第五章 帰還人
純白のドレスを裾引きながら、歌音はその場所を訪れていた。
堅固な城壁に囲まれた王城の最北に建つ魔導殿。最導師ル=ビ・リンを頂点に魔導を極めんとする魔導僧達が務める宮殿であり、この国の魔導のすべてを収めている。
「魔導」という響きに暗いものを感じていた歌音だったが、魔導殿は他の宮殿同様、意匠を凝らした場所だった。
金銀装飾を省いた石材とガラス張りのつくりだが、神々を表したと思われる男女や雄々しい獣、植物の細かなレリーフがいたるところに施されている。睫毛の一本一本まで彫り上げた神々のレリーフは、実在してそこに立っているかのような錯覚を起こさせた。
窓には濃淡の青いガラスが嵌められ、宮殿の中に神秘の色を注いでいる。
聖歌殿が白銀の聖殿なら、魔導殿は青光の神殿だ。
「不思議そうな顔だね」
傍らを歩くジェインが、歌音の様子を見て言った。
彼は、聖騎士の中で唯一魔導法を使うという。魔導殿をよく知っていることから、付添人をしてくれることになった。歌音はその言葉に頷いた。
「魔導殿とお聞きしていましたので、もっと暗いイメージを抱いていました」
「暗いイメージ?」
「はい。私の世界では、『魔導』はそういったイメージなんです」
だが、ここに流れる空気は王城より清らかで静謐だ。
「『聖なるもの』と『魔なるもの』は、共に創始の神々だから。その恩恵である魔導の宮殿も、邪な場所じゃない。まぁ……『外れしもの』の神たる『邪神』は別だけれど……」
一瞬なんのことだろうと思ったけれど、ジェインがかすかに顔を顰めたので、それ以上聞いてはいけない気がした。
それに、彼が教えてくれなくとも、これから会う人がきっとより詳しい答えを持っている。
「ここだよ」
ジェインが、大きな石扉の前で足を止めた。天井に届くほど高く、左右対称に花のレリーフが施されている。
「開くんですか……?」
とても人の手では開きそうにないので、思わず訊いてしまった。
戸惑う歌音の前で、ジェインが扉に手を当てた。目を閉じる。
「正しきものに扉を開け」
古代語とも異なる言葉がジェインの唇から流れ出ると、扉が音を立てながらゆっくりと開きはじめた。
中は、広い聖堂になっていた。中央に、石の丸テーブルと数脚の椅子が用意されている。
そこに、久しぶりに見る人の姿があった。
「いらしたか。聖歌姫」
最導師が、椅子に座って歌音とジェインを待っていた。
感情の窺えない目を懐かしく思いながら、歌音は静かに礼をする。
「お久しぶりです、最導師様」
「座られよ。ジェイン、おぬしもだ」
「はい」
声をかけられると、ジェインも深々と頭を下げた。
歌音は最導師の向かい。ジェインは、二人の邪魔にならない少し離れた席に座った。
見計らったように、弟子と思われる魔導僧の少年がお茶を持ってきた。
最導師が、熱いお茶を二口ほど口に含んだ。その目はどこまでも澄み、動揺とも焦りとも無縁に見える。
やがて、茶器をテーブルに置き、口を開いた。
「私はこの魔導殿の主となり、四百年程になる。先代の聖歌姫が召喚されたのはおよそ五百年前。その際には百名を超える魔導僧が祈祷を行い、ようやく召喚が叶ったと聞く。故に私は先代の聖歌姫を知らぬ。知る必要もないと思った。そして、それは今代の聖歌姫も同じであろうと思い、席を設けることはなかった」
四百年という年月はさすがに歌音を驚かせた。だが、それを詳しく聞く暇はない。
「だが、状況がそうさせてくれぬようだ。まずは、ゲーンとミラェルドレーの関係を教えておこう」
「最導師様。それは私が」
ジェインが控えめに手を挙げると、最導師が頷いてジェインに任せた。
「北の魔導国ゲーンと、南の聖歌国ミラェルドレーは、内海を挟んで東西の国境線で繋がっている。一つの島に二つの国があるのだから、当然、古より戦乱が絶えなかった」
この島にミラェルドレーとゲーンという二つの国があることは、歌音も知っている。二つの国はほぼ同じ広さの三日月型の国土を持ち、内海を隔てて南北に対称の形をしている。
