44 初デート
日曜日。午後4時過ぎ。ユーキの家の前で、朱葵はインターフォンを鳴らした。
「いらっしゃい、朱葵くん」
やけに幼いその声を、朱葵はユーキだと思い込んでいた。
「ユーキさん、お待たせ!!・・・・・・と、あれ?」
目の前にユーキの姿がなくて驚いていると、下から、「おにいちゃん」と呼ぶ声がした。
「あっ、愛ちゃん」
「おにいちゃん、みきちゃんとアイの区別もつかないの? ダメよ、そんなのじゃ」
愛はそんな風に朱葵を叱り、慌てるその姿を見て、うふふ、と両手を頬に当てて笑った。
「みきちゃん!! おにいちゃんが来たよ」
「はーい」
奥のほうから、ユーキが返事をする。
愛は朱葵を手招きして、朱葵がしゃがむと、ひっそりと耳打ちをした。
「おにいちゃん、みきちゃんのことが好きだったのね。いい? みきちゃんを泣かせたら、アイが許さないからね。おにいちゃん、みきちゃんを幸せにしてね。約束だよ」
と言って、愛は左手の小指を突き出す。
「うん、約束する」
朱葵は愛と指きりをした。絶対に約束は守る、と、自分の心の中にも、誓いを立てて。
そこへ、ユーキが小走りでやって来た。
「お待たせ。愛ちゃん、お迎えありがとう」
「うん。じゃあアイはお部屋に行くね」
そう言って、愛は戻っていった。
「愛ちゃんはお留守番?」
「一緒に行こうって言ったんだけど、『邪魔したくないからいい』って。本当に、どこでそんなこと覚えてくるのか。『アイはお友達と遊んでるから』って」
気づくと玄関には、小さい女の子の靴が3足、綺麗に並んでいた。
きっと脱ぎ散らかされた靴を、ユーキが揃えてあげたのだろう。朱葵はそんなことを思って、ふっと笑った。
「ところで、朱葵くん。ずいぶん遅刻なんじゃないの?」
ユーキの口調がすっと変わる。
「えっ」
朱葵は焦った。確かに「明日の午後」とは言ったが、それにしてはあまりに遅すぎる時間だった。本当なら12時には終わる予定だった撮影が、大物俳優の堂々たる遅刻によって、大幅にずれてしまったのだ。
「午後には変わりないけど、いくらなんでもこの時間はないんじゃない?」
ユーキは職業柄、どんなときでも早めに行動する。今日は「午後」という朱葵のアバウトな言い方によって、午前が呼び名を「午後」に変えるときには、すでに支度を済ませていたのだ。
そのために、仕事明け、一睡もしていない。12時を過ぎて、何度も時計を見やっては、とうとう期待は睡魔に潰されてしまった。
そして朱葵が家まで来たとき、コートを着るだけだったはずのユーキは、すっかり部屋着になってソファでうたた寝をしていたのだった。
「ごめんなさい」
どうやらユーキが本気で怒っていると気づいた朱葵は、精一杯謝った。
その様子を見て、ユーキがぷっと吹き出した。
「嘘よ、嘘。今日は待ち合わせしてたわけじゃないし」
そう言ってユーキが笑って、朱葵は安心を取り戻した。
「ユーキさん、演技上手すぎ。本気で怒ってるかと思った」
「女優にだってなれるって?」
「うん。きっとユーキさんなら大女優になるよ」
「あはは。ありがと」
2人は笑い合った。
お互いが、冗談で言っているのだと、思っていた。
だけど、2人とも、本気だった。
――あたしが女優だったら。
――彼女が女優だったら。
――もっと、一緒にいれたのに。
2人、同じことを、思っていた。
* * *
マンション前には車が停まっていて、それに朱葵は乗ってきたのだと言った。
「俺、仕事に行くときは電車なんだけど、結構ばれるんだよね。さすがに今日はばれたらマズイしさ。それに、邪魔されたくないから」
免許は高校卒業と同時に取って、普段はあまり乗る機会がないけれど、初めてお金を貯めて買った自分へのご褒美なんだとも話した。
2人乗りのコンパクトなスポーツカーは、いつもより距離を縮めてくれる、2人にとっては十分な広さだった。
「ちゃんと運転できるの?」
「大丈夫。ここまで来れたし」
不安げなユーキとは対照的に、朱葵はなぜか自信満々といった様子で、とりあえず車はマンションを無事に出発した。
「ねぇ、どこに行くか決めてるの?」
「どこに行きたい?」
「決まってないの?」
「決まってるよ。ユーキさんの行きたいところなら、どこでも」
「・・・・・・じゃあ、2人きりの時間を、ゆっくりと過ごせるところ」
「了解」
そして車は人ごみを避けて、高速道路へと上っていく。