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(2)


 光ノ騎士団の宿舎を訪れたイルミラは、もう身支度をすませていた。

 翡翠色の生地に金の刺繍を施した聖騎士服を脱ぎ、平服を着ている。剣も地味なものだ。お忍びで城下街に繰り出す時の決まり衣装だった。

「でも、よく宰相様が許してくれたね」

 アルフレインは、今日分の仕事をダルダイムに任せて、私室で着替えているところだった。

 イルミラとは王城に上がり、騎士になってからの付き合いだが、今更着替えを見られて困るものでもない。

「聖歌姫に国を見ていただけば、より国への想いが深まりましょう、今は城下の治安もよく――とお話ししたら考えてくださった」

(意外に口が上手いな)

 と、イルミラは感心した。

 もっとも、アルフレインが提案したから上手くいったようなもので、自分やどこぞの不良聖騎士、いや、他の誰が言っても宰相のニドルクレウ・ニア・シシルスは耳を貸さなかっただろう。

 逆を言えば、最も意外なところからの提案だったに違いない。だから一理あると思ったのだろう。

「カオンが大事なんだね」

「そういえば、シェザーレイは遅いな」

 イルミラのひっかけを無意識に受け流し、アルフレインは書き物机の上の時計を見た。

 護衛とその三名の人選は聖騎士に任された。聖騎士の職務の実情まで宰相が把握しているわけではない。

 すると、イルミラがあっさりと言った。

「あ、僕の仕事押しつけてきた」

「なに?」

「いつも僕が押しつけられてるから、たまにはね。それに、アルフレインとシェザーレイが揃って城下へ出たら、女の子達が集まってきて護衛どころじゃないよ」

「私が入っているのが気になるが……まぁ、確かにな」

 アルフレインは、シェザーレイと城下街へ出て、娘達に囲まれた時のことを思い出していた。

 シェザーレイはどちらかというと貴婦人を口説く方が好きだが、愛らしいものはなんでも好きだ。いつもならともかく、護衛をする時にそれでは困る。

「だが、だとしたら三人目は……」

 帯剣を終え、準備が整った時だった。

「失礼します。アルフレイン様」

 ダルダイムが部屋に現れた。

「どうした?」

 そう言ってから、アルフレインは、その巨体の後ろに黒リスのような少年がいることに気付いた。

「どうしてボクが……」

 ジェインが、むすっとした顔で立っていた。



 二台の箱馬車が王城の門をくぐり、そこから続くなだらかな坂を下っていく。

 初めて乗る箱馬車の振動に合わせて、歌音は自分の心臓の鼓動までもが速くなっていくような気がしていた。

 目の前にはアルフレインが座っている。後続の馬車には、イルミラとジェインが乗っていた。

 自分のために三人もの人間の時間を奪うことが申し訳なく、歌音は恐縮していた。

「カオン様にも王都を気に入っていただけるといいのですが」

「……はい」

 王城の空気に気疲れしていた歌音を見て、気晴らしに城下へ出られるようかけあってくれたのは、アルフレインだった。まずはそれにお礼を言う必要がある。

「あの、ありがとうございます、アルフレイン様。こんなことまでしていただいて」

「気が晴れない時は、外へ出た方がいいものです。我々も、時々城下へ繰り出すのですよ」

 歌音は、できるだけ本心を悟られないように微笑んだ。

(本当は、怖いだなんて言えない……)

 異世界の街に出ることは、少し怖かった。王城にはなんとかなじんできたけれど、異世界人だと知られて睨まれでもしたらどうしよう。そんな想像が頭から離れなかった。

「街では我々がお守りします。ご安心ください」

 そう請け負うアルフレインは、それが気晴らしになると信じている顔だった。だから、歌音もなんとか微笑んだ。

「はい」

 そうして気遣ってくれることは、ありがたいことだ。

 だから、せめてはぐれないようにしよう、と思った。



 馬車を降りた歌音の目のなかに最初に飛び込んできたものは、一基の塔だった。

 王城ですら目にしたことのない、天を貫くような白く高い塔だった。

 どのような技術で造られているのか、継ぎ目が見えず、なめらかな白い表面が陽を照り返して輝いている。一番高いところに時計盤のようなものが見えるから、時計塔なのだろうか。確かに周囲のどの建物より高いので、街のどこからでも見ることができるだろう。