「およそ六百年前、ここより東にある大陸によってゲーンが『魔導国』、ミラェルドレーが『聖歌国』という地位を得たことで戦乱は治まった。それから二百年後、魔導の粋である最導師様の居をめぐって再び対立したことはあったけれど、最導師様が神々の意思に従ってミラェルドレーに留まることをお決めになると、ゲーンがこの地に魔導殿を建設することによって、対立関係は払拭された」
「では、ゲーン国とミラェルドレー国は、戦争をするような間柄ではないんですか?」
ジェインは、細い首でこくりと頷いた。
「ゲーンの様子がおかしくなってきたのは、ここふた月のことだ」
すると、最導師が聖銀杖をついて立ち上がり、ローブの裾を払った。
「ついてこられよ」
案内されたのは、聖堂の更に奥にある小部屋だった。
火が焚かれておらず、窓もない。暗いはずなのに、室内は青白い光に照らされていた。石材自体が光を放っているようだ。
部屋の円台に、女神像と秤の石細工が置いてあった。
微笑みを浮かべている女神は、楚々と膝を折り、手を広げて、その前の秤をこちらへ見せている。どちらも水晶のような半透明の鉱石でできているようだが、内部から淡い銀の光を放っていた。
歌音は、それを見つめ、奇妙なことに気付いた。石の秤が、わずかに左に傾いている。
歌音の隣に最導師が並んだ。
「これは『聖魔の秤』といい、『聖なるもの』と『魔なるもの』の均衡を示している。右が『聖』、左が『魔』。そなたを召喚した時期にははっきり見て取れるほど左に傾いていたが、見ての通り戻りはじめている」
だが、歌音には傾くという意味がよく分からなかった。
「石……に見えるのですが」
それがどうして傾いたり戻ったりするのだろう、と思いながら訊ねた。
「聖魔の秤は神の身体から生まれ落ちたものとも言われ、このような姿だが秤だけが動く。秤はあと五つあり、ゲーンと、大陸を統べる四大国の王宮に安置されている。これをもって、各国は聖魔の均衡の崩れを知るのだ」
歌音は秤に見入った。この秤が傾きはじめたから歌音がこの世界に召喚されたということだ。つまり、この秤が水平の形を取り戻した時、歌音の役目が終わるということになる。
「そなたの働きによって、聖魔は均衡を取り戻しつつある。その速度は想像以上に早いと言えよう。だが、ふた月ほど前から動きを止めた。そして、このゲーンの心変わり……私には関係のないものとは思えぬ」
「……と、おっしゃいますと?」
聖導師は歌音を見据えた。
「これは伝承の一部だが、『聖なるもの』と『魔なるもの』の均衡の崩れによる歪みは、時として『外れしもの』と呼ばれる害悪を生むという。これがどのようなものであるのか、詳しくは私も知らぬ。だが、崩れの最たるものであることは間違いない。これによって崩れが戻らぬのかもしれぬ」
(『外れしもの』……)
先程、ジェインが言っていたもののことだろう。魔物のようなものだろうか、と思った時、最導師が思わぬことを言った。
「そして、『外れしもの』はおそらく、聖歌姫。そなたに近いものと思われる」
「え?」
歌音は驚いた。
「どういうことですか?」
「『外れしもの』は、世界の輪から外れたもの。その点で、異世界の人間であるそなたとよく似ておるということだ。心根までは当然違うであろうが」
最導師は再びローブの裾を捌き、部屋を戻りはじめた。
再びテーブルにつくと、その続きが語られはじめる。
「秤が一向に動かぬのは、『外れしもの』がどこかに現れている故かもしれぬ。だが、これは輪の中にいるものでは見分けがつかぬ。おそらくは、私でも。だが、そなたならば分かるかもしれぬ」
「私ならば……」
最導師は頷いた。
「『外れしもの』がいる、あるいは『ある』とするならば、ゲーンである可能性が高い。今はまだゲーンへ入ることはできぬが、その機会が巡ってきたならば、そなたにはゲーンへ行ってもらうことになるかもしれぬ。このようなこと、本来ならばこの世界の人間がすべきことではあるが……」
