52 恋愛カウンセラー
今回少し長めです。
「ったく、俺は恋愛カウンセラーじゃないんだぞ」
カチ、と年季の入ったジッポでタバコに火をつけ、ふぅ〜っと吐き出した煙が、ゆるゆると空に上がっていく。
「だって、ひとりじゃどうもできなかったんだもの」
ユーキは拗ねた子供のように、頬を膨らませて言った。
「だいたい、甘いんだよ。付き合ってりゃそんなことザラにある。何もお前と朱葵に限ったことじゃない。運命とか、そういうのを信じすぎなんだよ、ユーキは。見かけと違って夢見る少女ちゃんだもんな」
そう言って、ポンポンと子供をあやすように頭を撫でる手を、ユーキは払いのけた。
「樹、うるさい」
午後12時。ユーキは麻布駅に着くと、そこからほど近くのマンションに向かった。52階建ての高級マンションで、樹の部屋は52階。最上階だ。驚くのはその家賃、何百万という数字をたたき出す。
2人はベランダにいた。というのも、ユーキが部屋に入ったとき、樹がベランダでタバコを吸っているのを見つけたからだ。
「ねぇ樹、会えないのは仕方がないことなの?」
「だから俺はカウンセラーじゃねぇって・・・・・・」
そう言ったものの、樹は、子供が何かをねだるように、瞳をうるうるさせて見つめるユーキの訴えに負けてしまった。
「会いたいのに会えないなんて、恋愛してるヤツなら誰にでもある。それを割り切ってやっていくのが、お互いを思いやるってことだ。仕方ねぇな、こればっかりは」
と、的確にアドバイスをする。
「・・・・・・そっか、そうなんだ」
ユーキは唇の両端をきゅっと吊り上げて、しょうがない、というように、笑った。
樹はそんなユーキを見て、またもポンポンと頭を撫でる。
「あいつはどうしてるかな」
「え?」
「言ったろ、恋愛してるヤツはみんな同じ気持ちだって。あいつ、朱葵も、お前に会いたがってるだろ」
「そうかな」
ユーキは目を伏せると、自信なさげに呟いた。
朱葵だってそう思っていたらいい。相手を求めるのは、想いが強い証拠だから。
だけど、ユーキは不安だった。
朱葵には、仕事よりも大切なものなんて、あるのだろうか。
例えば「会いたい」と伝えることができたとしても、朱葵は仕事を投げ出して会いに来てはくれるだろうか。
ユーキは、ずっと不安だった。
朱葵にとって、自分はどれほどの存在なのだろうか、と。
「大丈夫だよ」
と、樹がユーキに優しく声をかける。
「お前が思ってるよりも、あいつはお前のことが好きだから」
ユーキの心のうちを、樹は見透かしていた。
「なんで樹にそんなこと分かるのよ」
「俺はあいつの恋愛カウンセラーでもあるから」
「え?」
この2週間ほどの間に、樹のもとに朱葵から何度か電話があった。出れないことが多くて、かけ直しても今度は向こうが出れなくて。
そんなことを繰り返して、3度目くらいにやっとつながった。それが今日の朝、ユーキが来る1時間前のことだった。
「何度も電話があったから、『急用だったか?』って聞いたら、開口一番に『ユーキさんに会いたいけど会えないんです』とか言いやがってよ。それでいろいろ話聞いてやって。あとはお前に言ったのと同じセリフを返してやったよ」
と、樹は言った。
朱葵に言ったのは、「甘いんだよ」から、「お前が思ってるよりも、あいつはお前のことが好きだ」まで。
そこまですべて朱葵と同じように返してきたユーキに、樹は途中、思わず吹き出しそうになったと話した。
「朱葵がユーキのことを好きだなんて、とっくに分かってたよ」
と、樹は続けた。
「あのクリスマスの日、お前にテレビ局に来てほしいって電話で聞いたとき、あいつ、こう言ってた」
――樹さんって、ユーキさんのことは何でも知ってるんですね。
――気になるか? 俺とユーキの関係が。
――気になります。
と、電話越しの樹を睨むような声で、朱葵はきっぱりと言ったのだ。
「あいつにしちゃ今一番の不安材料は俺かもしれないな」
「なんでよ。樹はあたしの恋人だったわけじゃないのに」
ユーキは分からないといったような顔をする。
「事実そうだとしても、あいつはそれを知らないだろ。あいつに俺との関係を言ったことがあったか?」
「・・・・・・ないけど」
「それなら勘違いしてるかもしれないな。俺たちが恋人だって、夜の世界では有名な話だし、否定もしないから、どこからかあいつが噂を耳にすることもあるってわけだ」
「ちょっと待ってよ。だけど、本当のことなんて話せないわ」
ユーキは混乱して、樹の腕を取った。掴んだ手に、力がこもる。
「俺とユーキがどんな関係かなんて、濁して言っとけばいい。すべて嘘じゃなく、だいたいのことを話すんだ。嘘をついたら見抜かれるかもしれないしな。あいつ、演技に関しては一流だし」
「でも、深く聞かれたりしたら・・・・・・」
「今あいつが知りたいのは“俺とユーキの関係”じゃなくて、“俺とユーキが恋人か”だろ。そこまで聞かれやしない。あいつだって、いっぱいいっぱいだろうしな」
と、樹が言って、ユーキもそうか、と安心した。
――とりあえず、朱葵くんが噂を聞く前に、その事実を伝えなければ。
それだけ強く心に留めると、ユーキは、さっきまでの不安がなくなっていることに気づいた。
「樹、ありがと。なんだか楽になったみたい。朱葵くんもあたしと同じ気持ちだったのね」
ユーキの顔に、いつもの笑顔が戻った。
「お前らの恋愛話ばっかり聞くのも疲れたよ」
と、樹も笑って返す。
「じゃあお礼にお昼はあたしが何か作るわ。相変わらず外食ばっかりなんでしょ。そのかわり、またよろしくね、カウンセラー」
ユーキはそう言って、ベランダから部屋に戻った。高いところで話し込んでいたせいか、寒さで体は強張っていて、ユーキはニットの裾を掴むと、手を擦り合わせた。
「おいおい、自分たちでなんとかしろよ」
キッチンへ向かったユーキに聞こえるように言い放つと、樹はその縮こまった後ろ姿を、じっと見つめていた。
ホストのときには見せたことのない、懐かしそうな、優しそうな、柔らかい顔をして。