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第二章 聖騎士


 部屋に拍手が巻き起こった。

「すばらしい聖歌(セノン)です、聖歌姫(セ・カノルス)! 歌合わせの前にお聴かせていただけ、無上の喜びです!」

「それは言い過ぎだと思いますが、ニルナ……」

 ニルナの大袈裟な喜びようを見て、歌音は恥ずかしくなってしまった。

 歌音の部屋には、ニルナをはじめとした侍女達と侍女長が集まっていた。

 こちらの世界に来て、ふた月が経った。古代語による聖歌も習得し終え、今日は初めて聖歌隊と歌合わせをする。見物に来る人も多く、お披露目のようなものだ。歌音はその前に、お世話になっているニルナ達に聖歌を聴いてもらいたかった。

「リボンが曲がっていますよ」

 ニルナは、館の前まで見送りに出てきて、歌音の髪に飾られた絹のリボンを整えてくれた。そして嬉しそうに微笑む。

「きっと、聖歌殿での歌合わせも上手くいきます。行ってらっしゃいませ」

「はい、行ってきます」

 歌音も笑顔で館を出発した。


      ♪


 ミラェルドレーでは、聖歌殿(セ・カノマ)と呼ばれる聖殿で毎日決まった時間に聖歌が奉げられる。これは、聖歌によって信仰を示すミラェルドレーにとって建国以来絶やさず果たされてきた責務だった。

 聖歌隊には、聖性――魔導法を可能にする力の総称であり、神々が人に与えた神域の力――の強い者が選ばれ、聖歌は、ミラェルドレーとゲーンを中心に大陸にも広まっている。

 けれど、世界中の人々が聖歌を歌えども、神々の均衡は数百年で崩れはじめる。それを戻すことができるものは、何者よりも強い聖性を持った異世界の聖歌姫だった。故に、城に保管されている書物の中では「救国の聖歌姫」とさえ言われている。

 召喚の事実が秘匿されているため、民衆は昔話に出てくる姫君だと思っているが、城務めをしている人間にとっては格好の話題だ。

 王城の人々の興味は、自然と歌音に集まっていた。



「ずいぶん盛況だな」

 シェザーレイが聖歌殿に着いた時には、既にかなりの人が集まっていた。

 ここは、王族が儀式に用いる聖堂ではない。聖歌を奉げるためだけの聖殿であるため、普段は常人の立ち入る場所ではない。にもかかわらず、今は軽く眺めるだけでも議会の重鎮や司祭長の姿が見受けられた。

 これでも人は選んでいるのだろう。その証拠に、並みの議会員は一人もいない。

「シェザーレイ」

 イルミラと、背の高い聖騎士がシェザーレイを見つけて近寄ってきた。

「イルミラ。ダルダイム」

 ダルダイムと呼ばれた聖騎士は、背が高く体格の良い、濃茶の聖騎士服を纏った男だった。ダルダイム・ノムセンという。シェザーレイ達の同志だ。

 無口で逞しい身体つきをしているが、誰よりも穏やかな目をしている。聖王は彼に静ノ騎士(ウィー・リンター)の称号を与えた。

「お前達だけか。アルフレインとジェインはどうした?」

「アルフレインは来ると思うけど、ジェインはどうかな。こういう場所は好きではないし……」

「呼んだ?」

 味も素っ気もない声が、どこからか聞こえた。

「おい、今どこから聞こえた?」

 イルミラとシェザーレイが周囲を見渡すと、ダルダイムの後ろに一人の少年が立っていた。

 人形よりも感情の乏しい目で、面白くもなさそうな顔をしている。

「失礼だな。ここにいるのに」

「ダムダイムの後ろにいて気付くわけないだろ」

 それも仕方がなく、ダルダイムの後ろに立つ彼は大木の幹にいる黒リスのようだった。ダルダイムの半分ほどの背もない。

 漆黒に金の刺繍を施した聖騎士服を隠すように黒いローブを羽織っている。名を、ジェイン・ラークスという。聖王からは知ノ騎士(エンディ・リンター)の称号を与えられ、まだ少年だが知ノ騎士団を指揮する。

「珍しいね、ジェイン。こういう場に来るなんて」

 イルミラが嬉しそうにジェインに話しかけた。

 ジェインは人付き合いが悪く、イルミラは普段からそれを心配しているから、積極的になったことが嬉しいのだろう。だが、ジェインは今すぐ帰りたそうな顔をしていた。

「聖歌姫には興味ないけど、最導師様がいらっしゃるというから……」

 ちらりと動いた目線を追うと、聖歌殿の入り口に、最導師であるル=ビ・リンが魔導僧を伴って到着したところだった。この国で最も尊いとされる、純白に銀の刺繍のローブを纏い、聖銀杖を手にしている。

