三十話 巫女
「・・・・・・・・・・・・」
静寂の空間、ステンドグラスから差し込む色とりどりの光を浴びながら、一人の少女が祈りを捧げる。
丁寧に手入れのされた腰まである金糸のように美しい髪は、ステンドグラスの光を浴びて輝き、白の法衣がその輝きを更に際立たせる。
絹のように滑らかな白い肌にくりくりとした大きな金の瞳は年相応で愛らしく、しかし、少女が漂わせる雰囲気は数百年生き続けると言われる聖人のように落ち着いている。
まるで、昔話の本から出てきた聖女のごとき少女は、ただ一心に祈りを続ける。
その祈りは自らが信仰する神のため、未だ祈りのいの字も知らなさそうなぐらい幼い少女は、黙々と祈る。
その祈りは、この地に豊穣をもたらしてくれた神へ。
その祈りは、この地に平穏をもたらしてくれた神へ。
その祈りは、この地に幸福をもたらしてくれた神へ。
例えその幸福の代償が、百年経っても未だ変わることなく年老いることもなきその体であっても、少女は祈りを捧げる。
未だ拝謁することなき神への感謝を、捧げ続ける。
しかし、その静寂も一人の少女によって終わりを迎えた。
「よっと・・・あ!こんなところにいたのですか、聖女様!」
自分の背よりも数倍は大きな扉を押し開けて入ってきたのは頭の上で小さく緑色の髪を纏めた少女。木で出来た重い扉を開き、嬉しそうに顔を綻ばせ聖女と呼んだ少女へ駆け寄っていく。
とてとてと擬音がつきそうな走り方でこちらへ来る少女の姿はどこか微笑みを誘うものだが、聖女と呼ばれた金の髪の少女は苦笑をしていた。
「・・・フラン、前から言っているけど私は聖女じゃないと何回言ったらわかるの?私は聖女じゃなくて巫女よ」
彼女は聖女と呼ばれることがあまり好きではないのだ。
自分はそこまで慈愛に満ちた清らかな存在ではない、神に力を授かった加護持ちではあるが、あくまで神の力の代行者。
自分自身の力でなく借り物の力で誇ってどうする。それが彼女が日頃から思っていることであった。
それに、聖女と言う称号には巫女にとっても苦い思い出のあるもので、あまりその名で呼ばれたくないのだ。
「あう・・・でもでも、巫女も聖女もあまり変わらないじゃないですか?」
「全然違うわ。聖女は自らの力で民に希望を与える英雄たるもの、巫女は神の言葉を代弁したり神の代わりに力を振るうもの、つまりどこまでいっても偽物ってことよ」
「それは違います!聖女・・・じゃなかった、巫女様は我ら国民全ての希望です!それに、加護だって神様に認めてもらえなければ貰えないですし、それにえっとえっと・・・」
なんとか巫女を説得しようと頭の中で言葉を探す緑髪の少女―――フランだが、普通の人間の人生の五分の一も生きていない少女には、自分の十倍以上長く生きている相手の説得は不可能であった。
頭を悩ませ徐々に赤くなっていくフランの顔はとても愛らしく、巫女も思わず意地悪心が出てきてしまう。
「それに?どうかしたの?」
「あうあうあう・・・聖女っじゃなくて巫女さまは意地悪です!」
「ふふふ、ありがとう」
「褒めてません!・・・っと、こんなことをしている場合じゃありませんでした!」
「何かあったの?」
「はいっ、エルレシア皇国から、また使者というか軍が来まして・・・」
「・・・わかったわ。フランはお父様とお母様に連絡をして第二門と第三門の警戒をお願いして、使者の相手は私がするわ。自衛団はもう動いているでしょうから、その後は非戦闘員の避難誘導、あなたも逃げなさいよ?」
「そんなことはできません!私も聖女様・・・じゃなくて巫女様と一緒についていきます!」
「・・・呼びにくいなら名前でもいいのよ?」
「そ、そそそそんなことはできませんよ!恐れ多すぎです!」
「それじゃあ、二つ選択肢を上げます。私の名前を呼んでついてくるか、呼び方をこのままの状態で素直に避難するか、どちらがいいかしら?」
「・・・えっと・・・え、っと・・・?」
巫女がフランにとって究極といっても言い選択肢を上げると、フランの目に徐々に涙を溜まり始め、飛び出していってしまった。
「うわーーーーん!巫女様の意地悪ぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!」
バンッ、と扉を弾き飛ばして、猪の突進とばかりに土埃を巻き上げながら走り去っていく姿に、流石に少々やりすぎたとかなと思った巫女であったが、今は気にしないことにした。
