59 訪問
午後8時。新宿歌舞伎町のゲート前に、有紗は立っていた。他のキャバ嬢たちとは何度か来たことがあったが、1人で来るのは初めてだ。不安と緊張が、胸を押し潰している。
「よしっ」
堅く口を結ぶと、有紗は歩き出した。が、すぐにキャッチに捉まる。
「おねーさんひとり? うちの店に来ない?」
「いい」
有紗は冷静を装ってそれだけ言うと、さらに進む。が、次々とキャッチが有紗の行く手を阻んでくる。六本木のキャバクラに勤めているだけあって、有紗の姿は、何かと男たちの注意を引くのだ。
「お店決まってるから」
そう言って通り過ぎようとしたところ、しつこいのが自分の目の前に立ったので、有紗は思わず歩みを止めてしまった。
「ちょっ、なに?」
「たまには別の店もいいじゃん。うちのほうが楽しいって」
「いいでしょ別に」
けれど一度止まった足は、なかなかタイミングが掴めずに、動き出すことができない。
もうあと少しでお店に着くのに、と、有紗は小さく息をつく。だけど、キャッチは諦めてはくれない。
「ってか、どこの店行くの?」
「も〜しつこい!!」
痺れを切らした有紗が言い放った瞬間、誰かに肩を掴まれた。
「ちょっと!! いい加減にして・・・・・・」
言葉が消えていった。
有紗の肩を掴んでいたのは、ちょうど出勤してきた樹だったのだ。
「わっ、樹さん!!」
キャッチは樹に驚く。
「この子、俺のお客様なんだよ。悪いけど、手を出さないでくれ」
樹は有紗をグイッと胸元まで引き寄せた。
「すいませんでした〜」
キャッチは逃げた。それはもう漫画のように、足に渦を巻いて。
「あ、ありがとうございました」
「ん? あぁ、どういたしまして」
樹はふっと笑う。
「あ、あの・・・・・・」
「有紗ちゃんだっけ?」
「え?」
思いがけず名前を呼ばれたことに、有紗は一瞬放心した。
「あれ、違ったっけ。『フルムーン』の有紗ちゃんでしょ」
「あ、は、はい!!」
「やっぱりそうだよな。何でこんなところひとりでいるの。店は・・・・・・と、今日は月イチの定休日か」
「はい」
信じられない、と、有紗は思う。目の前で、あの樹と話している。「フルムーン」で2度ほどしか、挨拶を交わしたこともなかったのに。しかも、そのうちの1回しか、名乗っていないはずなのに。
――どうしよう、嬉しい!!
有紗はこの状況を、ただひたすら喜ぶばかりだった。
「――ちゃん、有紗ちゃん」
夢の世界に飛んでいた有紗の意識が、はっと呼び戻される。
「っはい!! 何でしょう?!」
「だから、何でここにいるのって。ホストクラブに遊びに来たの?」
「いえ、あたしは・・・・・・」
有紗は一瞬ためらって、唇をきゅっと結び直すと、言った。
「あたし、樹さんに会いに来たんです」
「え、俺?」
樹は予想外に答える。そうなのだ、樹も、有紗とちゃんと話したことはないし、名前だってユーキに紹介されたから、なんとなく覚えている程度だったのだ。頭の切れる樹でも、ユーキのように、一度見た客は忘れないなんて技は、さすがにない。まして、有紗はお客として会ったのでもないし、2度目に会ったときは、確か「いらっしゃいませ」と言われたくらいだ。
そんな有紗が自分に会いに来るなんてことは、樹の頭の中には一切なかった。
「何で、俺に?」
「・・・・・・」
有紗はためらっている。何をそんなに言いにくそうにしているのか、樹は考えを巡らせた。
「ユーキに何か言われたとか? それとも、罰ゲーム?」
「ちがっ・・・・・・違います。でも・・・・・・」
「でも?」
「・・・・・・ユーキさんのことで、お話があります」
薄いブラウンの瞳が、樹をまっすぐに捉えていた。