六十一話 そして太陽はまた空に昇るのだから
暗闇の世界を、全力で走りぬける。
状況は何も変わらない。
逃げて、立ち止まって、横に飛んで、殴る。
それの繰り返しだ。
なんとか隙を見つけ本能の背に登ろうとすると、体を震わせ振り落とされてしまう。
本能とて、自分の弱点がそこにあるということが理解できているのだろう。
もしかして、ただ単に獲物が見えなくなることを嫌がっているだけかもしれないが。
「おい、まだ何か思いつかないのか?!」
―――思イツイタラモウ言ッテルヨ。【俺様】モチットハ考エロ。
「それができないから聞いてるんだよ!」
本能に向かって助走をつけ、頭を踏み台にして背中に飛びつく。
たったそれだけのことが、全くもって成功しない。
もう両手両足の指を使っても数えられないほど挑んだが、全て振り落とされている。
今すぐにでも、本能から支配権を奪還しなければならないのにだ。
―――・・・ア、ヤベ。コノママジャ死ヌワ。
「何がだよ!縁起のわるいこと言うんじゃねえ!まだ死んでたまるか!」
―――アー・・・急ゲ【俺様】、コノママジャヤバイ。
「だから何がだって聞いて―――」
―――【俺様】ジャネエヨ。【俺様】ノ大事ナ眷属ダヨ。後少シデ、アゲハガ喰ワレルゾ。
「・・・はっ?」
もう一人の俺が言ったことを理解するのに、数回内容を咀嚼しなければならなかった。
アゲハが喰われる?誰に?―――俺に?
―――本能ガ無茶苦茶ナ攻撃ヲ放ッテナ、ソレヲ受ケ止メタベルゼガ死ニカケタ所、本能ガエネルギー確保二捕食シヨウトシタ。ソレヲアゲハガ横カラ入ッテ止メヨウトシタッテワケダ。ダガ、本能二トッチャ眷属ナンテ他ノ有象無象ト区別ガツカナイ、タダノ餌ダ。コノママジャ喰ワレ―――
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
百八十度回転し、本能に突撃する。
本能も俺を喰らおうと、牙を剝く。流石に学習したのか、左右にも注意しているのがわかる。
しかし、今回は俺は横に飛ばなかった。
注意散漫になっていた真正面から立ち向かい、鮫の歯のように並ぶ牙の内の二本を掴む。
―――ナニヤッテンダ【俺様】。力比ベデ勝テルワケ・・・
「―――これしかねえんだよ!!!」
呆れた声に怒鳴り返す。
「アゲハが死ぬ、ベルゼが死ぬ・・・そんなことは許さない、許容しない!あいつらは眷属じゃない、家族だ!家族が死ぬところを黙って見届けろって言うのか!」
―――・・・・・・・・・。
掴んだ牙を全力で横に引くが、まるで抜ける気がしない。
本能も煩わしく感じたのか、全身を尺取虫のように動かしふるい落とそうとする。
しかし、離さない。離すわけにはいかない。
「こいつの牙一本でも抜けば、武器になる!それができれば、勝つ可能性が見えてくる・・・!!!」
―――・・・ハア、【俺様】モ馬鹿ダナ。
心底呆れた声が聞こえる。
―――ダガ、ソノ考エハ嫌イジャネエサ。ヒッペガセシテヤレ。
「おうよ!」
本能の牙を腕で抱え込み、本能の動きに合わせて上へ捻じ曲げ、両手に掴んだ二本の牙を捻りちぎる。
それに痛みを感じたのか、耳が潰れそうな奇怪な叫び声を上げて本能は頭をたたきつけた。
頭を叩き付けた衝撃で吹き飛ばされるが、牙は離さない。
しっかりと抱え込んだ牙を見れば、先端部は少しでも触れば切り裂かれそうなほど鋭い輝きを放っている。
やっと武器を手に入れた。もう一方的にやらせはしない。
痛みに怒り狂った本能が突撃してくる。
俺も牙を右手に構え、両足に力を篭める。
タイミングは一瞬、すれ違った瞬間に目を牙で抉る。
その時を見逃さないように構えていると、虚空から笑いをかみ殺すような声が聞こえた。
―――クックック。マア、今回ハイラナサソウダガナ。幸運ノ女神トヤラニ感謝スルコッタ。
