81 別れの景色
1時間ほど高速を走ると、東京にあった景色からは遠く離れ、遠目に海が見えるところにまでやって来た。
「ユーキさん、どこに行くの?」
運転に慣れたユーキは、ぐんぐんとスピードを上げて走っていく。まだ、高速を降りる気配はない。
「もうすぐ高速を降りるわ」
朱葵はICの看板を見た。まもなく、沼津ICに到着するところだった。
「静岡?」
「そうよ。天気もいいし、富士山も見えるでしょ」
高速を降りて向かったのは、海だった。海岸沿いに車を止めて、ユーキは車を降りると、浜辺の入り口へと歩き出した。けれど、浜辺は冬季期間、立ち入り禁止らしく、ロープに「危険」の看板が掛けられていた。
「立ち入り禁止だって」
朱葵がそう言ったのを、ユーキはそれをも跨いで、先に進んだ。
「ユーキさん、待って」
朱葵は周囲を見回すと、遠慮がちにロープを跨ぎ、ユーキの後を追う。
「大丈夫かな。勝手に入って」
「本当にダメだったら、あんなに低い位置にロープなんて張ってないわよ」
ユーキは振り向いて言うと、再び進んでいった。
冬の海は波が高く、荒い。ザザン、という波の音は、夏に聞いたものとは違い、恐怖しか感じられない。
ユーキは急に立ち止まると、じっと、海のほうを見つめた。波風が当たって、ユーキの柔らかい髪が、思いのままに吹かれている。
「ここに来たかったの?」
朱葵は、後ろから声を掛ける。
返事がないまま、しばらく沈黙が流れた。と、ユーキは振り返って、海から遠ざかると、そこに腰を下ろした。
「ひとりで車を走らせると、なぜかいつも、ここに向かってる。ここにいると、心が落ち着くの」
朱葵も、ユーキの隣に座る。岩の陰になっているせいか、海から離れているせいか、風はなく、お互いの声が、よく聞こえた。
「あたし、浜辺で夜明けの瞬間を眺めていたことがあるって、言ったと思うけど」
「今まで見てきた中で一番綺麗なものだったってやつ?」
それは、初めてのデートで横浜に行ったとき、夕日の沈む姿を見て、ユーキが言った言葉だ。
「それが、この海なの」
ユーキはすくっ、と立ち上がった。
「ちょうどこの辺りに、あたしは立ってた。5年前、東京に向かう途中だったわ。夜中の国道沿いを、ひたすら歩き続けてたときに、思わず立ち止まったの」
朱葵はユーキを見上げて、岩の隙間から吹く風に流れる髪を、目で追っていた。
「なぜ東京に向かったの?」
ユーキは朱葵をちらりと見やると、再び海を眺めた。
「やらなきゃいけないことがあったから」
ユーキの髪は風に絡まり、塩気を含んだ髪は、パサパサとなびいていた。
「それは、聞いちゃいけないこと?」
「そういうこと」
ユーキは、ふっと笑う。
「それで、何が言いたかったかと言うと、」
ユーキは朱葵のほうをクルリと振り向く。
「最後に、あたしの一番大切な景色を、朱葵くんに知っておいて欲しかったの」
「何それ。永遠の別れみたいだね」
朱葵は、ユーキの発言に思わず笑いながら、言った。
「そうね」
ユーキも笑って、髪を掻き上げた。指に引っ掛かった髪を解く仕草がとても色っぽくて、朱葵は、ただそれを見つめていた。
もうすぐ陽が沈む姿を待って、2人、それぞれ心に想うことは、別だった。