歌音はゆるやかに首を振った。
「いえ、私にできることであれば、お役に立ちたいと思います。それで、戦争が回避できるのなら……」
思いつめた目の歌音を見て、最導師はわずかに驚いたようだった。そして、その理由に思い当たった。
「……アルフレイン・リークエットが国境線へ向かったそうだな」
派遣から一週間。アルフレインの騎士団は、国境線を挟んでゲーンの騎士団と睨み合っているという。
普段は感情を表に出さない最導師が、かすかに気遣わしげな顔になった。
「心配せずとも、じきに戻ろう。その前にそなたが倒れては、アルフレイン・リークエットも心配しよう」
「……はい。ありがとうございます」
歌音はようやく、少し笑うことができた。
♪
見上げると、広い紫紺色の空に星がまたたいていた。
森の中だからだろうか、それとも早秋の冷たい夜気がそうさせるのだろうか。星々は、小さくも強いまたたきを見せている。
アルフレインは、その先に何かを見ようとするように目を細めた。
そこへ、足音が近付いてきた。
「皆、食事をはじめました。アルフレイン様もおとりください」
ダルダイムだった。
彼が上ってきた坂の向こうに、アルフレインが指揮する光ノ騎士団が駐屯している。アルフレインが立っているのは、それよりゲーンに近い、国境線を目前にした道のなかばだった。
「お前はとったのか?」
「アルフレイン様の後にいただきます。……異変はありましたか?」
道はなだらかな坂になり、そのいただきを二基の石塔が挟んでいる。ゲーンとミラェルドレーの国境線だ。
塔で許可が下りれば、民は南北を問わず自由に国を行き来することができる。だが、そこにゲーンの兵士が度々現れるという話を聞いては近隣の村も不安を隠せず、その向こうにゲーンの騎士団が駐屯している今では、ここは国境線ではなく宣戦の最前線だった。
「いや。使者がやってきてくれれば助かるんだがな」
「王都ではゲーンに向けて親書の用意が整ったようです。それが拒まれないことを祈っています」
「団長、副団長」
二人が、坂の向こうから剣の輝きが見えないことを祈りながらいただきを見ていると、背後の坂下から、若い騎士が三人やってきた。
「どうした」
中央の赤毛の騎士が、たのもしく笑って言った。
「お二人も食事なさってください。見張りは我々が」
「そうか。では頼む」
アルフレインとダルダイムが駐屯地へ向かうと、楽器を奏でる音と歌が聴こえてきた。
円形のテントを張り松明を灯したそこでは、騎士達が夕餉をとりながら歌を歌っていた。
酒は入っていないはずだが、ギィーを弾き鳴らすものもいて、ちょっとした騒ぎになっている。アルフレインは苦笑した。
「人が集まると歌になるのは、我が国の風習だな」
「止めますか? あまり穏やかな歌ではないようですが」
彼らが歌っているのは、戦場に赴く戦士に向かって乙女などが歌う聖歌の一つだ。勇気を奮い、愛するもののために戦え。まるで戦を望むような歌なので、この緊迫した場には確かにそぐわない。
だが、歌を奏でるもの達へ向けるアルフレインの眼差しは優しかった。
「向こうに聴こえはしないだろう。それに、最後は愛するものの元へ戻る歌だ。そう縁起の悪いものでもない」
ダルダイムは、灯かりに揺らめくアルフレインの顔が、歌を懐かしんでいるように見えた。その音色に、誰かの笑顔を重ねているのだろう。
言葉をかけずただ頷き、一緒に、騎士達の姿を眺めた。
誘惑を退け 戦場にのぞむもの
聖なるものに 魔なるものに 誓いを立てよ
愛の花を 剣と盾に変え
再び戻れ 勇敢なるものよ
歌は心をなぐさめる。いつの時も。
死を厭い 生を尊ぶ
死すべきは弱き心 強きものは歌え
待ち人はその心を知っている
闘え いずれは剣を置き
再び戻れ 勇敢なるものよ
戦場に赴くものに望むことは、生還と、その先にある平和。いずれは戦いのない世界をと望み、愛するもののために戦う、それ自体は、崇高な魂に満ちて美しいものかもしれない。犠牲が出ることを除けば。
