84 別れの秘密
「吉倉……結姫さん?」
「そう。『フルムーン』に入店したとき、あたしはユーキとして生きていくことを決めた。……お姉ちゃんもね、六本木ではないけど、キャバクラで働いていたことがあるの」
朱葵は、ユーキの口から告げられるその事実を、ただ、受け入れるしかなかった。
「顔はあたしとそっくりなのに、性格はまるで違うのよ。あたしは冷静に物事を考えてから行動するタイプだった。でも姉は、とにかく突き進んじゃうの。危険かどうかも確かめないで」
ユーキは懐かしく、過去を思い出しているような目をする。
――だから、あんなことになってしまったの……。
その言葉は心にしまい込んで、ユーキは、続けた。
「姉は働いてる期間もそんなに長くなかったし、要領も悪いから、ナンバーワンとまではいかなかった。だけど、夜の世界では有名だったの」
「なぜ?」
朱葵はふと、疑問に思う。
「それは今必要じゃないわ」
ユーキはそう言って答えを拒絶し、話を続けた。
「あたしがこの世界に入ったのは、ある人を見つけたいからなの。その人は、姉と深く関わっている人。『ユーキ』っていう名前を聞いたら現れるんじゃないかって、思ってる。だから、あたしは姉の名前を名乗ってるの」
この言葉にもいくつか、曖昧に流された謎があった。やはり朱葵は疑問に思ったが、それも「今必要じゃない」のだろうと、悟った。
「愛ちゃんに聞かれたとき、あたし、ちゃんと答えられなかった。あたしは何て呼ばれたいんだろうって、思ったの」
誰もが呼ぶ源氏名か、絆で結ばれている人だけが呼ぶ、本名か――。
「あたしは、今のままがいい」
「『ユーキさん』って?」
ユーキは、コクン、と頷く。
「あたしが朱葵くんと出会ったのは『ユーキ』としてだったから、そのままがいい。朱葵くんに素顔を見抜かれた『ユーキ』のままで、朱葵くんのそばにいたい」
肩に込められた力はいつの間にか緩んで、ユーキの手は、朱葵の肩にそっと、乗せられていた。その温もりから、ユーキの想いが伝わってくる。
「ユーキさん」
朱葵は振り向き、ユーキの手を取る。
「名前を教えて」
「え?」
「あなたの本当の名前。覚えておきたいんだ」
その言葉に、ユーキは戸惑った様子だったが、朱葵がぎゅっと両手を握ると、それを強く握り返して、小さく言った。
「光姫――。吉倉光姫」
そしてユーキが優しく微笑むと、朱葵も、笑みを返した。
午後10時。眠るにはまだ少し早く、今度は朱葵が、ユーキのマッサージを始めた。
腰が痛い、というユーキのリクエストで、朱葵は、布団に寝そべったユーキの腰を揉む。
ほっそりとしていて、だけど程良く肉付きがいい。腰の細さで、ユーキの体のラインが分かる。
「ユーキさんって細いよね。ご飯、ちゃんと食べる人なのに」
さっきの夕食も、ユーキは残すことなく平らげていた。
「朱葵くんだってそうじゃない」
「俺はジムとか行ってるし」
「あたしは元々太りにくい体質なの。運動もしてないわ」
顎を手の甲に乗せながら、ユーキは気持ちよさそうに目を閉じている。
「運動しないの? 筋肉つくよ」
「ムキムキな彼女が欲しいなら、スポーツ選手にでもアタックして。だいたい朱葵くんは筋肉あるの?」
ユーキはチラリと朱葵の体を覗く。
「ユーキさん、疑ってるでしょ。脱いだら結構あるよ」
と、言ってしまってから気づく。このひとことで、2人の間の空気が、変わってしまった。
――脱いだら、なんて、口にすることじゃなかった。
朱葵は沈黙の空間で、ひたすら後悔していた。
すると、ユーキが突然声に出して、ふふっ、と、笑った。
「え、何?!」
朱葵は戸惑いながら、言う。
「だって、朱葵くんって本当に見た目と違うんだもの」
ユーキは笑いながら、ゆっくりと起き上がる。
「どういうこと?」
「女に興味ありませんっていうか、女慣れしてますって感じなのに、中身はすごく純粋なの。大人っぽく見えるけど、やっぱりまだまだ若いのよね」
くすくすと笑うユーキを、朱葵は衝動的に腕を掴み、そこに押し倒した。
「きゃっ」
バフッと音を立てて、ユーキは布団の上に仰向けに倒れる。目を開けると、朱葵が真剣な顔をして、ユーキを見つめていた。
確か、前にもこんなことがあった。朱葵の部屋で、ユーキは同じように、押し倒された。
「どうしたの……?」
ユーキは冷静に、言った。
「ユーキさん、分かってない。俺は、ユーキさんよりも若いけど、男だよ。女の人に興味だってある。相手がユーキさんなら、なおさら」
朱葵はそう言って、ユーキの首筋に軽く、唇を触れさせる。
「朱葵くん、離して」
ユーキは朱葵の腕を振り払おうとするが、さすがに力が敵わない。
「俺じゃ、だめ?」
ユーキが嫌がる姿に、朱葵は、思わず不安を口にする。
「違うわ。あたしじゃない。朱葵くんのほうが、きっと嫌がる」
「俺はユーキさんを抱きたい。本当はずっと前から、そう思ってた。嫌なわけないよ」
朱葵がそう言うと、ユーキは、抵抗していた腕の力を抜いた。
そして、まっすぐに朱葵を見て、言った。
「じゃあ、樹に抱かれたことがあるって、言っても?」
ユーキの朱葵を見る眼差しは強く、冗談を言っているのではないのだと、悲しくも、朱葵は、分かってしまった。




