56 ブーメランの行方
その日、いつの間にか朱葵は帰っていて、ユーキはフロアを一通り見回したあと、はぁ、と溜め息を漏らした。
当然なことなのに、ユーキは、分かっていても寂しさを拭いきれずにいた。
――さっき気持ちを確かめ合ったばかりなのに。
「すごく会いたかった」と言ったユーキに、「ずっと会いたかった」と返した朱葵。あのとき、2人の気持ちはひとつだった。
なのに、なぜ今はこんなにも不安なんだろう、と、ユーキの心は揺れる。
――自信がほしい。絶対にお互いを裏切らないという、誓いみたいなものを。
それがあれば、不安になることだってないだろうに。
仕事を終えて、ユーキは控え室で考え込んでいた。
「ユーキさん。どうかしましたか?」
隣で帰る支度をしていた有紗が、ユーキの顔を覗く。
「あ、ううん。なんでもない。ちょっと疲れちゃったのかな」
こんなにも朱葵のことで一喜一憂している、自分に。
「ユーキさんは何でもひとりで抱え込んじゃうんじゃないですか? 私でよければ話してみてください。人に話すだけでも楽になるっていうし」
と、有紗は言った。
ユーキは他のキャバ嬢の相談に乗ることはしょっちゅうだが、自分のことを話すことはまずしない。だから、誰もユーキのプライベートを知らない。
だが有紗は、最近のユーキの異変に気づいていた。仕事は完璧にこなしているのを見ると、どうやら私生活で何か起きている、と考えるのは容易いことだった。今までお世話になってきたことへの恩返しと、同時に、ユーキのプライベートへの興味が、有紗を突き動かした。
「もしかして、恋愛の悩みとかですか?」
ユーキは、驚いたように「えっ」という顔を向けた。
「あはは、するどいわね。ん〜、まぁそんなとこかな」
ユーキは笑って返す。
「それって、樹さんと上手くいってないんですか?」
「樹? ・・・・・・あぁ、樹とは別に普通だけど」
ユーキはそこに「樹」が出てきたことを一瞬不思議がって、だけどすぐに自分と樹の噂を思い出した。周囲はみんな、2人を恋人だと思っているのだ。もちろん有紗も例外ではなく。
「樹さんと普通ってことは、ユーキさん、他に気になる人がいるんですか?!」
信じられないとばかりに、有紗は仰け反って叫ぶ。
「ちょ、ちょっと、有紗ちゃん。声大きいって」
「ユーキさん、本気ですか?!」
有紗はユーキが言うのも聞かずに、再び大きな声で叫んだ。幸いそこにはユーキと有紗だけで、ミーハーなキャバ嬢たちはみんな化粧室に行っているらしく、いなかった。
有紗にとって、ユーキは憧れである。そして、それは樹に対しても同じだった。いや、同じ・・・・・・ではないのかもしれない。純粋に憧れているだけのユーキに対して、樹には、ほのかに恋心を抱いている。樹を初めて見たときから、有紗の恋心はユーキの存在でストップしてはいるものの、消えることもない。
樹以上の男なんていないと思っている有紗にとって、その男を手にしながらも他の男を気にしているユーキは、恵まれすぎていて、許せなかった。
「あたし、ユーキさんと樹さんに憧れてるんです。2人の姿を見てると、こんな風になりたいなぁって、力が湧いてくるんです。でも、ユーキさんは樹さんより、他の人のほうがいいんですか?」
と、有紗は強く抗議した。どんなに自分が強く樹を想っていても、ユーキには樹、樹にはユーキが一番似合っていると、分かっているのだ。
ユーキはその言葉で、有紗が樹を好きかもしれないと、なんとなく思った。「憧れている」と言っていても、「樹以上の男なんていない」という気持ちが、言葉に溢れていたから。
ユーキはそんな有紗に「樹とは恋人じゃない」と、本当のことを言うべきか迷って、けれど、やっぱりやめた。
「気になる人なんていないわよ。ただ、『好き』っていう気持ちを持ち続けるのも大変だなって、思っただけ」
好きになって、お互いそれを確かめ合って、時には不安になって。また同じサイクルで、様々な気持ちに弄ばれながら、「好き」のブーメランは、「やっぱり好き」に戻ってくるのだろうか。
それとも、犬か何かが咥えたまま、戻ってこないで、気持ちは離れていってしまうのだろうか。
変わらない「好き」なんて、ない。きっと、何度も形を変えていく。「好き」と「不安」を交互に持ちながら、想いは、強くも弱くもなる。
さっきまでの「好き」が、何も言わずに帰ってしまっただけで、「不安」に変わったように。
この先も、「好き」がどうなるかは分からない。ユーキ次第で、朱葵次第で、2人次第で、想いは変化していく。
行き着く先は、「やっぱり好き」か、「さよなら」か。
ちょうど他のキャバ嬢たちが戻ってきたのをきっかけに、ユーキは、キリ悪くも話を終わらせた。