73 攻撃開始
そして、あの男が動き出す。
「朱葵、どういうつもりだ?」
雑誌の取材を終え、今度はドラマの撮影のため、朱葵は東堂の車で六本木に向かっていた。
「え、なに?」
東堂の突然の問いに、朱葵は分からないといった顔をする。
「青山のスタジオの前で、お前、六本木のキャバクラ嬢と会ってたろ」
「えっ」
「遅いから通りまで見に行ったんだ。そこで、お前たちを見つけたよ」
東堂は淡々とした口調で、抑揚のない話し方で言う。
もう嘘はつけないぞ、と言っている、嚇しにも似た追及だった。
「会ったよ。偶然だけどね」
朱葵は、とりあえずシラを切って時間を稼ぐことにした。この間に、何とかごまかし切れる方法はないかと考える。
――たまたま会ったことで言い通すしかないか。
けれど、突然のことで頭の中は動揺し、全くいい案が浮かばない。結局それしか方法の見つからなかった朱葵は、それでやり過ごすことにした。
「買い物に来てたみたい。顔覚えてたから、俺が声掛けたんだ」
「そんな嘘、通用すると思ってるのか?」
東堂の口調は変わらず、一層、朱葵を強く攻める。
「嘘じゃないよ。だいたい、話してたのだって5分くらいだよ」
朱葵の言葉を受けて、東堂は一瞬考え込むような仕草をした。
「・・・・・・本当にそれだけの関係なんだろうな」
「当たり前じゃん。何であの人との関係を疑われんの?」
カモフラージュのため、というわけでもないが、ユーキと付き合うようになって、朱葵は前よりずっと社交的になった。芸能人仲間の集まりにも頻繁に参加し、苦手だった女の人とも、話すようにしている。
それなのに、なぜ同じ芸能人よりも、接点の少ないユーキを疑うのか。朱葵は、疑問に思う。
「彼女と知り合ってから、お前が何か変わった気がしたんだ。違うんならいい。でも、前にも言ったように、のめり込むなよ」
東堂はバックミラーで朱葵を捉えると、真剣な眼差しを向ける。
「・・・・・・何でそんなにあの人を警戒してんの?」
そのあまりの迫力に朱葵は圧倒され、恐る恐る、尋ねる。
東堂は少し黙って、唸り声を上げると、言った。
「奥が見えないんだよ。俺も職業柄、相手の心を読もうとするのが癖になってるんだが、あの人だけは読めない。そういう女は嵌ると危険なんだ。すべてを投げ出してでも手に入れたくなる。男はああいう女を自分のものにしたくなるんだよ」
朱葵は、その言葉を聞きながら、身に覚えを感じる。
「第一お前は芸能人なんだ。相手が誰であれ、スキャンダルは人気を下げるだけだからな。特に、キャバクラ嬢が相手なんて、マスコミの格好のエサだ」
「そんなの分かってるよ」
朱葵はシートにドサッと倒れ込み、東堂の言葉を拒絶するように、目を閉じた。
急に静かになった車内。エンジン音が背中まで響いて、心ごと、揺らす。
――そんなの、分かってる。
心の奥でユーキが“何か”隠しているのを知っていながら、そこに触れられない自分がいること。
ユーキは自分のすべて。だけど、自分はユーキのすべてではないのだろうということ。
そんなの、とうに、分かっていた。
分かっていて、それでもユーキから離れることなんてできない、とも、分かっていた。
* * *
次の夜、ユーキはお客と同伴して出勤した。ここのところ毎日のように続く同伴の誘い。先月も、ユーキは指名賞と同伴賞を貰ったばかりだった。
午前0時を回り、お客の波がひと段落するころ、ユーキは化粧室にいた。
「ユーキさん、最近絶好調ですね」
有紗は化粧室に入ってくるなり、ユーキに声を掛ける。
「有紗ちゃんも、調子いいみたいね。ここのところ指名も安定してきてるし」
そう。有紗も先月は指名賞で、ユーキに続き、ナンバー2になったのだった。
「あたしも追い抜かれないように頑張らなきゃ」
「とんでもない!! ユーキさんには敵いませんよ」
実際、有紗とユーキの間には、ほぼ倍に値するほどの差がついていた。
「ユーキさんは私生活も絶好調じゃないですか。あたしなんて、とても・・・・・・」
そう言った有紗の表情が、たちまち曇りを見せる。
「・・・・・・どうしたの? もしかして、樹のこと?」
有紗はユーキを見つめ、コクン、と頷く。
「2人が恋人じゃないって知ってから、あたし、余計に樹さんのことを考えるようになって。今まではユーキさんが相手だしって、諦めてたんです。でもそうじゃないなら、あたしもまだ頑張れるんじゃないかって、思っちゃうんです」
「有紗ちゃん・・・・・・」
ユーキの心は複雑だった。有紗を応援してあげたい。だけど、樹が愛する人をどれほど大切に想っているか、その気持ちは、痛いほど知っている。
「有紗ちゃん、あなたのしたいようにするといいわ。もしかしたら、あなたには樹を変えられるかもしれない。樹を、幸せにしてあげることができるかもしれないから」
「ユーキさん。樹さんは、変わらなきゃいけないんですか?」
有紗の問いに、ユーキは、寂しい笑みを零す。
「それに、あたしも絶好調なんかじゃないわ。幸せを感じた直後に、不幸が訪れたりするしね」
「え?」
有紗が口を開きかけた瞬間、化粧室の外で、ボーイがユーキを呼んだ。
「ユーキさん。ちょっといいですか?」
「なに? お客様?」
ユーキ化粧室を出て、ボーイに問う。
「お客様、と言うか・・・・・・。ユーキさんを呼んでほしいって、店の外に男の人が」
ボーイは扉にチラリと目をやる。
「男の人?」
ユーキの脳裏に、一瞬、朱葵が過ぎる。けれど、朱葵だったらそんなことをするより、ホストメイクを施した別人になりきって来るだろう。すでに実証済みだ。
「分かりました。ありがとう」
ボーイが下がっていったあとで、ユーキは、扉に力を込めた。
ギイィ、と音を立てて、扉が開く。その隙間から、向こうに立つ男の顔が、見えてくる。
「あ、どうも。お忙しいときに、すみません」
ユーキに気づいた男は、深々と頭を下げた。
「・・・・・・いいえ。えっと、朱葵さんの、マネージャーの方ですよね」
化粧室で、有紗に言った言葉が、甦る。
――あたしも絶好調なんかじゃないわ。幸せを感じた直後に、不幸が訪れたりするしね。
そう。ちょうど、こんなタイミングで。