「はっ?何笑って―――」
ぼそりと呟かれたため最後まで聞き取れなかった声に疑問を返す前に、それは起こった。
本能が―――地面から弾き飛ばされたのだ。
腹からハンマーで叩き上げられたように本能は上空へと吹き飛び、何度も地面をバウンドして、仰向けになってのびてしまった。
何が起こっているかはわからない。しかしこれだけはわかる。
―――チャンスダ。
「わかってる!」
全力で走り、尾のほうから牙をハーケン代わりにして足をかけ、腹に登る。
本能は今、気絶中だ。今が最初で最後のチャンス。
見逃すわけには行かない。
ぶよぶよとした皮を踏みつけ、腹へと向かう。
腹の中央にたどり着くと、そこにあったのは俺が最初に触れていた真紅の結晶だった。
真紅の結晶は、薄い膜に包まれた状態で本能の腹にへばりついていた。
あれだ。あれを奪い取れば、支配権を取り返せる。俺の中の何かがそう囁いた。
早速、牙を薄い膜に突き刺し引き裂こうとするが・・・
「かってえなちくしょがあッ!」
見た目とは裏腹に、膜は異常なまでの強度を持っていた。
何度も何度も牙を叩きつけても、ひび一つすら入らない。
―――マア、盗ラレタラ消滅スルカラナ。一番硬クスル二決マッテルダロ。
ガンガンっと執拗に膜へと牙を叩きつける。
しかし、叩きつけるうちに逆に牙の方が砕けてしまった。
・・・どうする?何を使えばこれを壊せる?
ない頭を限界まで絞り、知恵を絞るが全くいい案がでてこない。
・・・ここが、限界なのか。ここまで来て・・・
―――勝手二絶望シテル頭ノ悪イ【俺様】二一言アドバイスダ。牙ナラ、マダアルダロ?
「馬鹿を言うな。今から何本抉り取って叩き付けたって壊せるわけねえだろ」
―――俺ハ、本能ノダナンテ言ッテネエゼ?
もう一人の俺からの言葉に、俺は思い出した。
最初にこの世界に生まれてから、一番最初にして最大であった武器を。
「・・・・ありがとよ。思い出させてくれて」
―――ヒッヒッヒ、サッサトヤリナ。帰ルゼ、本来アルベキ場所ヘ。
「そうだな・・・」
真紅の結晶に向けて―――俺の本能に向けて手を合わせる。
こいつは、元々は俺だったもの。
散々手こずらされたが・・・俺が原因でできたものでもある。
「―――いただきます」
真っ黒な空間で、小さく嚥下する音が響き渡った。
*
蒼白の人影の双掌が、異形の胸を貫く。
それは、あまりにも現実離れした光景であった。
巨人の拳を受けてさえ罅が入る程度でしかなかったあの異形の装甲を貫いたのだ。まるで水に手を沈めるように、いとも容易く。
蒼白の人影からは、異形や巨人を超えるような力量は感じられない。
姿も気配も、吹けば消える蝋燭の火の如き儚さ。
しかし、現に異形の装甲は貫かれている。
そして胸を貫かれた瞬間、凍りついたように異形も動きを止めた。
「忠告はいたしました。器より多くては溢れ暴走し、小さくては掌握しきれず暴走する。もっと内側に目を向けてください、と。ただ一つ、嘘を申し上げたことを謝罪いたします。私の【霊視】で見えるのは、魂だけではありません。ある程度先の未来も視ることができるのです。まあ、それも正直に言えばもやがかかった夢の記憶のようなもの、正中率も高いとはいえませんでしたが、あなたの破綻は目に見えてわかっておりました」
蒼白の人影は、異形の胸から両手を引き抜き、哀れむような口調で語る。
アゲハは、その言葉である記憶を思い出した。
忠告・・・大きすぎても小さすぎても・・・そして極めつけの【霊視】。
「まさか・・・あなたは霊仙?」
炎霧山の火口内の湖で出会った、主の恩人の一人であるラムールの師匠。霊仙。
蒼白の人影が語った内容は、霊仙が語った内容と同じであった。
アゲハの声に気づいたのか、蒼白の人影は振り返った。
