70 過去への嫉妬
午前9時。陽が窓を透けて、目に差し込む。
「ユーキさん。いつもこんな時間に寝てるの? 眩しくない?」
窓際に寝ている朱葵は、たっぷり朝日を浴びせられていた。
「もう慣れちゃった」
ユーキはくすくすと笑っている。
「おやすみ、朱葵くん」
「えっ、待って。俺このままじゃ眠れないよ」
「そのうち気にならなくなるわよ」
「そのうちって・・・・・・」
これから陽がさらに高くなってくる。そのうち眠れるのを待っていられない。
「この部屋、カーテンは?」
「遮光カーテン、今クリーニング中なの」
薄いレースカーテンだけの部屋は、容赦ないく光が差している。
「もぅ、しょうがないな。じゃあ・・・・・・」
「えっ?」
仰向けになっていたユーキがくるりと朱葵のほうを向き、同じく仰向けでいた朱葵を自分のほうに向かせた。
「ちょっ、ユーキさん」
「ほら、これなら光も当たらないでしょ」
2人は向かい合った形で寝ていた。
「そうだけど・・・・・・ちょっと恥ずかしいよ、これ」
「そう? 朱葵くんって見かけによらず、純粋なのね」
ユーキはいたずらな笑顔を見せると、「おやすみ」と言って、ゆっくり目を閉じた。
「おやすみなさい」
確かに陽の光は目に当たらなくなった。だけど、そのかわり、目の前にはユーキの顔。
余計に眠れなくなった朱葵は、ユーキの寝顔をじっと見つめてみる。
――ユーキさんって、ほんと無防備。
接客中のあの隙の無さが全く見えない。今だって、そっと手を伸ばせば触れられる距離にいるのに、ユーキは何の警戒心も持たずに、眠ってしまっている。
朱葵に心を開いているからなのか。それとも、朱葵を男として意識していないのか。
「一緒に寝る?」の発言。向かい合わせた2人の体。ユーキの余裕の振る舞いに、朱葵は、動揺を抱く。
――キャバクラ嬢って、お客と寝たりはしないよな。多少のお触りくらいはあるのかな。
鮮やかなかわし方。手馴れた駆け引き。ユーキのそれは、男のツボを知り尽くしている。
――それってやっぱり、過去の男との経験なのかな。
ナンバーワンの肩書き。そこに比例してついてくる、“男を知っている”という自信。
それが、朱葵に重く圧し掛かっていた。この先、体を重ね合わせたとき、ユーキは満足してくれるのだろうか、と。
「満足」は、「幸せ」と、イコールで結ばれるから。
ユーキは今までどんな男に抱かれてきたのだろうか。
ユーキを抱いたとき、自分は幸せをあげることができるだろうか。
嫉妬にも似た感情が、朱葵の心に実をつけて、むくむくと育っていた。
* * *
「不安をひとりで抱えてないで。あたしが一緒に受け止めるから。あたしが朱葵くんの側にいる。だから、大丈夫よ」
太陽の熱さに目がやられてしまった。
陽の光に背を向けて眠っていたはずの朱葵は、寝返りを打って、思いきり光を取り込んで、目が覚めた。
「眩し・・・・・・」
痺れる瞼を押さえながら顔を背けると、隣に寝ているはずのユーキは、いなかった。
「ユーキさん?」
ベッドに寝るときに脱いだジャケットは、ハンガーに掛けられていた。朱葵はそれをそのままに、寝室を出る。
リビングにもユーキの姿はなくて、そのかわり、ユーキの匂いが微かに残っていた。
「ユーキさん?」
もう一度、今度はキッチンにも、開け放されたベランダにも聞こえるような声で、朱葵はユーキを呼んだ。
「あ、朱葵くん。起きたの」
ガチャ、という音とともに声が聞こえてきたのは、バスルームからだった。
「目が覚めちゃったから、お風呂入ってたの」
「今何時?」
「まだ1時よ」
あれからしばらく寝付けなかったのを覚えている。向かい合わせに寝ているユーキの薄っすら開いた唇と、たまに聞こえた「んんん」という寝息が、何度も朱葵を刺激した。その度に、一度は忘れようとしたユーキの過去の男への嫉妬心が、朱葵の心の中で、ぼうぼうと炎を燃やした。
「大丈夫? あんまり寝てないみたいだけど」
「そんなことないよ」
「そう? ならいいけど」
と、ユーキは心配そうに話す。
「思い出してたんだ。ユーキさんが、不安になることないって、言ってくれたのを」
「え?」
「そしたら何か、いろいろ考えてた」
「どんなことを?」
「言わない」
「何よ、それ」
ユーキには、言わない。
過去の男に嫉妬してる、なんて、言えないし、言いたくない。
――だって、あまりにカッコ悪すぎる。
不安になってるんじゃない。だから、朱葵は自分の心の中でだけ、それを持つことにした。
この嫉妬心が、この先どんな風に育っていったとしても。