 塔の下に降ろされたこともあってか、歌音は、自分がまるで小人になったような気分がした。

 王都は、その時計塔を中心にして広がっているようだった。

 塔から生まれかのような大通りが八方に伸び、その通りに従ってさまざまな建物が建ち並んでいる。

 貴族の館のようなものもあれば、聖堂、自警団らしきものの詰め所、服屋、装飾店といった店舗、そして、色とりどりの屋台。それらを横目に、大勢の人々が行き交っている。

 大きな荷物を肩に担いだ旅人の姿もあり、歌音の目を引きつけた。

 遠目に、堅固な塀に囲まれた王城が見えた。あの中に、今までいたのだ。

「賑やかでしょう」

 と言って、イルミラが近付いてきた。

「はい。それにとても大きな街なんですね」

 感じ入った顔でそう言い、珍しそうに周囲を見回す歌音。イルミラはそれを楽しそうに見ている。

 アルフレインが、ニコニコとしながらイルミラに近付いた。

「ところで、イルミラ。どこへ連れていったらいいと思う?」

 と、小声で訊ねてきたので、イルミラは驚いた。

「えっ、考えてなかったの!?」

「いや、よく考えたら女性を連れて歩くのは初めてで。……我々が行くようなところに案内するわけにもいかないだろう」

「あー……だいたい鍛冶屋か酒場だもんね。そんなこと訊かれても、僕だって分からないよ、初めてだもの。服屋とか装飾店とか? でも、カオンは興味無いだろうし」

 イルミラは、そこで初めて、自分が人選を誤ったかもしれないことに気付いた。

「しまった……やっぱりシェザーレイを連れてくるんだったかも。シェザーレイなら一日中でもエスコートできそうだ」

「不本意だが、そうかもしれん」

「……とりあえず、本人の好きにさせたら?」

 ジェインがぽつりと言う。

 二人は、それも尤もだというように、真面目な顔で頷いた。

「カオン、これから王都を歩くけど、好きなところを覗いていいよ。僕らはついていくから」

 何かと仕切るのが上手いイルミラが、自分の不手際を隠して声をかけると、王都の偉容に感じ入っていた歌音はびくっとして振り返った。

「は、はい。……では、そのあたりのお店を覗いてもいいですか?」

「もちろん。あ、でもその前に約束事をしよう」

「約束事?」

 歌音はなんだろうと首を傾げたが、イルミラの矛先は、歌音ではなく自分の同僚だった。

「アルフレイン!」

 びしっと指を突きつけられ、アルフレインは目を丸くする。

「なんだ?」

「ここでは、カオンのことを『カオン様』と呼んだり、『聖歌姫』と呼んだりするのは禁止。敬語もダメだよ」

「な」

 反論しようとする言葉をイルミラは遮った。

「僕らは街の人に城の兵士だと思われてるけど、それでも、でかい男が女の子に敬語を使っていたら、カオンが注目されてしまう。そんな思いはさせたくないだろ? だから、禁止。分かったね」

