79 条件
その日の夜、東堂雄一は「フルムーン」に来ていた。もちろんお客としてではなく、前と同じように、ユーキを、外に呼び出したのだ。
「お待たせしました。東堂さん」
「すみません、お忙しいところ」
東堂は軽く頭を下げた。
「いえ、いらっしゃると思ってました」
ユーキはくすっと笑う。
「今度こそ、分かってますよね。僕が何を言おうとしているのか」
声色を低くして、東堂は言った。もう、あの疑うような目をしていない。その分、確信に満ちた強い視線を、ユーキに投げかけていた。
「分かってるも何も、私がそう仕向けたんですから」
東堂は、今まで見てきたユーキと、今目の前に立っているユーキを、照らし合わせる。
――こんなに威圧感があっただろうか。
問いただすべき自分が、ユーキに押されている。まるで、ユーキの望む展開に上手く操作されているみたいだ、と、東堂は感じる。
「なぜ、僕にバラすことにしたんですか? 前は隠そうとしていましたよね」
「キリがないなと思ったんです」
「キリ?」
「今東堂さんの目を欺けたとしても、またいつか同じようなことになる。そんな不安定な付き合いはしたくなかったんです」
普段でさえ、会いたいときに会えない。それなのに、一切連絡を取らないようにしたら、きっと、そのうちどちらかが諦めてしまう。ユーキは、そうなるのを恐れていたのだった。
「そうやって隠していくよりも、東堂さんを味方にしたほうがいいと、思いました」
ユーキの言葉に、東堂は反応する。
「僕が味方になると思いますか? むしろ、引き裂くほうですけどね、僕は」
東堂はさも当然のように、言った。
「朱葵くんも、そう言っていました。『俺のことになると何をするか分からない』って」
「その通り」
「それなら、守ってください。朱葵くんを」
ユーキの発言に、東堂はまたも驚き、声を上げて、笑った。
「そんな風に言われるとは思ってなかったですよ」
「マネージャーさんって、そういうものでしょう?」
ユーキは、さらに東堂を挑発した。
さすがナンバーワンキャバクラ嬢というべきだろうか。男のタイプと持ち上げ方を、ユーキは熟知していた。東堂のようなやり手のエリートタイプには、あえての挑発と、信頼が、闘争心に火をつけるのだ。
「いいでしょう。とりあえず、あなたと朱葵の関係は知っておきます」
東堂は長い溜め息を吐き出して、言った。
「2人が真剣に付き合っているのは分かりました。だけど、僕が守るかどうかはまた別の話です。そこでひとつ、僕に試させてください」
そう言って、ユーキにあるものを見せた。
「何ですか?」
「映画の台本です。朱葵が初主演することが決まって、今日、製作発表をしたばかりの」
ユーキは台本をめくる。偶然開かれたページに、「主人公・青山朱葵」の名前が書かれていた。
「撮影は来週、今やっているドラマの撮影が終わったらすぐに入ります。期間はだいたい3か月、もっとかかるかもしれない。舞台は京都。その間、朱葵は京都のホテルに泊まります」
ユーキは、さらに台本をめくっていった。朱葵が演じる主人公の名前は至るところに出てきていて、さらに、台詞がとても長い。
「朱葵にとって、初めての映画がいきなりの初主演です。集中しなければ乗り越えられない。あなたは朱葵を、見送ることができますか?」
つまり、映画の撮影に入る3か月もしくはそれ以上、朱葵とは会えない、と、東堂は言っているのだ。
――そんなに会えないなんて。
ユーキの心臓は、、一瞬止まったかと思ったら、再び動き出して、強く、早く、鼓動を刻み始める。
けれど、朱葵が芝居に集中できたら、ユーキが朱葵に会えない寂しさを乗り越えたら、東堂は2人を認めてくれる。
「分かりました」
ユーキがそう答えると、東堂は、ユーキに台本を預けたまま、後ろを向いた。
「朱葵はあさって、午前中には仕事が終わります。それ、渡しておいてください。もしかしたら、最後の休みになるかもしれません」
去っていく背中を見送ったあと、ユーキは、しばらくそこに立ち尽くしていた。
夜の闇にひとり、捕らえられてしまったかのように、動けない。