「……戦とは、相手を殺すために行うものではないのかもしれないな」
ぽつりと、アルフレインが洩らした。
「どちらか一方が幸福になりたくて起こすのかもしれない。そのことに気付けば、誰も傷付きはしないだろうに」
たったそれだけのために長い年月、多くの国が戦から逃れられなかったことを思い、ダルダイムも呟いた。
「……愚かなものですね」
「だから歌うのかもしれないな。国も言葉も越えて、理解し合うために」
もし、愛の歌が全ての人の耳に届くのなら、長い平和な時が待っているのかもしれない。
そして、それを成し遂げることができるかもしれない少女のことを想い、アルフレインはもう一度空を見上げた。
強く優しい銀の光が、輝いていた。
♪
「っ……」
聖歌が止んだ。聖歌隊が気付き、歌が止む。
指揮をしていた聖歌長が、歌音の元に駆け寄った。歌音は口を押さえて蹲っていた。顔面が蒼白になっている。
「聖歌姫、少しおやすみください。このままでは喉を傷めます」
「いえ、大丈夫です。続けてください」
聖歌長は眉を曇らせたが、頑固な目に逆らえず、再び指揮棒を上げた。
ゲーンへ向かえない今、歌音にできることは聖歌を歌うことだけだ。
だが、普段は三刻までと定められている時間を倍に増やし、歌い続けても、魔導殿にある聖魔の秤は動かない。なんの役にも立てないという焦燥が、歌音に無理な行動を起こさせていた。
周囲は、いつ歌音が倒れるかと不安がっていたが、歌音はそのことに気付けなかった。
聖歌殿から館へ戻る途中の道で、歌音は足を止めた。
いつもなら聖騎士の誰かが声をかけてくれる場所だが、今は誰もいない。彼らがいつでも行動を起こせるよう騎士団の詰め所から離れられず、あるいは会議に呼び出されていることは歌音も知っていた。
焦りばかりがつのり、歌音はぎゅっと唇を噛んだ。
「ただいま戻りました」
館へ戻ると、ニルナが飛んできた。帰ってくるのを待ち構えていたようだ。
「顔色がお悪いです、カオン様。お部屋で少しの間でもおやすみください」
「いえ、着替えて魔導殿へ行ってきます。読みたい本があるので」
この世界の知識を得るために、魔導殿の書庫は最適だった。最導師にも許可をもらい、立ち入りを許されている。ただし、本来は女人禁制の場所なので、身を清め、白いドレスに着替えなければいけなかった。
歌音は身を清めるために浴場へ向かおうとしたが、その前に立ちはだかるものがあった。
「でしたら、私が魔導僧様にお願いしてお借りしてきますから、どのような本かおっしゃってください。ともかく、おやすみにならなければいけません」
ニルナは強い口調でそう言うと、半ば引っ張るような形で歌音を部屋へ連れはじめた。
「ニルナ……あの」
思わず見つめる、手を引くニルナは歌音以上に強張った顔だった。
「お気付きではないかもしれませんが、本当に顔色がお悪いのです。あまりお食事も召し上がっていませんし、よく眠れてもいらっしゃらないでしょう。果実酒をご用意しますから、少しお眠りください。……皆、心配しているんです」
ニルナの泣きそうな声を聞いて、歌音はようやく、最近侍女達に声をかけられていなかったことに気付いた。抑えきれずにいる歌音の苛立ちを感じ取って、近寄れずにいたのだろう。
部屋につき、ベッドに座らされると、歌音は茫然と目の前を見つめた。
そして、自分の身勝手さに気付いた。
「私……まわりの人のことも考えず……」
やがて、ニルナが野苺酒を持ってやってきた。とろりとした赤い果実酒が瓶に詰められている。
歌音は、ガラスの器に注がれた少量の野苺酒を不安がるニルナの前で飲み干した。
甘く痺れるものが喉を通り、胸の中を熱くさせる。安心させるように、ニルナに微笑みかけた。
「ありがとう、ニルナ。少し休みますね」
「は……はい!」
(倒れないようにしなくちゃ。聖歌が歌えなくなったら意味がない)
ベッドに入ると、波のように眠気が襲ってきた。酒が回ったのか、ニルナの言う通り寝不足だったのか、すとんと意識が落ちた。
(……?)