 言い返す間を与えぬイルミラの言葉に一瞬怯んだアルフレインだったが、

「し、しかし、聖歌姫にそのような口を利くのは……」

 と、言葉を濁らせながらも反論を試みた。しかし。

「ダ・メ」

 笑顔で一刀両断されてしまった。

「私もその方が嬉しいです。そうなさってください」

 アルフレインの様子を見て可哀相だと思ったのか、歌音が笑顔で声をかける。

 それを見たアルフレインは、渋々というように頷いた。

(カノ)……カオンがそうおっしゃ……言うのなら、そうしま――そうしよう」

 神妙な顔で、つっかえながらも、なんとか敬語を改めようとする姿がなんだか可笑しい。歌音は笑み、イルミラも満足そうに笑った。

「じゃ、行こうか」

「――はい」

 歌音は、賑やかな喧騒に向けて振り返った。



 聖騎士達が思った通り、歌音は服屋や装飾店には目もくれなかった。きらびやかな装飾は王城で目にしていたし、服も上等のものを着せてもらっているからだ。

 それに、男性に付き添われながら服や宝石を見るのは申し訳ないという気持ちもあった。女の子の友達と来たのならばともかく。

 貴族の館や聖堂などの建物を物珍しそうに見上げたり、道行く人や遊ぶ子ども達を眺めたり、屋台を覗いたりする。

 その途中、いい匂いが鼻孔をくすぐった。

「あれはなんですか?」

 食べ物の屋台が揚げ物をしていて、甘い匂いがする。

揚げ菓子(シュノレ)だね。食べてみる? そうだ、忘れてた。お金を渡しておこうね」

 イルミラがそう言って、小さな無地の巾着をくれた。中に銀貨が何枚も入っていたので、歌音は申し訳なさそうにイルミラを見た。

「いいんですか?」

「宰相からいただいたものだから、気にしなくていいよ。これ一枚が一エラン。あの揚げ菓子はその一つ下の位の二百エルってところかな」

「じゃ、じゃあ、買ってきます」

 おっかなびっくりしながら揚げ菓子を買う。

 アルフレイン達も購入し、近くの噴水の縁に腰掛けて食べることにした。

「ん……甘い」

 噛んだ瞬間、ジュッと油が滲み出た。その油さえも甘く感じる。

 中には、果物を煮詰めたものが入っていた。甘酸っぱい、苺の味だ。

「ジャムが入っているんですね」

 と、歌音が言うと、アルフレインが隣で不思議そうな顔をした。

「ジャム? 果物煮(ジュー)のことかな」

果物煮(ジュー)?」

「果物を砂糖で煮詰めたものだ。野苺(アリニー)オレンジ(ブー)で作ったりする」

「では、私の世界にある『ジャム』と同じだと思います。こちらの方が少し甘酸っぱいですが……おいしいです」

 嬉しそうに微笑む歌音から少し離れた場所で、しかし苦い顔をしている少年がいた。

「……ボクには甘すぎる。キャテを買ってくる」

 ジェインがそう言って、屋台へ歩いていった。

「キャテ?」

 戻ってきたジェインに見せてもらうと、どうやら珈琲のようだ。色も匂いも似ている。

珈琲(コーヒー)みたいですね」

 歌音の言葉に、やはり聖騎士達は珍しいものを聞いたという顔をした。

「カオンの世界では『コーヒー』というのか」

「でも、世界が違うのに同じようなものがあるだなんて不思議だね。国が違うというのなら分かるけど」

「そうでもないよ。『完全なる世界』とこの世界は、元々一つだったと言われているんだから」

 イルミラの疑問に、大人しくついてくるばかりだったジェインが珍しく口を開いた。その言葉は、歌音にも聞き覚えがある。

「最導師様もおっしゃっていましたが、『完全なる世界』とはなんですか?」

「詳しいことは分からないけど、創始の神々は『完全なる世界』からこの世界を創ったと言われている。だから、『完全なる世界』はボクらの世界よりあらゆる力が強く、だからこそ、その世界の聖歌姫が必要なんだ」

(地球のことをいうのかな)

 考え込みそうになった歌音に、イルミラがジェインの手元を覗き込みながら言った。

「歌音も珈琲(キャテ)を飲んでみたら?」

「いいんですか?」

 ジェインが嫌がっていないようだったので、歌音は少し飲んでみることにした。

 ドロッとしていて苦い。まるでエスプレッソだ。

「……苦いです」

「あははは!」

 歌音が涙目になると、イルミラの楽しそうな声が響いた。



 歩きながら、歌音は辺りを眺めた。

(なんて綺麗)

 絵画に見るような中世の街並み。物語に聞く異世界。

(……でも、寂しい)

 ここには誰もいない。父も、母も、妹も、親友も。

 歌音を昔から知っている近所の人も、学校の先生も、「先輩」もいない。

 優しくされれば嬉しい。けれど、されればされるほど、同じくらい不安にもなった。

 まるでずっと夢を見ているようで、足元がぐらつく。ここは自分が生まれ育った世界から果てしなく遠い場所なのだと実感してしまう。見上げる空はどこまでも高く澄んでいるのに、眩暈がするほど狭い。この世界全体が、歌音を閉じ込める鳥籠のようだ。

