋ねた。

 「小埜先生の彼女ってどんな人ですか?ってそうじゃなくて。一体、どういうことなんですか?」

 「どういうことだろうな。あいつの機転の良さを、少しでも勉学に生かしてくれたらいいんだが」

 「小埜先生、私の質問に答えてくださ――」

 再び、真っ白な世界に包まれた。

 「もう、何するんですか!」

 抵抗しようと手を動かすと、頭に腕を回されて「じっとしてろ」と制された。スターターのピストル音と同時に拘束が緩められ、白衣から顔を出して小埜に非難の視線を向けるが、当の本人は我関さずと選手達を観察していた。彰も諦めてグラウンドに目を凝らす。

 第一走者の前野は余裕の表情で先頭を切り、そのまま美鈴にバトンが渡された。美鈴の勇姿を目で追っていた彰は、走り終えた前野が土に汚れるのも構わず寝転がり、腹を抱えて爆笑していることには気づかなかった。

 美鈴から2年の女子にバトンが渡り、1位を持続したまま3年を通して蓬に繋がる。軽い身のこなしで風を切って走る蓬の姿に、嘆息していると、小埜に頭を小突かれた。

 そうして白熱していくリレーに、突如、変化がもたらされた。1位を保っていた赤組が、バトンミスで3位になってしまったのだ。赤組のテントから悲鳴が上がる。他の選手がアンカーに最後のバトンを渡していく中、赤組アンカーの郁は、いつもと変わらぬ様子でいた。他人から見ればそうだったろうが、彰だけは違和感を覚えた。

 (郁くん、なんか苛立ってる?)

 負けず嫌いな性格なのは昔から知っているが、最近は、そういった感情を人前で表すことはしなくなったはずだった。どうしたのだろうか。

 〈赤組、アンカーにバトンが渡りました!黒組も、その後に続きます!さあ、最後の勝負です!〉

 放送部のアナウンスにも熱が入る。先を走る青組と黄組のアンカーは、どちらも運動部の男子で、つかず離れず同じ位置に並んで走っていた。

 郁も後を追うようにして、ひとつ目のコーナーにさしかかり、ちょうど休養所の前まで来た。

 「郁くん、頑張れ!」

 腹の奥から叫んだ。どうか届きますようにと祈りながら。

 郁の走るスピードは、ますます上がる。到底不可能だと思われた距離を、郁は確実に縮めていき、残り50mのところで先の2人に追いついた。赤組から歓声が沸き起こる。

 それからも更に距離を離し、ついに、テープを切った。息を整える郁のもとに、赤組の生徒たちが駆け寄って称える。

 微かに聞こえる郁の罵声に彰は微笑んで、ふっと目を伏せた。白衣を返して空になった湯のみを回収すると、小埜に呼び止められた。

 「側にいたいなら、いればいい。どれだけ拒絶されても、嫌な顔をされても、お前が望むようにすればいい。迷惑なんじゃないか、嫌なんじゃないかなんて余計なことは考えるな」

 「私が、望むように――?」

 「ああそうだ。お前に問題を出そう。“好き”の反対は、何だと思う?」

 「そんなの――」

 決まってるじゃないか。渇いた笑みを浮かべた彰に、小埜は首を横に振った。

 「違う。“嫌い”が答えじゃない」

 「……じゃあ、何ですか」

 「それは俺が答えるべきことじゃない。この答えは、お前が自分で見つけないと意味がないからな。――ほら、お迎えが来たぞ」

 「え?」

 小埜の視線の先を辿ると、赤色のハチマキを首にぶら下げた郁がこちらに向かってきているところだった。1位になったのにも関わらず、相変わらず不機嫌な表情をしているのはなぜなのだろうか。郁は彰の正面に立ったかと思えば、お盆を取りあげ、小埜を一瞥――というより睨みつけて歩きだした。

 「か、郁くん」

 慌てて後を追う。来賓席のテントには菅野と春海がいて、郁は無言で湯のみとお盆を突きつけ、さっさと行ってしまった。まだ閉会式が残っているのだが、郁の足は第一体育館に向かっている。菅野は止めもしないし、彰が何度呼んでも歩みを止めることはない。