「最導師殿か。魔導殿からお出になるとは珍しいな。さすがにご自分が召喚された歌姫のことは気になるということかな」

 シェザーレイが、珍しそうに最導師を見つめながら言った。

「どうした、イルミラ」

 イルミラがそわそわとしている。

「うん、アルフレインは遅いなと思って。誰かに捕まっているのかな。僕、ちょっと見てこようか」

 お節介にそう言って、外へ出ようとした時だった。

 聖歌殿の入り口が騒がしくなった。

 人々が見ると、衛兵に守られながら、一人の少女が聖歌殿に入ってくるところだった。

 肩口で切り揃えた薄茶色の髪。肌は白く、静かな眼をしている。

 歌合わせのためか、踝まで長さのある位の高いドレスではなく、丈の短い未婚の女性用のドレスを着ている。

 少女は、誰の目にも、うら若いというよりは子どものように映った。

 シェザーレイが拍子抜けした顔になる。

「……あれが聖歌姫か? 若いを通り越して、少女ではないか」

「可愛らしい方だね。僕は好きだな」

「ほう、妖精姫(フィアリルス)に言いつけるか」

「シェラは気にしないよ」

 シェザーレイとイルミラが小突き合っている間に、聖歌姫は聖歌殿の聖壇に上がった。

 その脇には伴奏者と聖歌隊が並び、聖歌長が礼をして話しかけている。段取りを説明しているのだろう。

「か弱そうだが、聖歌が歌えるのか?」

 シェザーレイが不安そうに言った時だった。

「大丈夫だろう」

 四人が声に気付いて振り返ると、最後の聖騎士が息を切らせて立っていた。

「ずいぶん遅かったな」

 と、シェザーレイが言うと、アルフレインは息を整えながらその隣に並んだ。

「途中でローザインに捕まった」

「ローザが? あいつは来ないのか」

「軍の会議があるらしい。まだ、はじまっていないな?」

 訊ねるアルフレインに、イルミラが笑いかけた。

「見たとおりだよ。あと少し遅れていたら、締め出されていたね」

 言葉の通り、聖歌殿の扉がゆっくりと閉じられた。

 鍵盤楽器であるピニアが音を出すと、ざわめきが止まり、聖歌隊が音合わせをはじめた。

「ア――……」

 聖歌姫も音を合わせる。その声は弱々しく、見物のものたちが一様に不安な表情を浮かべた。

 なんだか、心細くなる声だ。

 音が止み、伴奏が、はっきりした音を奏ではじめる。

 聖歌隊が滑らかに歌いはじめる。

 そして、聖歌姫も歌いはじめた。



 その頃、ニルナは庭で侍女仲間と洗濯物をしていた。

 盥の中で洗濯物を擦っていると、侍女仲間が思い出したように言う。

「聖歌姫って不思議な方よね。普段はとても大人しくて言葉に詰まることさえおありなのに、聖歌を歌う時は堂々としていらっしゃるんだもの」

 それに対して、ニルナは自分のことのように誇らしげに胸を張った。

「それはそうよ。だって聖歌姫ですもの」


   神よ わが心を奉げます

   言葉は優しき影

   音が 穢れなき心を奏でる


 それは、はじまりの歌。創始の神々に奉げられたとされる最初の歌。


   聖なるものよ 感謝の花を届けます

   とこしえの光が射し込み

   始まりの時を迎える あなたの心によって

   力を手放し 詩を綴る

   詩は歌となり 心を奏でる

   魔なるものよ 真の眠りをお約束します


   神よ わが心をお受け取りください

   われらの地に 安寧を


「……なんだ?」

 人々の目の前に、光が降りはじめた。

 驚いて顔を上げると、天井に張られた純銀線や、装飾のいたるところから銀の光が溢れ出している。

 それはぶつかり合うと、星のまたたきを擦り合わせたかのような音を出す。聖歌殿全体が楽器になったように鳴りはじめた。

「最導師様、これは」

 最導師の傍にいた魔導僧がうろたえながら訊いた。

 ル=ビ・リンは、まっすぐに聖歌姫を見つめている。

「……ここは、何万もの聖歌を奉げてきた聖殿。長い年月をかけて沁み込んだ聖性が聖歌姫の聖性に反応しておるのだろう」

「しかし、このような現象は初めて見ます」

 うろたえる弟子と対照的に、最導師は面白げな笑みを浮かべていた。

