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50 迷いと諦め

 10日ぶりの仕事休みの日、ユーキは時間を持て余していた。

 愛を送り出したあと、いつもなら夕方近くまで寝るのだが、そのまま起きて家の掃除を済ませた。

 午前11時半。ユーキはベランダに出て、爽やかに晴れた空に伸びをした。不本意な休日ではあるが、こんなにのんびりとした時間を過ごすのは久しぶりで、沈みがちだった気分も元気を取り戻しつつあった。

 

 けれど、ユーキは朱葵の家に行くことはしなかった。

 1週間前だったら、愛と一緒に家を出て、そのままタクシーで表参道まで走っていたかもしれない。

 今、それができないのは、走っていったあとの心の空しさを恐れているからだった。

 

 インターフォンを鳴らし、スピーカー越しに聞こえる声を待つドキドキ感も。

 黒で統一された部屋に囲まれ、“男”を意識する緊張感も。

 2人きりの空間で過ごす、楽しさも。


 それらが叶わないまま心から外れていって、残された孤独感だけが、ユーキの中に強く根付いていた。




 

 さっとベースメイクを顔に施すと、ニット素材のワンピースを着て、家を出た。

 真冬の厳しさはなく、暖かささえ感じられるほどの天気だったので、ユーキは電車で行くことにした。今から向かうところは、恵比寿からそう離れていないのだ。

「電車なんて久しぶりね」

 最後に乗ったのは、昨年、愛を連れて海に行ったときだから、もう半年も経っている。仕事でタクシーを使うことが多いせいか、いつのまにか日常の移動手段さえもタクシーが習慣になっていた。

 そういえば、クリスマスの日にテレビ局に行ったときも、タクシーで向かおうとしたユーキに、「みきちゃんたら、若いのにタクシーばっかり使ってたらおばあちゃんみたいだよ」と、愛が言っていたことを思い出す。

「たまには歩かないとだめね」

 そう思うと、ふっと口元が緩む。が、はっとして、顔を隠すように俯く。

 電車の中で、ユーキは周囲の視線を感じた。さっきから、妙に人と目が合うのだ。


 ――ひとり笑いしてて、怪しい人だと思われたかしら。


 恥ずかしさもあって、ユーキはドア付近に立って俯いたまま、電車に揺られた。

 地を眺めていた顔は、目的の駅に着くとぱっと上がり、そのまま何事もなかったかのように電車を降りた。

 そのあとの車内、乗り合わせていた男子学生の4人組は、こう話していた。

「今の人ちょーキレイ!!」

「芸能人かなんか?!」

「声かけりゃ良かった!!」

 興奮して落とすことを忘れていた声は周りに響いて、それをキャッチした周囲もまた、同じことを思っていた。



 *  *  *



 午後1時。朱葵はテレビ局に到着した。

 珍しく午前中が休みになって、ユーキの家に行こうか散々迷ったけれど、やっぱりやめた。

 本当は、今すぐ走っていきたい。一目だけでも会いたい。眠い目をこすって、それでも気づかれないように無理に笑顔を作って出迎えてくれるユーキを抱きしめたい。

 だけど、会いたい気持ちより、それさえも押し留めるほど、ユーキの体を気遣う気持ちのほうを優先している自分がいることに気づく。

 

 ――仕事終わりで疲れて寝ているだろうし、夜もまた仕事だろうから、起こしてはいけない。

 

 これが人を愛するということなのか、と、朱葵は改めて実感する。

 そして、過去に、それほどまでに人を愛せたことがない、という事実にも気づかされる。

 空しくて、辛い。人を愛せなかった自分が。

 そんなことを考えていたら時間なんてさらりと通り過ぎていって、結局、何もすることができなかったのだった。

「おはようございます」

 メイクもセットも済ませ、朱葵はスタジオに入る。撮影は午前中から行われていたせいか、いつも遅刻してくる大物俳優も、今日はすでに到着していた。

 そこへ、朱葵を見つけたADが、予定を確認しに来る。

「これからすぐシーン64の撮影に入ります。そのあと4時ごろ、今日はこの近くのキャバクラでロケがあります。おととい渡した第5話分の台本、読んでもらいましたよね。その撮影に早速入ります。3日間しか借りてないんで、結構巻きで」

 ADは朱葵にそれだけ告げると、忙しそうに監督の元へと戻っていく。

「ロケかぁ。どうせこの近くのキャバクラなら、ユーキさんのところが良かったな」

 朱葵はひとり、ぼそっと呟いた。

 そして、第5話分の台本をぺらっとめくる。

「『撮影協力:キャバクラ フルムーン』か。ユーキさんのところと近いかな」

 朱葵は、休憩の間にユーキに会いに行こうと考えた。


 

 ユーキの店の名前を知らなかった朱葵と、朱葵が来るとは知らずに店を休んだユーキ。


 

 思いがけない再会は、次の日に、運命の扉を開く。






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