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92 不器用な許しと正直な答え

 その日は金曜日で、お客も多く、ユーキは休みなしの接客に追われていた。いつもはお客にも波があるのに、今日のユーキは常に指名客の側にいた。化粧室に行く暇さえ与えられない。

「今日はどうしたんでしょうね」

 ユーキのヘルプについていた入店3か月の華菜かなが、お客を見送った帰りのユーキに声を掛けた。

「3月の終わりだからよ。4月から異動になるお客様も多いみたいだし、そのせいね」

 と、ユーキは答える。

 3月は年度末。4月の新年度を迎えると、昇進するお客もいれば、降格するお客もいる。どこか別の地に転勤するお客もしばしば。つまり、3月までしかユーキに会いに来れないお客が、大勢いるということだ。

「この時期はいつもこうよ」

 ユーキは慣れた口調で言いながら、はぁ、と、色っぽく溜め息を漏らした。

「ユーキさん、ご指名入りました」

「はーい」

 ユーキはまた新たな客の元へと駆けていく。

 途中、そのお客の後ろ姿には何度か見覚えがある、と、ユーキは何となく、だけどかなりの確信を持って、思う。


 ――あれはきっと・・・・・・。


「いらっしゃいませ」

 ユーキは頭を下げた瞬間、分かった。その人から滲み出る習性。適度な緊張と圧迫を与える、その姿。


 ――あぁ、やっぱり。


 ユーキは彼に向かって微笑んだ。少し頭をずらして、可愛げに。

「今日はお客様なんですね、東堂さん」

 そう言って、ソファに座る。

「東堂さんて、雰囲気のある方ですよね。遠くからでも分かりましたよ」

 ユーキはグラスを手に取ると、お作りしてもよろしいですか、と、義務的に言った。どうぞ、と東堂が目で合図をしたような気がして、そのまま氷を重ねていく。

「遊びにいらしたんですか? それとも、」

 そのあとは、分かっていた。ユーキも、きっと、東堂も。そのあとに続く言葉は、ひとつしかないと。

 黙っていた東堂は、せきを切ったように話し始めた。

「朱葵に、ちゃんと台本を渡してくれたそうですね。あと、見送りの件も言ったと聞きました」

「あぁ」

 ユーキは相槌を打つ。

「朱葵が言うには、あなたは随分余裕な表情で朱葵に別れを告げたのだと」

「えぇ」

 ユーキがそう答えるのを待っていたように、東堂は言った。

「正直、驚きました。好きな相手と別れるのは辛いものだと思っていましたから」

 もちろん例外なく、ユーキもそうなのだと、思っていた。だからこそ、2人は離れることができるか、離れて、それでもひとりでやっていく力があるのかを見極めようと思っていた。

「だけどあなたはそれ以前に、朱葵をあっさりと手放した」

 躊躇うことなく別れを告げたユーキを、東堂は理解できなかった。

「なぜですか? 離れても大丈夫だという自信があったから? それとも、このまま別れてもいいと思ったから?」

 東堂は問いた。相手を想う気持ちに多少差があって、朱葵のほうが強くユーキを想っていたとしても、ユーキのそれは、あまりに潔い。

 ユーキは何度か言葉を詰まらせて、それでも頭の中でそれらをまとめて、言った。

「あたしが余裕でいられるのは、朱葵くんが迎えに来てくれると信じているからです」

 と、運動会の選手宣誓のような大きな声ではなかったけれど、それと似た、強い意志を持って。

「朱葵くんと、約束したんです。あたしは“ここ”で待ってるって。朱葵くんは必ず来るって言ってくれました。それならあたしは、その言葉を信じて待つしかないじゃないですか」

 まだ近い過去に交わした約束。それが、ユーキを支えている。たとえ時間がかかっても、朱葵は“ここ”にやって来る。好きだからこそ、そう信じている。いや、“そう信じるしかなかった”。

「東堂さんが思っているよりも、ずっと、深く繋がってますよ。あたしたちは」

 ユーキは笑った。だから安心してください、とでも、言っているかのように。

 東堂はひとつ大きく咳払いをすると、照れた様子で言う。

「2人の気持ちが強いのが分かったからといって、まだ認めたわけではありません。朱葵は明日、午後6時の新幹線で京都に向かいます。僕もずっと朱葵に同行します。映画の撮影が終わったとき、どうなっているかは誰にも分かりませんから。3か月後、楽しみにしていますよ」

 東堂はグラスに残ったお酒をクイッと飲み干すと、立ち上がり、ユーキを見た。

 明日の午後6時に新幹線で――。

 それは多分、不器用な東堂の許し方。見送りに来てもいい、という、今の東堂にできる、精一杯の伝え方だった。

 ユーキはそれが分かると、にこっと微笑み、「ありがとう」と言った。無防備に緩んだ口元は色っぽさがなく、だけど、可愛さに溢れていた。朱葵はこの笑顔を独り占めしているのか、そう思ったら、東堂は少しだけ朱葵が羨ましく感じた。


 フロアを出て、外で、ユーキは東堂を見送る。一度はピカピカ通りを歩き出した東堂は、はっとユーキのほうを振り返ると、言った。

「ひとつだけ、聞いておきたいことがあります」

「何ですか?」

 風が冷たく、強く吹いていた。ユーキはなびく髪を左手で押さえながら、東堂に返す。

「これはマネージャーとしてではなく、僕個人が、興味本位で知りたいことです。朱葵には言ったりしないし、答え次第で今後の僕の考えが変わるわけでもない。だから、正直に答えてほしい」

「分かりました」

 わざわざ釘を差す理由はあるのか、と思いながら、ユーキはそれに従う。

 東堂は、言った。

「あなたは、朱葵のために仕事を辞めることはできますか?」

 雨が降り出しそうな空色。東堂には追い風、向かい合うユーキには向かい風が、吹いている。

 久々にストンと下ろしたストレートの髪は、風に遊ばれて様々に方向を変える。唇のグロスに一筋の髪が捕まって、ユーキはそれを指で解くと、言った。

「それはできません」

 ゴロッと唸った空。東堂には聞こえなかったかもしれない、正直な答え。

 だけどそれが、ユーキの正直な答え。





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