「これが異界の聖性ということだろう。世界が違うということよ」

 聖歌が止むと、光も消えた。見物に来ていたものたちは微動だにできない。

 ル=ビ・リンが、微笑んで踵を返した。

「いらぬ杞憂だったようだ。これならば心配なかろう」

 彼女が聖歌姫であることを、疑うものはもういなかった。



「失礼します、聖歌姫」

 聖歌長と話をし終えたところで声をかけられた。

 振り返ると、四人の男達が立っていた。歌音は驚いて、男達の方に身体を向ける。

「はい……ええと」

「素晴らしい聖歌に感動しました。聖騎士のシェザーレイ・ルーノットと申します。会話の栄誉をお与えくださいますか?」

 聖騎士、という言葉を聞いて、歌音は更に驚いた。位の高い人だということは分かる。

「はじめまして。加納歌音と申します」

 歌音はドレスの裾をつまんでお辞儀をした。

 ふた月が経って、歌音も自分の存在の希有さを分かっている。こうして位の高そうな人と話をすることも大切なことだと承知していた。

 シェザーレイと名乗った美麗な聖騎士は、歌音の名前を聞くと、物珍しそうな顔をした。

「『カノウ』がお名前ですか?」

「いえ、『歌音』が名前です」

「ほう、やはり異世界のお名前は変わっていますね」

 そう言ってにこやかに笑う。笑顔も美しい人だった。

「シェザーレイ。自分ばかりズルイよ」

 シェザーレイの脇を、つんつんと青年が突いた。シェザーレイを押しのけ、歌音の前に立つ。

「はじめまして、聖歌姫。同じく聖騎士のイルミラ・ミラードと申します。彼は、ダルダイム・ノムセン、こっちはジェイン・ラークス。お会いできて光栄です」

 可愛らしい顔立ちをしたイルミラという青年は、やけに背の高い男性とやけに背の低い少年のことも一緒に紹介してくれた。紹介を受けた男性と少年も軽く頭を下げる。

「はじめまして。よろしくお願いします」

 歌音がそう言ってうやうやしく頭を下げると、イルミラがあることに気付いた。

「あれ? 一人足りない。すみません、ちょっとお待ちください、聖歌姫」

 そう言って、イルミラがきょろきょろと辺りを見回しはじめる。

 その後ろから、白い聖騎士服を着た見慣れた人が現れた。

「……アルフレインさん?」

 歌音が思わず名前を口にすると、アルフレインが笑った。

「とても素晴らしい聖歌でした。もう古代語をお教えする必要はありませんね」

「どうしてアルフレインさんがここに……」

「黙っていたことをお詫びします。聖騎士の称号を持つものゆえ、この場に立ち会うことができました」

「聖騎士……そうだったんですか」

 そう納得した歌音の顔は、どことなく明るい。

 歌音とアルフレインは、あの後何度か丘で会い、歌を聴かせたり古代語を教わったりしていた。ニルナを除けば、この世界で最も親しい人と言えるかもしれない。知らない人ばかりで不安だったので、会えたことが嬉しかった。

 しかし、他の聖騎士達は面食らっている。にこやかに会話をしている二人を驚いた顔で見ていた。

「ど、どういうこと? アルフレインと聖歌姫が知り合いなんて。ねぇ、シェザーレイ」

 率先して騒ぎ出しそうな男が黙っていることに気付き、イルミラが声をかけると、シェザーレイはじっと二人を見ているところだった。

 そして、にやりと笑う。

「ま……いいことだから、いいんじゃないか」

 楽しげに言うその瞳は、いつもより柔らかい光を帯びていた。


      ♪


「ごきげんよう、聖歌姫」

「聖歌姫、今日も美しい聖歌をありがとうございます」

 聖歌姫として聖歌殿に務めるようになってから、歌音は見知らぬ人に声をかけられることが多くなった。

 特に、務めを終えて部屋へ戻る道すがらは、必ず誰かと会って、声をかけられる。

「こ、こんにちは」

 皆、貴族のような立派な仕立ての服を着ているのだが、そんな人達に頭を下げられると、それだけで恐縮する。

(なんだか息苦しい……)

 人にもよるけれど、中には笑顔を貼りつかせて、からかうように声をかけるものもいた。「聖歌姫」と呼ばれる度に、ひそかに値踏みされているような気分になる。それで、早足に逃げてしまうことが多かった。

