75 それぞれの朝
――そうだった。今日はホワイトデーだ。
3月14日の朝、朱葵はテレビ局にいた。主演ドラマ「ナンバーワン」が残すところあと2話になり、その番宣のため、2週連続で朝の情報番組にゲストとして生出演することになったのだ。
そして、VTRの中でホワイトデーに関する企画をやっているのを観て、今日が何の日かを、思い出したのだった。
ユーキに会えない日が、もう10日ほど続いている。もちろんその間、連絡だって取っていない。
東堂はあの日以来、何も言ってこない。2人に直接問いただしても無理だと思っているせいなのか。けれど、逆にそっちのほうが、裏で何をしているのかが見えなくて、朱葵には不安で堪らなかった。
ユーキはどうしているだろうか、と考える時間は、こうなる前よりもずいぶん増えた。公私混同して演技が疎かになることはなかったが、自宅に戻ったとき、大きな孤独感が朱葵を襲っていた。
今までだって、ひとりきりの自宅に帰ってきていたはずなのに。
ひとりきりの時間には、慣れていたはずなのに。
――こんなに弱い人間じゃなかったのに、いつから、誰かが傍にいることの心地好さを求めるようになっていたんだろう。
そう思うほど、朱葵は、そんな自分を戒めた。
今さら、ひとりになることを否定できない。だってそれは、今までの自分――ひとりで生きてきた自分――をも、否定することになるのだから。
「――というわけで、ホワイトデーに男性が使う平均金額は1万円を超えてるんですね。バレンタインでの女性の平均は約2千円。青山くんはこの結果を見て、どうですか?」
朱葵は、はっと我に返る。
「えっ・・・・・・と。そうですね、僕も今日ドラマの現場に差し入れしようと思ってるんですけど、でも1万円なんてとてもじゃないけど買えないですよね。驚きました」
VTRなんてちっとも観ていなかった朱葵は、説明を加えて話してくれたアナウンサーに感謝しつつ、そのあとのドラマの番宣には気を引き締めて集中した。
* * *
「あ、おにいちゃんだ」
食卓のテーブルから反り返り、愛はリビングのテレビを観て言った。
「こら、ごはん中でしょ。お行儀悪いわよ」
愛と向かい合うユーキの席からは、目を凝らせばテレビが見える。しかし、視力が悪いユーキは、そこに映っている映像までは見えない。
「朱葵くん出てたの?」
「うん。ドラマのお話してたよ」
「ドラマかぁ」
そういえば、録画しておいた第8話分をまだ観ていないことを思い出す。
「もう終わるの?」
「あと2回だよ」
「ふ〜ん」
「みきちゃんたら、結局一度も観てないんだから。おにいちゃん、かっこいいのに」
たぶん8話を観ても、内容はちっとも分からないだろう。けれど、それでもいい。ユーキが観たいのは、内容ではなくて、朱葵の頑張っている姿なのだ。
「今日の分、撮っていこうかな」
ユーキは食べ終わった食器をキッチンに持っていくと、忘れないうちにと、テレビ下のDVDプレーヤーに、今日の第11話を予約した。テレビを見上げると、そこには朱葵の姿があった。
「おにいちゃん、最近来ないね。どうしたの?」
と、愛が寂しそうに言う。
「仕事が忙しいみたい。ひと段落したら、また家に遊びに来てもらおうね」
「うん!!」
――また遊びに・・・・・・なんて、いつになるか分からないけど。
青山で会って以来の朱葵の姿。最後の電話以来、久しぶりに聞く声。
愛しさが強くなるのは、会えない時間のせいだろうか、と、ユーキは思う。
「ねぇ、みきちゃん」
と、ランドセルを背負った愛が、ユーキを呼ぶ。
「アイね、ずっと不思議に思ってたことがあるの」
「なに?」
「どうしておにいちゃんは、みきちゃんのことをママの名前で呼んでるの?」