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82 別れの夜

 夕陽が、海に落ちていく。


「早いのね」

 波音だけが静かに音を立てていた空間に、ユーキの声が不意に届く。

「え?」

「前にここに来たのは、夏の終わり頃だったんだけど、そのときは6時過ぎてたの。なのに、今はまだ5時。夕陽が落ちるのが、早いなぁって」

 海岸は波風のせいもあって、とても寒い。ユーキは身体に肌寒さを感じた。

「ユーキさん、寒いでしょ。もう行く?」

「ううん。陽が完全に落ちるまで、ここで見てる」

 ユーキは両手で肩を抱き、じっと、水平線の向こうを眺めた。

「じゃあ、これ」

「え?」

 朱葵は、自分のしていたマフラーを、ユーキに巻いた。

「いいわよ。それじゃあ朱葵くんだって寒いわ」

 ユーキがマフラーに手を掛けると、朱葵はその手を掴んだ。

「俺は男だから大丈夫」

「どんな理屈よ」

「いいからしてて」

 強引に巻きつけられたマフラーは、少し苦しいくらいに首を温める。

 するとユーキは突然、ふっ、と笑った。

「何?」

「前にもこんなことあったなって、思い出しちゃった」

 クリスマスの夜、朱葵に掛けられたマフラー。あのときはまだ、付き合っていなかった。

「朱葵くんが帰ったあと、あたし、マフラーを外せなかった。お店に戻る短い距離で、マフラーに残った朱葵くんの香りを感じてた。このマフラーも、そう。朱葵くんの香りがする」

 ユーキは目を閉じて、その香りに触れると、あのときと同じ心地好さを感じた。

「俺の香りって、何か変な感じ。どんな香り?」

「ナマイキな年下の男の子の香り」

 面を食らったような朱葵の表情に、ユーキはあはは、と、声に出して笑う。

「ユーキさん、酷くない?」

「うそ。本当はね、」

 周りには誰もいないのに、ユーキは背伸びして、朱葵の耳元で、ひっそりと、言った。

 

「本当はね、あたしが素直に心を落ち着けるような、この海と同じ香りがする」


 その言葉のせいか、耳元にユーキの息がかかったせいか、朱葵は照れた様子で、顔を背けた。

「朱葵くんって見かけによらず、純粋なのよね」

 ユーキは、ポツリと呟いた。


 その間に、夕陽は早々と海に落ちてしまった。

「もう、朱葵くんが照れてるから、陽が沈んだところ、見れなかったじゃない」

「俺のせいにしないでよ」

 さっきから溜め息と、グチグチとユーキが何か言っているのが、聞こえる。

 どうしようか、と、朱葵は考えて、ひとつ、思いついた。

「ユーキさん。明日、一緒に夜明けの瞬間をここで見よう!!」

「え?!」



 *  *  *



 午後6時を回り、2人は車を走らせて、伊豆に来ていた。朱葵の提案で夜明けを見ることになって、今日はどこか近くに泊まることにしたのだ。

 幸い、伊豆は海からそう離れていなく、温泉観光地だからか、宿泊施設は多い。問題は、朱葵が芸能人だとばれてしまうことだったが、陽が落ちて暗くなり、朱葵の姿が目立つことはなかった。

「良かったわ。飛び込みで泊まれて」

 奥まったところにある旅館に、2人はチェックインすることができた。ユーキは部屋に入ると、マフラーと、コートを脱ぐ。

「朱葵くん、何つっ立ってるの? 座らないの?」

「あっ、座るよ」

 部屋の入り口に立っていた朱葵は、思わずその場に座り込む。

「そんなところにいないで、座布団引いたんだから、そこ座ったら?」

 ユーキがそう言うと、朱葵は畳の上を滑るように這って、座布団までたどり着いた。

「もしかして、緊張してるの?」

 ユーキはくすっと笑う。

「いや、だって、泊まりなんて考えてなかったし……」

「言い出したの朱葵くんじゃない」

「そこまで考えてなかったし」

 ユーキは溜め息を長く漏らすと、言った。

「じゃあ、部屋分けてもらう?」

「え?」

「あたしと一緒の部屋なのが嫌なんでしょ」

 ユーキは立ち上がり、朱葵から目を逸らすと、入り口に向かった。

「待って」

 朱葵はユーキの腕を掴む。

「そうじゃないんだ。ただ・・・・・・」

 うまく言葉にならない。朱葵が俯くと、ユーキは掴まれた腕の力をするりと抜いた。

「あたしだって、緊張してるのよ」

「えっ?」

 朱葵はぱっと顔を上げる。

「一緒に夜明けを見ようって言ってくれたこと、泊まるのを考えててくれたんだと思ったから、あたしと夜を過ごしてくれるって言われたみたいで、嬉しかったの」

 ユーキはそう言って、気まずそうに顔を隠し、部屋へと引き返す。

「ユーキさん」

 朱葵が呼び止めると、ユーキは立ち止まった。その背中を、朱葵は、両手で抱く。

「夜明けを見ようって言ったときは、泊まるなんて全然頭になかった。だけど、嫌だとか、そうじゃなくて・・・・・・。つまり、俺は俺のままでいられるかが心配で・・・・・・」

 ユーキがピクッと反応し、朱葵をちらっと見やった。

「あっ、でもそんなつもりでもなくて、ただ本当に急だったから驚いて」

 朱葵はそれだけ言うと、ユーキを抱いていた腕を離した。

「話したそばから、ごめん。こんなことして」

「朱葵くん、そんなこと考えてたの?」

 ユーキは振り向き、朱葵を真正面にして立った。

「そんな心配しなくていいわよ。それに大丈夫、あたしは何にもするつもりないから」

「えっ? そうじゃなくて、俺が・・・・・・」

「もういいから、とりあえず温泉に行かない? 2人とも、潮で髪の毛がベタベタ」

 ユーキは部屋に備え付けのバスタオルと浴衣を持つと、ひとつを朱葵に渡し、部屋を出た。


 ――ユーキさんがじゃなくて、俺が手を出しそうだって意味だったんだけどな。


 朱葵は溜め息を吐き出すと、スタスタと先を歩くユーキを追いかけた。

 何もするつもりはない、と言い切ったユーキの言葉が、心に残ったまま。





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