 第一体育館の入り口で運動靴を脱いだ郁は、壁に背中を預けるようにして座り込んだ。彰も運動靴を脱ぎ、郁の側に立つ。

 郁はただ、前を見つめていた。

 「あの、リレー、すごかった。郁くん、次々と追い抜いて先頭に立って。格好良かったよ」

 また女の子からの人気集めちゃったね。

 そう言うと、ぴくりと形の良い眉が僅かに上がった。彰は床に座り、郁の横顔を見つめる。首筋に汗が流れていたので、ズボンのポケットにかけていたハンドタオルを引っ張り出し、拭ってやる。

 「汗の始末を怠ると、風邪ひくよ」

 「五月蝿い。お前に言われたくない」

 唸るような低い声で言われ、手を止める。

 「…そう、だよね。体調を崩すのは、いつも、私の方だもんね」

 私は弱いから。そう自嘲するように呟き、ハンドタオルを握り締めて俯いた彰に、郁の瞳が揺れた。静かな体育館に赤組の優勝を告げるアナウンスが届いた。この後は個人の表彰がある。来賓席のテントにいた教頭と校長が、今年の最優秀選手は郁に決定だと話していたのを思い出した。

 「もう戻らないと駄目だよ。最優秀選手で表彰されるんだから」

 「どうでもいい」

 「どうでもいいわけないよ。ほら、早く――」

 手を掴んで腰を上げる。振り払われるだろうと思ったが、郁が取った行動は予想しなかったものだった。

 郁は、彰に掴まれた手を思い切り、自分の方へと引っ張ったのだ。

 「きゃっ」

 短い悲鳴を上げた彰の身体は床に打ちつけられることはなく、目を開けると、辛そうに歪んだ郁の顔が間近にあった。鍛えられた腕にしっかりと抱きくるめられ、しかも郁の脚の上に身体を乗せている状況に混乱する。身動ぎをすると腕の力が強くなって封じ込まれてしまった。密着して感じる熱の濃さに、息を呑んだ。

 「なんで休養所にいた?」

 「それは、お茶を、差し入れに行って……」

 予想していた返答だったのだろう。間を置かずに尋ねてくる。

 「なんで白衣を被ってた?」

 「それは、私にもよく……」

 曖昧な返答に郁が舌打ちをした。びくりと肩を震わせると、あやすように頭を撫でられた。

 「お前に怒ってるんじゃない。あんなあからさまに挑発されて、もう、我慢できなかったんだ」

 「挑発って、どういうこと?我慢できなかったって、何を?」

 「お前は知らなくていい。何も、知らなくていいんだ」

 掠れた声で呟いた郁は、深く息を吐いた。首元に滴り落ちる汗をハンドタオルで拭き取っている彰の手を掴んで止め、引き寄せる。

 さらさらの茶色の髪が頬に触れ、今、自分は抱き締められているのだと意識した途端、ぶわっと頭に血が上った。耳まで真っ赤にした彰を目に留めた郁は苦しげに眉根を寄せ、細く柔らかな体を掻き抱いた。仄かに、清涼感のある甘い香りが、鼻腔をくすぐる。郁はそっと目を閉じた。

 「馬鹿なのは、俺の方だ。どうしていいのか分からなくて、ただ、遠ざけることしかできない。それが、お前の為だと思ってたんだ。なのに、お前は俺の後ろをついてきて、飽きもせずに毎朝毎朝――。どれだけ突き放しても寄ってくるから、その度に泣きそうになった」

 郁の体が小刻みに震えている。彰は泣きそうになりながら、大きな背中に手を回してしがみついた。

 「ごめん。ごめんね郁くん。側にいたかったの。ずっと、ずっと一緒にいたかったの。悲しませて、苦しませて、ごめんなさい」

 「違う。お前が悪いんじゃない。お前から、目を離すことはできないのに、俺は隣にいてやれなかった。怖気づいて、お前を置いていった」

 「そんなことないよ。郁くんは、私の体を心配して距離を置いたんだって、分かってたから。嫌われちゃったのかなって思ったこともあったけど、でも、郁くんは私がヘマやっても、すぐ怒ってくれた。本当はね、すごく嬉しかったの」