「……っ」

 本当に眩暈がして、歌音はその場に倒れそうになった。 

 それを大きな手が掬い上げる。

 目を開けると、蒼白なアルフレインの顔があった。

「カオン、大丈夫か!」

「すみ、ません、少し、酔った、ようで……」

「カオン!?」

 イルミラも慌てて駆け寄ってくる。

 アルフレインが歌音を抱き上げ、広場の花壇の縁に腰掛けさせた。イルミラとジェインに冷たい飲み物を買ってくるよう頼んでいる。二人が飛んでいくのを、歌音はぼんやりと見ていた。

「大丈夫か。すまない、気付かなくて」

「い、え、私……」

「喋らなくていい。しばらくこうしていろ」

 歌音は、アルフレインの肩に寄りかかり、苦しそうに何度も息を()いた。

 眩暈がする。気持ちが悪い。堪えられず、アルフレインの服を掴んだ。

 気が付いたら、ぽろぽろと涙がこぼれていた。

「ごめんなさい、ごめんなさい……」

 傷ついた小鳥のように泣きながら何度も謝る歌音を、アルフレインがそっと抱き寄せた。

「……どうして謝るんだ」

 その声は茫然としていた。泣く女性を初めて見たというように。

「こんなによくしてもらっているのに、大切にしてくれているのに、帰りたいと思ってしまって……申し訳ないんです」

 思い返せば、歌音はこの世界に来てから一度も弱音を吐いたことがなかった。

 ニルナやアルフレイン達が優しくしてくれるから、言ってはいけないと押し込めてきた。

 けれど。

「でも、寂しいんです。お父さんに、お母さんに、奏に、会いたい……」

 歌音は、泣きながら、心のなかで自分を(なじ)った。

 誰にも叶えられないと分かっていることを、子どものワガママのように言って困らせている。きっと、アルフレインにも呆れられただろう。

「……カオン。顔を上げられるか」

 すすり泣く声をあやす、優しい声が聞こえた。

「この街は平和だろう」

 顔を上げた歌音の目に、平和な街並みが映った。語り合う人々の陽気な顔、遊ぶ子ども達の笑顔が輝いている。

「神々の均衡の崩れによる魔物が現れることもなく、王都は平和だ。この街の平和を守っているのは、カオンなんだ」

 とてもそんな実感は持てなかったけれど、涙が少し退く。また優しい声が聞こえてきた。

「けれど、そのために見知らぬ土地で役目を押しつけ、辛い思いをさせているな。気持ちを察してやれなくて、すまなかった」

 歌音は身体を起こし、アルフレインを見上げ、ゆっくりと首を横に振った。

「アルフレインさまが、あやまることでは、ありません」

「これからは辛い気持ちも話してくれ。いくらでも聞こう。……だから、そんなに泣かないでくれ」

 アルフレインの指が歌音の目元を拭う。緑がかった湖水色の瞳が、優しい唇が、切なそうに微笑んでいる。

 この人は、本当に「自分」のことを案じている。聖歌姫ではなく、自分のことを。そんなことを思ったら、いつの間にか涙が止まっていた。

「すみません……私……」

「いいんだ。傍にいるから」

 ただただ優しい顔を見ていると、歌音も小さく笑えた。 

 その様子を、イルミラがほっとした顔で遠くから見ていた。

「よかった……大事に至らなかったみたいで」

 歌音の胸のつかえもひとまずはおりたようだ。やはり人選は間違っていなかったのかもしれない。

「……すごく目立ってるけど、教えないの?」

 隣でジェインが、居心地の悪そうな顔で言った。

 確かに二人が見つめ合っている姿は、恥ずかしいほど目立っていた。道行く人がちらちらと見て通り過ぎてゆく。本人達は一向に気付く様子がないが。

「ま、そろそろ行こうか。あのままじゃ、永遠に見つめ合っていそうだ」

 さり気なさを装って、二人は騎士と姫君の元へ駆けていった。


      ♪


「あ……」

 眩暈がおさまり、立ち上がった歌音は、あるものを見つけた。

「この世界にも、ぬいぐるみがあるんですね」

「あの屋台のことか?」

 黄色い屋台の(ほろ)の下に、ぬいぐるみがたくさん積まれている。

 近寄っていくと、兎や犬、猫などの動物のぬいぐるみがつぶらな瞳でこちらを見返していた。

 手に取ってなでていると、ほっと気持ちがやわらいだ。歌音の地球の部屋にも、たくさんぬいぐるみがあったものだ。