 けれど、その中にも心許せる人はいる。ニルナ達侍女や侍女長、そして……。

「こんにちは、姫。今お帰りですか?」

 ハリのある声でそう呼び止めたのは、剣ノ騎士ことシェザーレイだった。

 沈みかけていた歌音の顔が、ふわりと綻んだ。

「シェザーレイ様、こんにちは」

 シェザーレイは、誰よりも華やかな顔立ちだが、話してみれば気さくな人だった。口調は軽いが、嘘は言わない。おべっかではないと分かるから、素直に聞くことができる。

 彼は歌音の前に来ると、余裕のある立ち姿で笑った。歌音の護衛についている衛兵達が、遠慮して場から下がる。

「浮かない顔をしていらっしゃいましたね。王城は苦手のご様子」

「知らない人に話しかけられると、緊張してしまって」

「でも、私が話しかけたら笑顔になりましたね。私は合格ということかな?」

「シェザーレイ様はとても綺麗な方ですから、すぐに覚えました」

 それに、よく気遣ってくれるから、優しい人だと思った。冗談を言えば、ちょっと驚いた顔をしてから、笑い飛ばしてくれる。今のように。

「ははは、光栄ですね。私も姫の歌声はすぐに覚えました。聖歌殿がそうさせるのか、姫の歌声は騎士団の詰め所まで聴こえますよ。それでおつとめが終わったのだと分かってお会いしにきたんです」

「そうなんですか? うるさくありませんか?」

「まるで小鳥の囀りです。いかがですか、これからお茶でも……」

「そこの素行悪聖騎士殿」

 シェザーレイの背後から、呆れたような声が飛んできた。

 見ると、半眼のイルミラが手に何冊もの本を積み重ねて持っている。聖騎士達は仲がいいようで、出会うとより会話が弾む。

「何かな、忙殺虫聖騎士殿」

 事実、シェザーレイはしれっとした顔で咎めをやり返した。

「仕事もせずに歌姫を口説くなんて、聖騎士のやることかな。今日もキミのところの編制表と予算表が僕のところに持ち込まれたよ。後で引き取りにきてね。こんにちは、姫」

 イルミラは、歌音に対してだけ笑顔で言った。

「こんにちは、イルミラ様。重そうですが、大丈夫ですか?」

「大丈夫です、シェザーレイに半分持っていただきますので」

 と、笑顔で言うなり、半分をシェザーレイに持たせた。シェザーレイも抵抗する気はないらしく、大人しく持つ。

「僕も時間があればゆっくりお茶をご一緒したいですよ。剣ノ騎士団と知ノ騎士団の隊長がよく雲隠れするので、休む暇がないんです。姫からも何か言ってやってください」

 イルミラは働き者のようで、会うといつも忙しそうにしている。しかしなんと言ってあげればいいのか分からなかった。

「ええと……ごくろうさまです?」

 歌音が迷いながらそう言うと、シェザーレイが笑い、イルミラは天を仰いだ。

「姫の慈愛は海より深くていらっしゃる。まあいいや。それよりアルフレインと姫は仲がいいんですね。どこで知り合ったんですか? どの程度までのご関係ですか? 騎士と姫の恋はロマンスっていうけど――」

