87 2人だけの絆
ぴっちりとくっつけられていた布団は、ほんの少しだけ距離がつけられた。
「近すぎると危ないからね」
と言って、朱葵が自分の布団をズズズと引っ張ったのだ。
ユーキはそれを笑いながら見ていた。朱葵が自分からあえて離れていくのに、寂しさは、なかった。
――また2人、想い合う気持ちが強くなった気がする。
家族とは違う、でもそれと同等の絆が、2人の間で結ばれているのを、ユーキは感じた。
だけど。
ユーキは、ちらっとバッグを見やる。いろいろあった今日の、本当の目的を、ユーキはまだ果たせていない。「朱葵に渡しておいてください」と東堂に言われた映画の台本が、バッグの中にしまい込んである。ユーキはそれを渡し、同時に、東堂との約束を実行しなければならない。
もうすぐ午前0時。4時間後には旅館を出て、海へ向かい、夜明けの瞬間を見る。それはきっと、今までで一番綺麗なものになるだろう。
だけど、“その後”は?
想像できない。したくない。ユーキは考えることをやめようと、フルフルと頭を振る。
「どうしたの、ユーキさん」
それを目撃していた朱葵は、不思議にユーキを見る。
「ううん。ちょっとボーっとしてたから」
「長時間運転で疲れたんだよ。そろそろ寝よっか、明日は早いし」
「そうね」
朱葵は立って電気のスイッチを消すと、暗くなった部屋で足元を探りながら、器用に布団へと戻った。
「おやすみ、ユーキさん」
「・・・・・・」
ユーキからの返事がない。もう寝てしまったのかと思い、覗き込もうとしてユーキに近寄ると、朱葵の体に、ユーキの温もりがふわっ、と触れた。
「ユーキさん?!」
思わず離れようとした朱葵を、ユーキは浴衣をぐっと掴んで、引き止める。
「えっ?」
「朱葵くん・・・・・・」
真っ暗な中で、ユーキの切なげな吐息が漏れる。朱葵の動きは、完全に止まってしまった。2つの布団の間に作った溝に、朱葵が横向きにはまっている状態。横腹に畳が当たっていて、少しだけ痛い。
「ユーキさん、どうしたの」
ユーキはぎゅっ、と浴衣を掴んだきり、離さない。そのうちユーキから、寒々とした息づかいが聞こえた。
「あたし・・・・・・暗いのは・・・・・・」
ポツポツと聞こえてきたユーキの言葉を、朱葵は、漏らさないように聞き入る。
「ひとりじゃ、ダメなの」
朱葵は、はっとした。そういえばユーキは、暗いところが苦手なのだ。
「ユーキさん。分かったから、浴衣離して」
朱葵が言うと、ユーキは素直に従う。朱葵は、ユーキの両手を取り、握った。とりあえずこのままで、と朱葵が言うと、ユーキが頷いたのが分かった。
「俺も前に聞いたのに、忘れててごめんね。でも、言ってくれればよかったのに」
そうしたら布団だってくっつけられたままにしていたのに、ユーキは笑って見ていただけだった。
「本当よね。言ってれば、朱葵くんにこんな迷惑かけてなかったのに」
ユーキは、まだ恐がった様子で、言う。
「だけど、自分でも信じられないけど・・・・・・忘れてたの。あたし、自分が暗闇が苦手だって、すっかり忘れてしまってたのよ。ただ、2人でいる時間が楽しくて、そんなことにも気づかないくらい、浮かれてたの」
ユーキは、強く手を握り締める。
「こんなこと、前にあったね。暗闇の中で、ユーキさんが俺に抱きついてきて」
「うそ、そうだった?」
「うん。それで俺は、ユーキさんを抱きしめて・・・・・・。思えばあのときから、俺はユーキさんが好きだったのかもしれないな」
朱葵は、前と同じように、ユーキを抱きしめてみせた。
「いつもは凛としていて、自分の手には届かないところにいるんだ。だけど、たまにすごく脆い姿になったり、少女のように笑ったり、怯えたりする姿があって。知りたくなるんだ。『この人の本当の姿はどこにあるんだろう』って」
朱葵は、東堂の言っていた言葉を思い出す。
「男はああいう女を自分のものにしたくなるんだよ」
もしかして、東堂もそうなのだろうか。そう思うことだって、あった。
自分にだけ特別に見えるんじゃなく、誰もが惹かれる人なのだろうか。そんな考えさえ生まれた。
だけど、今、ユーキの傍にいるのは自分で、ユーキが頼っているのも、自分。それを信じたい、と、朱葵は思う。
「朱葵くん?」
突然黙った朱葵に、ユーキは声を掛けた。
「あ、ううん。ちょっとひとりの世界に入ってた」
「ねぇ、やっぱり布団、くっつけてもいい?」
ユーキは朱葵に擦り寄る。
「うん」
再びぴったりと隣り合わせた布団の、内側に、2人は向かい合った。
「抱きつくのはナシね。俺、やばくなるから」
「何が?」
ユーキはいたずらに聞く。
「ユーキさん、さっきと全然違うんだもんな」
幼い少女だったユーキは、いつの間にか、余裕を取り戻している。
「だって、朱葵くんがいるから」
「え?」
「あたしが脆くなったときは、朱葵くんがすごく大人の男に見えるの。だから、あたしはすぐに落ち着くことができる。朱葵くんがいなきゃ、あたしはダメなのよ」
やっぱりユーキには敵わない、と、朱葵は笑う。ユーキは、欲しい言葉を、いつも絶妙なタイミングで与えてくれる。今は、自分の傍にいるユーキこそが、彼女の本当の姿なのではないか、とさえ、思うことができる。
「おやすみ、ユーキさん」
「おやすみなさい」
一見、離れて眠る2人。布団の中には、繋がった手が、隠れている。