「買ってあげようか」

 と、アルフレインが手元を覗き込んだ。

「えっ、いえ、そんな」

 突然の提案に驚き、歌音は持っていた犬のぬいぐるみを抱きしめてしまった。耳が垂れた縮れ毛の犬で、トイ・プードルに似ている。

「それでいいんだな」

 と、アルフレインは判断し、答えを聞かずに精算を済ませてしまった。

「あ、ありがとうございます……」

 恥ずかしげにお礼を言うと、微笑みが返ってきた。それで歌音はますます恥ずかしくなってしまった。しがみついて泣いてしまったことを今更思い出す。

 気まずくて視線をさ迷わせていると、ジェインがぬいぐるみを見つめていることに気付いた。

「欲しいんですか?」

 と、声をかけると、ジェインはびっくりして振り返った。

「別に……ちょっと珍しいなと思って」

「可愛いですね」

 ジェインの視線の先にあったものは、子ギツネのぬいぐるみだった。足を揃えてちょこんとお座りしている。口の周りや腹が白く、少し開けた口から覗くピンクの舌が可愛らしい。しっぽもふわふわとして、気持ちよさそうだ。

 歌音はさっきのことを思い出し、その子ギツネのぬいぐるみを購入した。

 それをジェインの前に差し出す。

「……?」

「今日のお礼です」

 ジェインは目を丸くして硬直したが、やがておそるおそるとぬいぐるみを受け取った。

 何か言いたそうな顔だったが、それよりはまずお礼だと思ったのだろう。

「……ありがとう」

 と、呟いたので、歌音も微笑んだ。やはり、プレゼントされれば誰だって嬉しいものだ。

(そうだ、他の人にも……)

 その後もいくつかの屋台を見て回り、一行は迎えの馬車に乗って王城へ戻っていった。

 歌音の顔に、もう翳りはなかった。


      ♪


「俺を置いていって、後悔しただろう」

 翌日の昼過ぎ。本人曰く「激務」から解放されたシェザーレイが、イルミラの団長室にやってきた。

 押しつけた仕事は、イルミラなら二刻ほどでできる量だったが、普段、机仕事から逃げてばかりいる聖騎士には(こた)えたらしい。最初の言葉がそんな皮肉だということは。

「連れていく場所にはちょっと迷ったけど、なんとかなったよ」

 イルミラは、書類にサインする手を止めないまま、そっけなく言った。

「ふぅん。あのメンバーで女性をエスコートできるとは夢にも思わなかったがね。ま、姫から土産をもらったからよしとするか」

「シェザーレイは、なんだった?」

 イルミラが途端に興味津々な顔になり、書類から顔を上げる。

 シェザーレイは、にやりと笑い、懐から置物を取り出した。青薔薇のガラス細工だ。イルミラがピュウっと口笛を鳴らす。

「知ってか知らずか、キミに薔薇を贈るとは、聖歌姫もやるね」

「そういうお前への土産は?」

 イルミラもにっと笑い、引出しにしまっていたものを取り出した。緑色の小鳥のガラス細工だ。

 こういった小さな置物が、少なくとも聖騎士全員に渡されている。だが、子どものこづかいで買えるおもちゃを土産に選ぶというところが、曲がりなりにも宮仕えをしている彼らには新鮮だった。

「城下でお土産を買ってくるとは、聖歌姫というにはいささか庶民的だが」

「いいじゃない。カオンらしいよ」

 イルミラはそう言って楽しそうに笑ってから、苦笑を浮かべた。

「どうした?」

 それに気付いたシェザーレイが訊くと、寂しそうな笑顔を浮かべている。

「ううん、王城に閉じ込めておくのは可哀相なくらい、普通の女の子なんだなと思って。早く出してあげたいけど……その時は、お別れの時なんだよね」

 室内が急に静かになる。

 細い指が二つの置物をつつくと、コツリと音がした。



 歌音は、お世話になっている人達へお土産を買っていった。

 どれも、ガラス細工や木工細工というおもちゃのようなものだったが、数が用意できない侍女達には部屋に飾る花束をという徹底ぶりで、それはすこぶる評判だったという。

 なお、「虹色の花」のガラス細工を贈られた銀宮の妖精姫ロアー・イ・フェリアルスが「城下へ出たーい!」と騒ぎはじめるのは、イルミラとシェザーレイの会話のすぐ後のことである。

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