「お久しぶり・・・というほどでもございませんが、この場はこの言葉で終わらせていただきます。この姿は私の本来の姿・・・お気づきしてもら、あまつさえ魔神様の眷属に私の名を覚えていただけるとは光栄の極み。ただ、急かす様で申し訳ございませんが、あまり時間がございません・・・そちらで倒れられているのはベルゼ様で大丈夫ですか?」
痛みに耐えながら、ベルゼは首を縦に振る。
目も鼻も口もない、のっぺらぼうな顔で霊仙は考え込む。
「ふむ・・・中々の重体のご様子でございますが、残念ながら私にはそれを治癒する術は持ち合わせておりません。いえ、全く無いと言えば違うのですが、ここでは道具も何もありませんので。アゲハ様は何か心当たりはありませんか?」
「いえ・・・主様の眷属に治癒が得意なものはいませんので。そもそも、私たちが死に掛ける事態など万が一にもありませんし・・・」
「これは困りました・・・私は、意識が無い状態でないと肉体に干渉できない。人間ならともかく神の眷属の器では無理・・・どうにかして動くことができませんか?」
「何故そこまでここから移動することに・・・?・・・まさかッ、主様に何かあったのですか?!」
「いえ、関連性が無いかと問われれば嘘ですが、魔神様自体に問題はございません。問題なのは、巨人です。私の【霊視】でみる限り、巨人は既にことが終結したことに感づき始めています。後一分もしないうちに、巨人はこちらにやってきます。なので、なるべくここからはやく移動しなければいけないので・・・」
「それをはやく言いなさいッ!」
アゲハは慌ててベルゼを背負い、逃げるようにして前へ進む。
しかし、半分以上の体が消し飛んでいるため失血に気をつけながら運ばねばならないし、それに半身だけであるはずなのにベルゼの体は妙に重かった。
まるで、人型の金属を抱えているような重さだ。
「アゲハ・・・私は置いていけ。どうせもう死ぬ命だ」
「なりません!主様が目覚めた時に、兄様がいなければどうお思いになるとおもいます!」
「だが、このままでは二人とも同じ道だ。私を捨てなければ、お前が死ぬのだぞ・・・!」
ベルゼの言うとおり、アゲハの動きは実に遅々としたものである。
飛べれば地面を歩くよりかは速いのだろうが、ベルゼを背負いながらでは翅を延ばすこともできない。
よって歩くしかない。
一歩でも巨人から遠く。
霊仙の言ったとおり、丁度一分後に大地を踏みしめる音が聞こえ始めた。
巨人が、動き始めたのだ。
アゲハは後ろを振り返らない。振り返る暇すら惜しい。
ベルゼが続ける言葉を無視し、ただひたすらに前へと進む。
しかし、それも結局無駄な努力であった。
頭上から、絶望と共に真っ黒な影が落ちる。
小惑星に等しき、巨人の全体重が乗った足が落ちる。
アゲハは、再び目を閉じる。
先ほど異形と相対した時のように、何の策も無いものではない。
主から頂いたスキル・・・【絶望の呪氷】に残っている全ての力を手加減して注ぎこんだ。
【絶望の呪氷】は、本来は敵を溶けることのない脆い氷で凍結させ破壊することによって、この世から消滅させるのが主な使用方法だ。
しかし、常に全力で発動することができないアゲハはその下位互換である、魔力入りの硬質な氷をつくることもできるのだ。
アゲハとベルゼの周りに、透明な氷のドームが展開される。
透明な氷は硬い、しかし巨人の大質量に真正面から打ち勝つほどの硬度はない。
アゲハが狙ったのは、釘のように自ら地面に埋まることで巨人の一撃を分散しようと考えていたのだ。
そのため氷のドームの下は尖っており、例え上から大質量が衝突したとしても、地面に埋まることで氷のドームが受ける衝撃は分散されるだろう。
