8 ホストの世界
樹のあとをついて行く中で、朱葵は、まるで異世界に入ってしまったかのような感覚になっていた。
階段で、酔いつぶれて倒れていたり。客をめぐって、胸ぐらを掴んだにらみ合いをしていたり。トイレの便器を抱え込んで、酒を戻していたり。
戦争のあとみたいだ、と、朱葵は思う。
――フロアから一歩離れるだけで、こんな光景が広がっているなんて。
目に飛び込んでくるすべてを、朱葵は納得しようとしていた。
そう、これが「夜の世界」なのだ。自分のいる芸能界だって、テレビで好感度の高い芸能人が裏ではすごく傲慢だったりする。朱葵はそんな人を何人も見ている。打算的で、二面性を持っていて、八方美人で。
世界が違うだけで、同じなのだ。オモテとウラがあるということは。
「驚いたか?」
と、樹は腕を組んで、言った。
「少し」
初めはものすごく驚いていたが、納得した今では、そんなにたいしたことではない。
すると、樹はあっさりと、朱葵に、言い放った。
「今日から5日間、おまえにはこの世界で生きてもらう」
樹のその言葉を、朱葵は理解できなかった。
* * *
フロアに残されたユーキのもとには、他のホストがついていた。樹が頼んだのでもないし、ユーキが呼んだのではない。ホストのほうから、ユーキに近づいてきたのだ。
“樹の女”であり、“六本木ナンバーワン”である、ユーキに。
「ユーキさん、はじめまして」
初めに隣に座ってきたのは、ナンバー2のユウタだ。
「呼んでないけど」
「うん。俺がユーキさんと話したかったから、来ただけ」
と、ユウタは笑顔で返す。
ユウタは、その甘いマスクに抜群に似合った甘え方で、人気を博している。ナンバー2だって、半年間維持している。ただ、ナンバーワンの樹には、到底敵わないけれど。
「ユーキさんって有名だし、会ってみたかったんだ。さすが、綺麗な人だね」
「ありがとう。でも、褒められても何も出ないよ。一応あたし、樹のお客だし」
ユーキはそっけなく、返す。自分に近づくのは、樹からナンバーワンの座を奪おうとしているからだろうと、思っていた。
「俺、樹さんのお客さんを取ろうとして言ってんじゃないよ。ユーキさんを見てそう思ったから、言ったの。それに樹さんのお客さんだからって、褒めちゃダメなんて決まり、ないっしょ?」
と、ユウタが返して、ユーキははっとした。
「・・・・・・そうね、ごめんなさい。ありがとう、嬉しい」
ユーキがそう言うと、ユウタも笑顔を返した。
「そろそろお客さんに怒られちゃう。またね、ユーキさん」
ユウタが離れていくと、それを見計らって、新人ホスト3人組がユーキのもとへやって来る。
「はじめまして。あのっ、俺たち樹さんに憧れてこの世界に入ったんです。そこで樹さんのカノジョの存在を知って。今日会えてすっげー嬉しいです」
3人は、目の前に“あの”ユーキがいるということに興奮を隠し切れない様子で、言った。
「ユーキです。よろしくね」
ユーキはにっこりと笑って言う。いつもの、男の心を掴む笑顔だ。
「ヤバイ!! 生ユーキさん」
「ちょーキレイ」
「マジ惚れる」
と、3人は口々にそう言う。
「今度『フルムーン』にも来てね」
さらにそう言うと、3人は「絶対行きます!!」と、声を揃えた。
ユーキは、接客中でもないのに、また新たな客を3人も捕まえてしまった。
――あたしがお客なのに。
なんだかおかしい。そんなことで笑っていると、3人組の背後から、樹の声がした。
「なにやってんだ、おまえら」
「わっ、すいません樹さん!!」
3人は慌てた様子で素早く散っていった。
「樹、朱葵くんをどこに・・・・・・」
フロアが、一時静まり返った。
「朱葵・・・・・・くん?」
ユーキは、樹の後ろにいるのが誰だか、一瞬、分からなかった。
そこに立っていたのは、朱葵だけど、朱葵じゃなかった。