 「嬉しい?俺に怒られるのがか?」

 「うん。だって――」

 (ああ、そういうことだったんだ)

 小埜から出された問いの答えが、やっと分かった。あれは簡単な問題だったのだ。彰が郁にしないこと。郁が彰にしないこと。

 「なに笑ってんだよ」

 くすくすと忍び笑いをされて気分を害したのか、郁は彰の両頬を摘まんで真横に伸ばした。

 「ひゃにすんにょ、ひゃおるくん。いひゃいよ」

 「ふっ、すげえ不細工だな」

 滅多に見せることのない爽やかな笑顔に、どきりとした。いつもは見上げていた瞳が、同じ高さにある。

 ぼうっとしている彰の頬は見事な林檎色になり、瞳は潤んでいた。そんな彰に、郁は目を細め、華奢な首の後ろで手を組み合わせて、そのまま、ぐっと引き寄せた―――。



 個人表彰の主役が不在のまま閉会式は終了し、休養所の後片付けをしていた小埜のもとに、菅野と阿久津がやってきた。

 「お疲れさまでした、小埜先生。今年も、大きな怪我をした生徒が出てこなく良かったですね」

 「ええ。阿久津先生も、アナウンスの仕事、お疲れさまでした」

 阿久津の(ねぎら)いの言葉に労いで返していると、菅野が陽気に片手を挙げた。

 「はいはーい、同士の小埜先生に質問です。さっきの話、私聞いちゃってたんですけど、結局、“好き”の反対って何なんですか?」

 「ああ、そのことか。あと、あんたの同士になったつもりはない」

 消毒液の瓶を救急箱に仕舞いながら相槌を打つ。すると、阿久津が呆れたように「あなた、国語教師のくせに分からないの?」と言った。菅野は唇を尖らせる。

 「だって、祥子先輩も分からないでしょう?“嫌い”が答えじゃないんですよ。そんなの分かりませんよ」

 阿久津は腕を組み、涼しい顔で「分かるわよ」と言った。続けて「結婚してるのに分からないなんて。まあ、あなた達らしいけれども」と肩を竦めて自分の持ち場に戻っていった。

 菅野は茫然自失で立ち尽くしている。片づけの邪魔になるのでどいてくれ、と声をかけようとした小埜に、菅野が泣きつく。

 「答えを教えて下さい!二次元に生きている私に分からなくて、祥子先輩に分かるなんて、なんか惨めです!どうか、ご慈悲を!」

 「しつこい人だな、あんたも。家に帰って旦那にでも聞けばいいだろ。すぐに答えてくれるさ、きっと」

 「それは後が怖いことになるんで嫌です!お願いします、恋愛の師匠!」

 「誰が恋愛の師匠だ。ああもう分かったから、離してくれ。邪魔くさいんだよ。答えるから、答えたら仕事に戻れよ」

 「うっす!師匠あざっす!自分、感謝感激っす!」

 「一度しか言わないからな。それと、これは俺の持論じゃない。他人の受け売りだ」

 体育会系の感謝を綺麗に受け流し、小埜は左手の薬指にあるシルバーの指輪を撫でて、こう答えた。


 「“好き“と“嫌い”は紙一重だ。コインの裏表のようにな。どちらも相手に対して特別な感情を抱いていることに違いはない。だから“好き”の反対は、相手に対して何の感情も抱いていないということ。つまり、この答えは―――“無関心”なんだ」


 その直後、校庭中に響き渡った断末魔の叫びに、阿久津が飛んできて叱りにきたのは言うまでもない。



自分で書いておいてなんですが、小埜先生のキャラが変わってることに驚きを隠せません。菅野先生は通常運転なんですけどね。

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