更に言えば、氷のドームが破壊されようと直ぐに再生できるよう常時魔力を注ぎ込んでいる。これなら、深層にまで生き埋めにされることはあっても命だけは助かる。
咄嗟に考えた作戦にしては、アゲハの案は上出来であっただろう。
しかし、アゲハは一つ重要なことを忘れていた。
「アゲ・・・ハ・・・・・・」
ベルゼは、アゲハの考えがわかっていた。何を狙っているのかも。―――その作戦の欠点も。
しかし、伝えようとしても声が出ない。頭も回らない。血が足らないのだ。
アゲハも、氷のドームの維持に全意識を傾けているため、ベルゼの言葉は聞こえていなかった。
絶望と恐怖の鉄槌が落ちる。
大気を押しのけて落ちる巨人の足と氷のドームは接触し―――氷のドームは一瞬にして霧のように消滅した。
再生するまでも無く、修復すらできず、スキル自体が掻き消された。
アゲハは思い出した。主を殺したスキルが何であったのかを。
―――スキルを無効化するスキルによって、主の鉄壁の守りが突破されたことを。
もはや、今から氷を生み出そうと間に合わない。
アゲハは、全てを諦めて目を閉じた。
しかし、いつまでたってもアゲハの意識は闇に落ちることは無かった。
痛みも感じない。苦しさも無い。
あるのは、背中に寄りかかる兄の体温と吐息の音だけ。
ゆっくりと、ゆっくりと目を開く。
瞳に写る光景は、黒だ。
上から落ちる影の中でも、更に際立つ真なる闇。
脈打つ巨躯の足をたった一人で支える、極限の暴虐たる黒―――異形。
異形は首元から伸びる何かで巨人の足を下から持ち上げ、膨大なる質量をたった一人で支えていた。
「あるじ・・・さま・・・?」
アゲハからの問いかけに異形は何も返さない。
異形はたった五本の、巨人に対してあまりにも細い尾をばねのように巻き、巨人の足へと勢いよく突き刺す。
たったそれだけで、惑星に等しき質量を持つ巨人の足は弾き飛ばされ、バランスを崩した巨人は仰向けに転倒した。
星を破壊する巨人が、星そのものと言っても過言ではない巨人が、だ。
呆然とその光景を眺めるアゲハの横に、いつの間にか異形が佇んでいた。
先ほどまでとは違い、六つの拳らしき物体を首に公転させている異形は音も無く忍び寄っていた。
異形は、その内の一つをアゲハへと飛ばす。
咄嗟に体を硬直させ、構えるアゲハだが異形の行動は予測できなかった。
異形の拳はアゲハの頭を優しく撫で、異形へと戻っていってしまったのだ。
異形は、拳を再び首元の公転に戻すとアゲハに背を向け、巨人の下へ歩いていってしまった。
あまりにも予想外の行動に理解が追いつかず、恐怖が抜けたためか腰が砕け、座り込んでしまう。
途端に涙が溢れ出し、前が見えなくなる。嗚咽で呼吸も苦しくなる。
今まで溜め込んできた感情があふれ出すのを止められない。
やっと・・・やっと帰ってきたのだ。
我らの主が・・・!!!
「お帰りなさいませ・・・主様・・・ッ!」
*
『 試練【原初的本能・死する飢餓】、の達成確認 』
『 本能から、体の支配権を奪還しました 』
『 本能から、一部の感情を奪還しました 』
『 試練踏破につき、世界より【世界神権】が授与されました 』
『 試練踏破につき、【終焉捕食】に【概念喰い】が追加されました 』
『 世界より、メッセージが届きました 』
『 希望は沈まなかった 』
『 闇を散らし、己が屍の上にて汝の意思は証明された 』
『 積み上げられた屍が何者であろうと、汝の覇道を止めてはならない 』
『 ただ、ただ前へと進め 』
『 例え、その道が如何なる犠牲の上に立つとしても 』
『 例え、その道が如何なる悲嘆の上に立つとしても 』
『 例え、その道が如何なる絶望の上に立つとしても 』
『 それこそが、汝が選びし破に辿りつく道である 』
『 だが、忘れてはならない 』
『 汝の悪は、牙を砥ぎて闇に潜んでいるぞ 』