 好奇心に満ち満ちた顔で詰め寄るイルミラの首根っ子を、シェザーレイが猫を掴むように掴んだ。

「こら、噂好き。悪い癖が出ているぞ」

「だって、気になるじゃないか。あのアルフレインだよ? アルフレインが自分から声をかける女性は、今じゃ聖歌姫だけだよ。仲間として気になるさ」

 歌音は、二人のやり取りがよく分からなかった。

「姫はアルフレインと同じで奥手でいらっしゃるんだよ。だからこうして俺が手ほどきをだな」

 シェザーレイは、友人を擁護しようとしているのか、漁夫の利を狙っているのか分からないことを言う。

「なんの手ほどきだ?」

 と、目を丸くしたアルフレインが現れた。シェザーレイが舌打ちする。

「なんだ、来たのか。間の悪い」

「こんなところで立ち話をしていると、目立つぞ、お前達。御機嫌よう、聖歌姫」

 アルフレインは軽く礼をしながら、歌音に笑いかけた。

「こんにちは、アルフレイン様」

 アルフレインの笑い方を、歌音は慎ましい花のようだと思った。大輪の如き容姿を持っているのだが、優しく微笑むところがそう思わせる。

 歌音もつられて微笑むと、二人はそのまま笑顔を浮かべ合った。アルフレインの背後には彼の部下であるダルダイムもいるのだが、視界に入らない。

 シェザーレイとイルミラが顔を突き合わせた。

「あそこだけ空気が違うな」

「触れてはいけない神域のようだね」

 アルフレインはそんな二人の聖騎士を振り返った。

「さて、そろそろ仕事に戻れ。聖歌姫はお部屋にお戻りになるのだから」

「ちょっと休憩を……」

 とイルミラが言えば、

「もういいだろう」

 と言い、

「たまには話を」

 とシェザーレイが言えば、

「いつもだろう」

 と言う。

 それがまるで仲のいい学生達の絡みのようで、歌音は笑いを堪えた。

 ふと、歌音は、斜め後ろにダルダイムが佇んでいることに気付いた。

 ダルダイムは、聖騎士の称号は持っているが騎士団を持たず、アルフレインの直属の部下をしているという。

 身体は大きいが、目が優しい。だから、歌音は彼を怖いと思ったことはなかった。

「皆さん、仲がいいんですね」

 話しかけてみると、穏やかな微笑みが返ってきた。

「アルフレイン様とシェザーレイ様は、騎士学校からのご友人。イルミラ様はよく聖騎士の間を取り持ってくださいますので。……ご挨拶が遅れました。ご機嫌麗しく」

「こんにちは」

 決まり文句のような挨拶だったが、低く静かな声は穏やかで、落ち着いた。

 この聖騎士達には翳がない。だからこんなにも親しみやすい。

 じゃれるアルフレイン達を見ていて、歌音はそわそわとしてしまった。以前から考えていたことを行動に移したくなってしまったのだ。

「あの……皆さんにお願いがあるんですが」

 小さい声だったが、聖騎士達には聞こえたようだ。

 歌音が「お願い」などと言うことは珍しいので、四人ともきょとんとした顔をしている。

「どうかなさいましたか?」

 アルフレインが訊ねた。

 名前も分からない相手が多いこの王城で、彼らのように会話できる人は貴重だ。だからこそ、彼らには言っておきたい、お願いしたいことがあった。

 口にするのは少し恥ずかしい。

 だが、歌音は勇気を奮って言った。

「私のこと、名前で呼んでくださいませんか……?」

 聖騎士達は思わぬことに驚き、どういうことかと視線で訊いた。

 だから歌音は続きを口にする。

「最近、侍女達にもお願いしているんです。聖歌姫(セ・カノルス)と呼ばれることは光栄ですが、それは私の名前ではありません。だから、親しい方には名前で呼んでいただきたいんです。そうじゃないと、名前を忘れてしまいそうで……」

 聖騎士達は顔を見合わせたが、歌音の戸惑いは理解していた。

 アルフレインは光ノ騎士(フィ・リンター)、シェザーレイは剣ノ騎士(ランイ・リンター)、イルミラは癒ノ騎士(リーリィ・リンター)、ダルダイムは静ノ騎士(ウィー・リンター)、ジェインは知ノ騎士(エンディ・リンター)と、それぞれ王より賜った称号があるが、それは自分の名ではない。称号を賜った当初は、やっかんで名前を呼ばず、執拗に称号で呼ぶものもいたほどだから、歌音が名前で呼ばれたいという気持ちは分かる気がした。

