42 「どうしたい?」
「どういうこと?」
抽象的な話は、朱葵を混乱させた。
「あなたはあたしが偽って見せてる真っ白な部分しか見ていないのよ。だから、好きだなんて言えるの」
「違う」
「違わない」
「・・・・・・何で?」
朱葵のあまりの切なげな声に、ユーキは言葉を詰まらせる。
「何でそんな風に否定するの? ユーキさん、俺にどうしてほしいの?」
「・・・・・・」
カップを両手に持ったまま、ユーキは俯く。
「俺は、どうしようもないくらいあなたが好きで、どうすればいいかなんて分からない。だけど、この気持ちは確かに本物だって、それくらいは分かるよ」
ユーキはカップをテーブルに置くと、向かいに座る朱葵に、言った。
「あたしも、分からないの。どうすればいいか。でも、どうしなきゃいけないかは、分かってる。あたしは、朱葵くんの気持ちに応えてはいけないの。朱葵くんを、自分だけのものにしようとしちゃダメ。それだけは分かってる」
朱葵はそれに反抗する。
「ユーキさんて、いつもそう。人のことばっかり優先してる。じゃあ、ユーキさんの気持ちは?」
「あたしの気持ち?」
「どうしなきゃいけないとか、どうするべきかじゃなくて。ユーキさんは、どうしたいの?」
「あたしは・・・・・・」
――どうしたいかなんて、決まってる。
答えはひとつだった。
それを言うのを躊躇っているのは、言ってしまったらとうとう自分の心でさえも制御できなくなってしまうのだろうと、考えていたからだった。
「ユーキさん。俺は、ユーキさんに、知ってもらいたかった」
俺はどうしたいんだろうって自分に問いかけたときにそう思った、と朱葵は言った。
「世界なんて関係ないって、それを証明してみせるって、言ったよね。あれは、俺なりの覚悟だったんだ」
ユーキは、樹の言葉を思い出す。
――知ってほしかったんじゃないのか? キャバ嬢と付き合ってるなんて、あいつにはマイナスにしかならないだろうけど、それでもユーキのことが好きだっていう、あいつなりの覚悟みたいなものをさ。
それが本当なのか、ユーキは確かめたくて、朱葵に会いにきたのだ。
朱葵には世界の違いなんてたいしたことではないのか。
朱葵にとって、それほど自分は大切な存在なのか。
もし、本当だったなら・・・・・・。
「ユーキさん。もう一度言うよ。俺とユーキさんの間に、世界の違いなんてない。たとえあったとしても、俺がユーキさんを好きな気持ちは変わらないから。ユーキさんが真っ白じゃなくても、俺は絶対にユーキさんを離さないから」
ユーキの心に、何本も矢が差し込まれる。
それは痛みなんかじゃない。痛みだったら、こんなにもユーキの心は温かくなっていない。
「前に言ったよね。『ユーキさんの心の中にはもうひとり住んでる』って。それって、ユーキさんの真っ白じゃない部分を見つけたってことでしょ。それでも俺はユーキさんを好きになったんだ。これからどんなユーキさんを見ても変わらないよ」
ユーキは静かに立ち上がると、向かいに座る朱葵の横に立った。朱葵も立ち上がると、ユーキはその両手を取った。
――この手を掴んでも、いいのかな。
なぜだか、そこに不安はなかった。
たとえ何があってもユーキを好きでいると、目をまっすぐに見て言ってくれた朱葵を、ユーキは信じたかった。
信じて、その手を取って、一緒に歩いていきたいと、思った。
ユーキは初めて、不安な未来よりも、幸せな未来を予感した。
「ねぇ、朱葵くん。あたしたちは、どんな関係?」
「え?」
「もし、他の誰かにそう聞かれたら、朱葵くんは何て答える?」
そう、何度も思ったことがあった。
自分だったら「ただの知り合い」だと答えることでも、朱葵だったら、違った答えを返すんじゃないかと。
朱葵は考えることもせず、言った。
「『他にはない、特別な関係です』って。きっと、そう言う」
2人は、じっと、見つめあった。
握り合った手は、お互いの世界を今、この瞬間だけは、永遠のものにしてくれているかのようだった。
「ユーキさんは、どうしたい?」
答えはひとつだった。
それ以外、なにもなかった。
「朱葵くん、あたしは・・・・・・」
心を縛っていた線は、いつの間にか形を失くして、ユーキの中から消えていた。