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47 つないだ手

 観覧車を降りた2人は、ベイブリッジに向かって歩いていた。朱葵によると、歩行者専用道路があり、そこからの展望ができるという。

「俺も車でしか通ったことはないんだけどさ、すごい綺麗だよ。でも夕暮れは初めて」

 2人はそれぞれ胸を躍らせながら、歩いた。

「ね、ユーキさん。手つないでもいい?」

 信号を待つ間に、朱葵は言った。

「ダメ」

 ユーキはぴしゃっと言い放つ。

「見つかったらどうするの。手なんかつないでたら言い訳できないわよ」

「ちぇっ」

 信号は青になって、朱葵は仕方なく自分のダウンのポケットに手を入れた。

 少し前を歩く朱葵の背中を見つめながら、ユーキは小さく息を漏らす。

 

 ――この大きな背中に、抱きつくことができたら。


 そう思って手を伸ばし、はっとなって、腕を引く。

 そんなことできやしないと、さっき自分でも朱葵に言ったばかりだ。

 もし朱葵が誰かに見つかったら、言い訳できない。手をつなぐのはもちろん、抱き合った姿なんて、とても。

「ユーキさん、どうかした?」

 いつの間にか距離をとって歩くユーキを、朱葵は不思議に思った。

「あ、ううん・・・・・・」

 そう言うユーキの背中でチカチカと信号が点滅しているのに気づくと、朱葵はそのままユーキの手を取って走った。

「急げっ」

「あっ」

 短い歩道を渡り切ると、朱葵はつないだ手を離した。

「今のは不可抗力だもんね。今日はこれで十分」

 そう言って笑い、朱葵は再び歩き出した。


 初めてつないだ手の温もりは、冷えた指先だけ、ひやりと感じられた。







 2人はベイブリッジまで来ると、ラウンジに入った。

 ラウンジの店内はわずかな明かりだけが灯され、あとは沈んでいく陽の光が2人を照らしていた。

「ちょうど夕日が沈んでいく時間ね」

 ユーキは、パノラマの窓に手をついて、横浜港に太陽の沈む姿を見る。

「一番綺麗なときに来たのかも」

 朱葵もユーキの隣で、同じように見つめる。

 ユーキは窓から手を滑らせると、左手が、先に手すりにつかまっていた朱葵の右手に触れた。

「あ・・・・・・」

 そう声を漏らした次の瞬間、朱葵が、ユーキの左手を覆うように、ぎゅっと握り締めた。


 ――今だけは、いいかな。


 ユーキは、重ねられた朱葵の手に合図を送るように、手すりに力を込めた。

 それに気づいた朱葵もまた、ユーキの小さな手を、握り返した。



 *  *  *



 まもなく車に乗って、来た道を戻った。首都高はさっきよりも混んでいるらしく、なかなかスムーズに進まない。日曜日の午後6時過ぎ、みんなもこぞって帰宅する時間だった。

 1時間はかかるかもしれない、という朱葵の言葉を受けて、ユーキは家に電話を掛けた。が、友達が帰宅して、遊び疲れた愛は眠ってしまったようだ。10コール目に、ユーキは電話を切った。

「愛ちゃん、部屋で寝ちゃってるみたい」

「そっか」

 もうすぐ首都高を降りるところまで来たというのに、車の進むペースは落ちていた。

「ごめんなさい。まさかこんなに混んでるなんて思わなかった」

「いいわよ。朱葵くんのせいじゃないんだから、謝らないで」

 午後7時。陽は完全に海に落ち、2人を照らすのは反対車線を過ぎる車のライトだけだった。

 誰にも見えない狭い車内で、2人は自然と手をつないだ。

 周りの目を気にすることはない。昼間のようにサングラスこそかけていないが、暗い車内で帽子を少し深めに被った朱葵を、芸能人だと気づく人はいないだろう。

 ユーキが電話をかけるためにヴォリュームを落としたスピーカーは、そのまま音だけを消して、鳴っていた。

 お互いの息づかいが、静かに聞こえる。

 この世に2人だけしかいないように錯覚させるのには、十分な空間だった。

「今日、ありがとう。もうしばらくこんな時間を過ごしたことってなかったから、すごく楽しかった」

 ユーキは改めて今日という日を思い返す。

「・・・・・・あたしね、何年か前に、浜辺に立って、夜明けの瞬間をじっと眺めていたことがあるの」

 朱葵は黙ったままで、話の続きを促しているようだった。

「遠くの水平線に太陽がゆっくりその姿を映し出したときは、体中の血が湧き出るような、そんな興奮を覚えたわ。あの日の夜明けは、あたしが今まで見てきた中で、一番綺麗なものだった」

 目を閉じると、浮かんでくる。あの真丸いボディは、今でも焼き付いている。

「だけど、今まで忘れてた。あんなにも綺麗な光があるってこと。思い出そうと思えばできたのに、そうすることさえ忘れてた」

 それはきっと、夜の世界の機械的な光を、あまりに浴びすぎてしまったからだろう。夜の街に、慣れて、抜け出せなくなったから。

「でも今日、思い出せた。あの夕暮れは、前見た夜明けの瞬間にも勝るほど、綺麗なものだった。だから、ありがとう。朱葵くんと一緒に見れてよかった」

 ユーキは、朱葵のほうを見ることができなかった。

 朱葵もまたユーキから目を逸らし、まっすぐ前を見ていた。


 お互いの気持ちは、握り合った手の温もりだけが、知っている。




注意:今回出てきた横浜の情景は、作者が見たものなど、実在のものを参考にしています。ベイブリッジにある歩道なども実在しています。(ちなみに前回の観覧車もそうです)

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