46 夕暮れ観覧車
「あ、ねぇ、あの遠くに見えるのは、赤レンガ倉庫?」
「そう」
ユーキが指差した先を、朱葵も見つめた。
「ここからじゃ全然分からないのね」
少しがっかりしたように言うユーキに、朱葵はもっと左を指差した。
「ユーキさん。ほら、あっち」
「え?」
朱葵の示すほうを見ると、ユーキは溜め息交じりに、「わぁ」と、感嘆の声を漏らした。
「あれは・・・・・・」
「ベイブリッジ」
朱葵が先回りして答える。
「ベイブリッジは夜景も綺麗なんだけど、俺は夕暮れ時のほうが好きなんだ。良かった、間に合って」
「もしかして、これを見せるためにわざわざ首都高に乗ったの?」
たいした渋滞もなく進んだ首都高に乗っていた時間は、わずか40分ほどだった。
これなら一般道でも同じだったのにと、首都高を抜けたとき、ユーキはふっと感じていたのだった。
「2人きりでゆっくりできるところって、ここかなって思ったから。それなら俺が好きな景色を見てほしかったんだ」
と、朱葵は言った。
ユーキは、その言葉にじんわりと喜びを抱く。
――朱葵くんの好きなものを知っていくのって、なんだか、楽しい。
人を好きになること。
それだけで、ユーキは幸せになれるのだと、知った。
「これからも、朱葵くんの好きなものを一緒に見ていきたいな」
そう言うと、朱葵も嬉しくなって、笑った。
「ところで、この景色は誰と見たの?」
と、ユーキは朱葵に尋ねた。
2人は今、みなとみらい駅に程近いところの観覧車に乗っている。まさか男同士で乗りはしないだろうし、考えられるのは、前の彼女とか、少なくとも女の子であることは確実だった。
「もしかして、前に付き合ってた彼女とか?」本当はそう聞きたかったのだけど、言えなかった。車内でもアイドルの子を前の彼女か、と聞いていたし、これ以上同じ疑いを投げるのは、朱葵に失礼なのではないかと思った。
もしかしたら自分の前に付き合った人なんていないかもしれない、なんて期待も一瞬頭をよぎったけれど、このルックスだから、周りのほうが放っておかなかっただろう。それに朱葵も年頃の男だ。男と女の付き合いに興味を持った時期もあるだろう。
そんなことばかり考えてしまって、結局自分がどれほど器の小さい人間で、嫉妬深い女なのだろう、という自覚を植え付けられる他なかったのだった。
同時に、どれほど自分が朱葵を愛しているのかという、その狂おしいほどの愛情をも。
「ドラマの撮影で、『初めてのデート、初めてのキス』っていう設定でこれに乗ったとき、夕暮れをバックにしてたんだ」
と、朱葵は言った。
「『初めてのデート』って、あたしたちと同じなのね」
「じゃあ、『初めてのキス』も、する?」
「え・・・・・・」
一瞬、すべてが止まったかのように思えた。
時間も、景色も、お互いの呼吸も。お互いの、心も。
「――って、ごめんなさい。冗談です。ドラマと同じことしてちゃダメだよね。俺とユーキさんはドラマの中の主人公じゃないんだし」
ユーキの心はそれだけ忘れられてしまったかのように、まだ、止まったまま、動けない。
かろうじて動く唇が、朱葵に心を代返して伝える。
「ドラマだったら良かったのに」
「え?」
「ドラマの主人公って、出会って、惹かれて、引き離されて、でも最後にはハッピーエンドで終わるでしょ。たとえ2人が別の道を選んだとしても、必ず最後は幸せな顔をしているでしょ」
でも、現実では何が起きるか分からないから。ドラマとは違って、台本なんて用意されていないから。
もしかしたら、今のこの幸せが明日には崩れてしまうかもしれないのだ。
「そんなの、俺は嫌だな」
と、朱葵は言った。
「ユーキさんの言うように、ドラマのハッピーエンドにはいろいろな形があるけど・・・・・・俺はユーキさんと2人で幸せになるハッピーエンドしかいらないから。それに、俺たちはドラマみたいに最終回がないから。俺たちに終わりなんてないんだから」
そのとき、傾く夕日がいっそう眩しさを増して、2人を紅に染めた。
気づけば2人を乗せた観覧車は、一番高いところまで、来ていた。