もう何度も経験済みのことであり、解決方法も既に心得ている。後で菓子でも作ってやれば機嫌も治るだろう。
それに、そんな些事に気をかけている場合ではない、フランが報告してくれたように戦が始まろうとしているのだ。
使者は護衛と言い訳するだろうが、軍を引き連れているということは、相手もその気でやってきているのだろう。
もっとも、例え軍を連れてこず単身でやってきたとしても、この国の門を開けるつもりさらさらない。半世紀以上も昔から続いている戦で、かの国との溝はそこまで深くなっているのだ。
キラキラと輝く金の髪を揺らしながら、巫女は第一門へと向かう。
教会をでる扉のところで巫女は一度頭を下げたあと、教会から去っていった。
「この国は・・・あなたが守り通してくれたこの地は、必ず私たち手で守り通してみせるよ。ムーちゃん」
巫女の手には、蒼い指輪がキラリと光っていた。
*
第一門に向かうと、そこには完全武装の兵士が千人と、煌びやかな衣装を纏った一人の太った中年の男が待っていた。
兵士共は言うまでもなく、中年の男は使者だろう。もっとも、見下してるとしか思えないその態度で使者が務まるとは到底思えないのだが。
巫女が使者の前に現れると、兵士は武器に手をかけ、使者は目の中に好色が浮かぶ。
相変わらず顔で考えがわかりやすい連中だと巫女が呆れていると、使者は頭を下げることもせず挑発を混ぜた挨拶をしてきた。
「これはこれは、ご機嫌麗しゅう偽りの聖女殿」
「・・・ええ、ご機嫌よう。本日はどのような御用で?」
巫女は使者の挑発に乗らず、ただ淡々と挨拶を返す。
「ちっ・・・いえ、こちら側の命令としては前と変わりません。この地を我々へ返却することと、あなたの身柄ですね」
「相変わらず、目を開いたまま寝言とは器用な方ですね。司祭などではなく雑技団にでも入団してみるかつくってみたらどうですか?きっとあなたたちが大好きなお金が大儲けできると思いますよ」
「ふん、減らず口を・・・貴様ら邪教徒共に我らが聖光輝神から授かりし地をこれ以上汚させるわけにはいかん。即刻立ち去り我らに返却せよ。そして、貴様は邪教徒共の象徴とは言え神は寛大なお方だ。真の神の信者たる我らに奉仕すれば、きっと神もお許しになるだろう」
「ついに惚けましたか使者殿。頭は大丈夫ですか?いえ、きっと大丈夫ではないでしょう、直ぐに治療院に行くことをお勧めしますよ」
巫女がそう哀れみの目で嘲りの口調で返すと、どこからかプチッと何かが切れる音がした。
「・・・いいだろう。我々が下から出てやっているというのに仇で返すというのならば、聖戦にて奪還するまで。精霊騎士団!レクスベクト様から授かりし聖地を、今こそ奪還せよ!」
使者は怒りで顔を赤に染め、後ろに控えていた精霊騎士団に命令を下した。
事前に準備していた者がいたのかどうか、途端に雨のように矢が降り注ぎ、無数の火の玉や光の槍が魔術師によって放たれる。
普通ならば矢は巫女の体を貫き命を奪い、魔術は第一門を破壊し尽くすだろう。エルレシア最大の騎士団、精霊騎士団の名は伊達ではない。
しかし、そこにいたのは普通の女ではなく、世界でも一人しかいない希少種族にして魔神の加護を受けた巫女であった。
「起動、【激流の飛盾】!」
巫女がそう唱えた瞬間、大量の光の盾が展開された。
形はカイトシールドであり、大きさはそれほど大きくない。特徴は翼の刻印が中央に刻み込まれていることであり、それ以外のめぼしい装飾は一切ない。
もうひとつの目立つ特徴として言えば、それは誰が見ても同じ答えが返ってくるであろう。
そう―――【数】と。
光の盾は、巫女が受けた加護により所有している神器―――【護盾《魔神の深き抱擁》】の固有能力【激流の飛盾】のものだ。
効果は自分の前に大量の光の盾を展開すること。
【不壊】などが付与された破壊不可の盾というわけではないが、とにかく量が多い。
例えどれだけ壊されようとも次から次に展開されていく盾、それは無限に内側から湧き出る壁に等しく、無敵の防御力を持つ最強の盾だ。
これこそ、半世紀以上、大陸最強と謳われた国家を抑え続けてきたスキルである。
ただの矢も、魔術が付与された矢も、清められた聖槍も、雷を纏った魔術剣も、街一つを焦土へ変える上級魔術さえも光の盾は弾き、軍の侵略を許さない。
