51 2つの想い
撮影は順調に進み、予定通り午後4時、スタジオを抜け出した。ロケバスに乗って、共演者たちと賑やかに話し合いながら、車は10分もしないうちに目的地へと到着した。
「え・・・・・・ここって・・・・・・」
いくら昼だからといって、さすがに店の構えを間違えることはない。
朱葵は、その場に立ち尽くしてしまった。
――ユーキさんのお店だ・・・・・・!!
飛び跳ねたいほどの喜びが心の奥からじわ〜っと湧き出てくるのを、朱葵は喉の辺りで押し止めた。
こんなところで突然にやけたりなんかしたら、共演者たちには不思議がられ、東堂にも気づかれてしまう。
喉に詰まった想いたちが、なんとか出ようとしている。
反対に、そこに壁を張って、押し返そうとしている想いがある。
2つの想いがぶつかり合って、必死にもがいている。
(声に出したい)
(そんなことできない)
(思いきり「やったー!!」と、叫びたい)
(周囲には人が大勢いるのだから)
天秤にかけられた2つの想いは、左右に揺さぶられながら、なかなか決着がつかない。
そうしていると、とうとう片方が、最後の切り札を出した。
(そんなことしてしまったら、やっと掴んだ幸せが壊れてしまう)
そう。どんなに会いたい気持ちを強く持っていたとしても、それに勝るものはないのだ。
朱葵は、叫びたいこの衝動を心の中まで押し戻すと、ひっそりと喜びを噛みしめた。
店内にはオーナーとボーイたちしかいなくて、キャバ嬢たちはまだ来ていないという。
「早い子でも6時近くになると思いますよ」
と、オーナーは言った。
開店は7時。撮影ができるのは、あと2時間半。
それならその前にできるだけやろう、とプロデューサーが言って、スタッフは急いでそれぞれの仕事に取り掛かった。
ところで、いつもはあまりドラマの現場に顔を出さないプロデューサーが、なぜ今日は来ているのか、というと。
もちろん、ユーキに会うためだった。
「オーナー、ユーキちゃんは何時ごろ来るのかな」
と、プロデューサーはこそっとオーナーに問う。
「今日はユーキ休みなんですよ」
オーナーはすまなそうに軽く一礼して言った。
「えぇ〜、そうなの?!」
本気でがっかりしているところを見ると、プロデューサーのユーキへの入れ込み方は相当なものらしい。
ちなみに、「フルムーン」を撮影場所に、と提案したのも、このプロデューサーがユーキに会いたいが為のことだった。
「ユーキさんって、今日休みだって。残念だよな」
2人のやりとりを聞いていた心が、朱葵に耳打ちする。
「あぁ・・・・・・」
と、朱葵は言葉少なめに返す。
「あれ? なに、お前もユーキさん気に入ってたのか?」
心は朱葵の答え方に疑問を持ち、からかうように、笑いながら言った。
「別に」
と、朱葵はそっけなく返す。
「あっ、そういえばお前、ユーキさんをスタジオに誘ってたもんな。初めて会ったときも『ユーキさんはすごい』って褒めてたし。へぇ〜、青山朱葵はああいう女が好きなんだ」
心はさらに朱葵を茶化した。
関係者の中でもまったく噂が立ったことのない朱葵と、女遊びが激しいことで有名な心。
クールさを売りにしている朱葵と、明るくて人懐っこさを売りにしている心。
自分とは正反対のイメージを持つ朱葵に、心は嫉妬にも似た感情を持っていた。
だからなのか、朱葵の弱点になりそうなものを見つけた心は、笑いながら、探っていた。
朱葵にとって「ユーキさん」は、どんな存在なのか、を。
「見学に誘ったのは、撮影の帰り道にたまたま会って『仕事どうですか?』って聞かれたから。社交辞令だよ。そしたら『来る』って言うから。ほら、連れてきた子供にテレビの世界を見せたかったんじゃないの。『すごい』って言ったのだって、ナンバーワンなのに威張ってないっていうかさ。まぁ持ってるイメージと違ったってことだよ」
朱葵は普段話すとおりに、特別焦るのでもなく、早口になるわけでもなく、言った。
「・・・・・・ふ〜ん。なんだ、つまんねぇの」
心は呟くように言った。
とりあえず、心には見抜かれなかったらしい。
「当たり前だろ。1、2回会ったくらいの人を好きになんかならない」
朱葵はダメ押しでもうひとつ加える。
「かっこいいねぇ、青山朱葵は」
心は溜め息を漏らしながら言う。
どうやら、これも効いたようだ。
今の会話には、多くの嘘と間違いが隠されている。
正確には、“すべて嘘で、間違っている”。
平静を装った表情とは反して、心はずっと、荒れていた。
「違う」「これも違う」と思いながら、朱葵は嘘を重ねていった。
一番辛かったのは、「1,2回会ったくらいの人を好きになんかならない」と言ったとき。
サーファーたちには楽な大波も、朱葵には、予測していないほど越えがたい波であるかのように。
――そういえば俺は、初めて会ったときからユーキさんが気になっていたんだ。
1度会っただけで好きになる人もいる。
朱葵はこのとき、言葉にしている嘘と、心に隠している真実の波に揺られていたのだった。
「シーン72の場当たりを始めます」というADの声がして、心は「行こうぜ」と、朱葵を促した。
朱葵は、落ち着いた心の中で、さっきの心との会話に引っ掛かりを覚えたのを思い出した。
ユーキが休みだと知って、心が朱葵に言ったひとこと。
「お前もユーキさん気に入ってたのか?」
――お前「も」?
それは。
プロデューサーも?
それとも、心も?
心の名誉のために・・・・・・
心は朱葵のことを嫌ってるわけではないです。共演とか結構してて、仲もいいです。だからこそ羨ましいんです。
今後も妬んだりはしないです。嫌なヤツというポジションには置きません。