それからどれだけ経ったのか。心地良い眠りのなかで、歌音は誰かに頭をなでられている気がした。
温かい手が、歌音のやわらかい茶の髪を愛おしむようになでている。きっとニルナだろう。
けれど、歌音には、その手がとても大きく思えた。
その手に触れたいと思った。幻だと分かっていても。
けれど意識は微睡むばかりで、指一本動かすことはできなかった。
「カオン様!」
突然、扉がノックされる。歌音は何度目かのノックで覚醒し、ベッドから起き上がった。
「は、はい!」
寝ぼけ眼で答えると、ニルナが慌てて部屋に入ってきた。
「き、騎士団が……アルフレイン様が、お帰りになりました!」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。だが、意味を理解するとバネ仕掛けのようにベッドを降り、どこへ向かえばいいのかも分からないまま、館を飛び出した。
広い王城を、正門、騎士団の詰め所、厩、大木の丘と探す。騎士団が戻ってきたことによって、王城内はざわついていた。だが、そのどこにも探す人の姿がない。
回廊で辺りを見回している歌音の肩を、誰かが掴んだ。
「えっ!?」
弾かれたように振り返ると、長身の女将軍が驚いた顔で立っていた。
「このような場所でどうなさいました、聖歌姫。それも、お一人で」
見知った顔が陽光のように輝いて見え、歌音はその身体にすがりついた。
「ローザイン様! あの、騎士団の方がお戻りになったとお聞きして」
歌音が息をするのも勿体無さそうに早口で言うと、ローザインはそれだけで全てを理解し、嬉しそうに微笑んだ。
「今、聖王と宰相閣下にご報告に上がっています」
そう言って、歌音に手を差し出した。目を丸くする歌音に笑んで見せる。
「どうぞ。お会いできる場所にお連れしましょう」
聖王の居城である王城に入るのは初めてだった。
選び抜かれた大理石で建てられた王城は白亜の城で、どこまでも高く広く続いている。
廊下では、議会員達や貴族達が屯していた。戻ってきた騎士団の報告を聞くため、あるいはその噂をするために集まっているのだろう。
ローザインが歌音の手を取って進むと、歌音を好奇の視線が貫いた。議会員達のほとんどは王城に詰めていて、歌音と会ったことがない。しかし、そんなことは気にもならない。
やがて、廊下の先に白い騎士服が見えた。
ひときわ人が多く、壁を作っているが、その向こうで確かにアルフレインとダルダイムが話し込んでいる。
思わずローザインを振り返ると、彼女は微笑んで頷いた。
「さ、お行きください」
そう、ローザインに促され、歌音は駆け出そうと一歩前に進む。
「アルフレイ――」
「アルフレイン様――!」
その横を通り抜けて、燃えるような赤毛の少女がアルフレインの元に駆け寄っていった。
人垣を果敢に掻き分けて、逞しい腕に抱きつく。よく見るまでもなく、それはメルメインだった。
「無事にお戻りになられて、本当によかったですわ! わたくし、ずっと心配で心配で……」
アルフレインは、急な出現に驚いていたものの、苦笑交じりの笑顔でそれに応じた。メルメインの心配が決して口だけのものではないことを、彼もよく分かっているからだ。
だが、ローザインは痛そうに額を押さえた。メルメインはまっすぐなだけで悪い娘ではないのだが、こればかりは間が悪すぎる。
「姫、お気になさることはありません。メルメイン嬢も悪気があってやっているわけでは――」
ローザインは、そう言いかけて驚いた。歌音が、二人の姿を見て微笑んでいたからだ。
心の底から安堵した顔で、涙ぐんでいる。
「ご無事でよかった……」
抱えていたものが滑り落ちたのか、力が抜けたように顔を手で覆った。
今にも壊れてしまいそうな小さな肩を、ローザインはただ見つめるしかなかった。