「相変わらず単純な方達ですね・・・。無駄ということがわからないんですか?」
「今回はそれだけではない」
使者が気味の悪い笑みと共に、右手に構えていた杖を大地に振り下ろす。
杖と石畳がぶつかり、カンッ!と軽い音が周囲に響き、杖は砂に還るよう崩れ去っていった。
しかし変化はそれだけ。状況は一切変わることなく、何かが起こると言う様子はない。
「何を用意したかはわかりませんが、無駄骨みたいでしたね」
「くっくっく・・・成功だよ」
使者の向ける気味の悪い視線は巫女でなく、巫女の後ろへ注がれていた。
不審に思い振り返ると、そこにいたのは一人の青年であった。
肩ほどまでしかない茶色の髪に、茶の瞳、ただひとつおかしいことはその目に光が宿っていないこと。
まるで、操り人形のように生気のない青年が果物用のナイフを持ってたっていた。
「まさか・・・催眠魔術?あなたたちは大陸協定を忘れたのですか!?」
この青年の様子は常に国の教会に篭っている巫女にも理解できた。闇系の魔術により操られている人間の目だ。
この国では入国時に、皇国の工作員が入らないよう貴重な心を見ることのできるスキル持ちの人間に警戒させている。
そのかいもあって、現在まで工作員の侵入はゼロ。潜入未遂の工作員は、全てその場で処刑という徹底ぶりだ。
だが、工作員は抑えられても催眠魔術だけはどうにもならない。何せ心が既に殺されているため、読もうにも読むものがないのだ。しかも、催眠魔術は何らかの信号を発することで発動することができるので、心が読めないことを判断材料にすることもできない。
しかし、戦略的には有効だが催眠魔術はあまりにも非人道的すぎるということで、大陸条約で禁じられている。
この皇国の行為は条約違反だ、下手しなくても国際問題、最悪の場合戦争が起こる可能性もあるというあまりにも危険な行為、常識では考えられないものである。
だが、使者は自分には関係ないとばかりに話を続ける。
「我らの力を抑えるために作った条約など知らん。この戦いは、邪教徒から聖地を取り戻すための聖戦。その同志も我らの話に感動し、自ら神の尖兵となってくれたのだ。この功績は永年称えられるものとなろう」
「くっ・・・外道どもが!!」
一見無敵に見える巫女の神器、実は重大な欠陥がある。それは、盾は自分の前方にしか展開できないことだ。
前からの攻撃ならば完璧に対処できるのだが、後ろからの奇襲には弱い、それがアイリスの弱点であった。
一応、後ろからの奇襲予防策として、事前に工作員を入らせないなどの対策は講じているが、流石に巫女も催眠魔術が出てくるとは予想できなかった。
今の状況は最悪に近い、後ろの青年に対処すると精霊騎士団の攻撃を抑えることができなくなる。逆に精霊騎士団に集中すると後ろの青年にやられる。
何か手はないかと頭を巡らせ焦る巫女だが、解決策は思いつくことなく徐々に青年は迫ってくる。
「さあ!同志よ!その手で魔女を、神敵を討ち滅ぼすのだ!フハハハハハハハハハハハハハッッ!!!」
「・・・っ!」
使者は高笑いを上げ、ナイフは高く振り上げられた。
巫女の中で諦めが浮かんだその時、ナイフは振り下ろされた。
咄嗟に目をつむった巫女の耳に、グシャッ、という音が嫌に響き渡る。
真っ赤な血が吹き散らされ、石畳の橋を濡らす。
「・・・・・・あれ?」
しかし、巫女に苦痛はなかった。
即死したわけではない、第一果物用のナイフで即死するほど巫女は貧弱ではない。
「な、なんだ貴様!?」
使者の狼狽した声が聞こえる。声だけではあるが、相当な驚きがわかるほどだ。
巫女は恐る恐る目を開き、一番最初に目に入ったのはナイフであった。
「ひぃっ!?」
巫女は思わず悲鳴が漏らしてしまったが、ナイフは動くことはない。
接着剤でくっつけたように、空間に固定されてしまったようにナイフは一ミリたりとも動かない。
不審に思い見上げた先、そこにいたのは『黒』であった。
圧倒的な黒、世界の全てを敵に回すが如き暴力的存在。
人と蠍が混じったような、奇形。
『神敵?笑わせるなよクズども。魔神に敵対するというなら貴様らが神敵だ』
それは、百年前に生まれた災厄―――『魔神』であった。
はたして巫女は誰なのか!?
まあ、最初の方で正体バレてましたかね?誰とは言いませんが。