「では、カオン様……とお呼びしてよろしいですか?」

 両手を握りながら俯いている歌音に、最初にそう言ったのは、アルフレインだった。

「そうですね。聖歌姫(セ・カノルス)の響きも綺麗だけど、『カオン』の名前の方がいいかも。親しくなった気がするし」

 イルミラがそう言うと、ダルダイムも頷いた。シェザーレイも満足そうな顔だ。

「まぁ、俺としてはカオンと呼びたいが……おい、睨むなアルフレイン」

「睨んでなどいない」

 と、アルフレインは言ったが、多少面白くなさそうな顔をしていた。

 歌音は胸のつかえが取れたようで、笑顔になった。

「ありがとうございます」

「だが、そうすると、俺達のことも愛称で呼んでほしくはないか?」

 シェザーレイの言葉に、イルミラが考え込んだ。

「それは逆に恐れ多いと思わない?」

 と言ってから、イルミラは歌音が不思議そうな顔をしていることに気付いて笑った。

「僕らにも愛称があるんですよ。シェザーレイは『レイ』、僕は『ミラ』、ダルダイムは『ダイム』。あんまり使いませんけどね。アルフレインは、なんだと思います?」

「え?」

「なぜ私だけ質問にするんだ」

 アルフレインは不可解そうな顔をしたが、歌音は真剣に悩みはじめた。

「ええと……」

 普通に考えれば「アル」だと思う。けれど、それでは簡単すぎるかもしれない。

 歌音はしばらく悩み、思いついた。

「『アレン』様?」

 聖騎士達が目を(みは)り、次の瞬間、イルミラとシェザーレイが笑いはじめた。

「違いましたか?」

「正解は『アル』ですけど、今時その呼ばれ方をするとはね」

「……?」

 歌音は戸惑った。何がそんなにおかしいのだろう。

 すると、シェザーレイが涙を拭いながら言った。

「ご存知ですか。『アル』は現在の言葉で『愛』を意味します。で、『アレン』は古代語で……」

「……『愛』ですよね?」

 歌音が言った。「アル」の意味は知らなかったが、「アレン」の意味は分かる。聖歌にも度々現れる言葉だからだ。

「アレン」は古代語で「愛」を意味する。

 聖歌に用いる古代語は、現在は神に奉げる語とも言われていた。「アレン」とは最も古い「愛」の言葉であり、もっと言えば、恋人でもなければ口にするのも恥ずかしいはずの呼び名だった。

 しかし、歌音はそのことを分かっていなかった。むしろ、地球には「アレン」という名前があるので、より名前らしいとさえ思っていた。

「おかしいですか?」

「いいと思いますよ。カオン様だけそうお呼びになるとよろしいでしょう。本人も不服はないようだし」

「だっ……誰がだ。変なことを言うな、シェザーレイ」

 気が付くと、アルフレインが赤くなった顔を手で隠していた。歌音はいけないことを言った気がした。

「お嫌だったらお呼びしませんが……」

「いえ、その……気になさらないでください。驚いただけですので……」

 シェザーレイとイルミラは笑いを堪えている。ダルダイムは珍しい上官の顔を眺め、アルフレインは顔を上げられずにいる。

 歌音だけが、よく分からない顔で首を傾げていた。


      ♪

 

 歌音は、貴賓として王城に留まっている。その身元は最導師(ル=ビ・リン)と宰相にあった。

 多忙な宰相の伝言で、いずれ聖王にお目にかかる場をご用意しますとは言われているが、その機会はまだこない。

 だが、歌音をないがしろにしているわけではない。宰相は、よりよい謁見の場を設けようと時期を見ていた。

 聖歌殿での務めがはじまってから、聖歌姫への関心は日毎に高まり、いつしか、王城中で聖歌姫の話題が上るようになっていた。



 歌音は、部屋で本を読んでいた。聖歌に使う古代語は覚えたが、現代語がまだ読めない。その勉強を兼ねている。

 コンコン、と扉がノックされた。

 きっとニルナだと思い、歌音は扉を振り返った。

「はい、どうぞ」

 思った通り、ニルナが、にこにこと嬉しそうな顔を覗かせた。

「失礼いたします、カオン様。お手紙をお持ちしました」

「お手紙? 私にですか?」

 聖騎士の誰かだろうか、と思っていると、ニルナが頷いて手紙を差し出した。

「可愛いですね」

 変わった手紙だった。桜色の便箋が純白のレースに包まれている。開けるのがもったいないほど可愛らしく、歌音は嬉しくなって、丁寧に開封した。

 勉強の甲斐あって、手紙はなんとか読めた。

「ええと……『麗しの聖歌姫へ 明日の十五刻、銀宮殿のお茶会へお越しになりませんか? おいしいお茶とお菓子をご用意して、お待ちしております。シェー……シェラ……』ニルナ、すみません。差出人の名前を読んでもらえますか?」

 署名が長くてさすがに読めず、頼もうと思って顔を上げると、ニルナは妙にびっくりした顔をしていた。

「ニルナ?」

「あっ、はい! 失礼します! ええと、シェラフィールス――」

 名前を口にした途端、ニルナが硬直してしまった。

「シェラフィールス様……どなたですか?」

 とても綺麗な名前だから、女の方だろう。けれど、聞いたことがない。

 誰だろうか、と思っていると、ニルナが手紙を持った手を震わせた。

「聖王の御息女にして第一王位継承者。銀宮の妖精姫ロアー・イ・フェリアルス……シェラフィールス・ディ・ア・ミラェルドレー王女殿下です」

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