38 幸せを求めて
今回いつもより多くなってます。
ユーキが飛び出して、フロアは一時騒然となった。
オーナーが急いで席に駆け寄ると、樹は周囲の視線に気づいた。
「ユーキ、今日はこのまま上がりってことでいいかな」
「あの、ユーキはどこへ?」
オーナーは恐る恐る聞く。
「ん? あぁ。一度は捨てたものなんだけど、やっぱり取り戻したいっていうからさ。俺が行っていいって言ったんだ。いけなかったかな」
「いっ、いいえ!! とんでもない。てっきりユーキが樹さんを置いてどこかに行ってしまったのかと思いまして」
オーナーはそう言うと席を離れ、樹も「フルムーン」をあとにした。
――ユーキ。お前も幸せになる権利はあるんだ。いつだって人のことばかり考えて、自分を後回しにして。そんなやつこそ、誰よりも幸せになるべきなんだ。
樹はベンツに乗り込むと、2人の想いに後押しされたように、自分も“愛する女”のもとへ、車を走らせた。
一方で、樹が帰ってからも、「フルムーン」はすぐに賑やかさを取り戻したわけではなく、恋人のもとから走り去ったナンバーワンキャバ嬢の行動に、周囲は驚きを隠せないままだった。
「ねえ、ユーキさんたち、何かあったのかな」
早い時間からお客の多かったその日、深夜になると客足もそこそこ減って、何人かのキャバ嬢たちは控え室に下がり、話していた。
「もしかして、ヤマト様のことを樹さんが知って、ユーキさんを問い詰めたんじゃないの?!」
「でもユーキさん目当ての熱心なお客様なんて、いっぱいいるじゃない」
「だってヤマト様ってホストでしょ。それならなおさら許せないとか」
そこへ、有紗も話に入ってくる。
「え? ヤマト様ってやっぱりホストなの?」
すると、新人キャバ嬢が言った。
「あたしおととい席が隣だったんですけどぉ、ユーキさんが『仕事はどう?』とか、『ホストには慣れた?』とか言ってるの聞きましたもん」
「そうなんだ」
有紗は否に納得した。
すると、話を聞いていたまゆが、言った。
「それって、ヤマト様が新人ホストで、ユーキさんは樹さんから面倒を頼まれてたとかなんじゃないの。それでヤマト様が何か問題を起こしたって樹さんから聞いて、ユーキさんはつい走り出した、みたいな」
「そっかぁ〜。それだと辻褄が合いますよね」
他のキャバ嬢もみんなそれに感心すると、ちょうどオーナーが入ってきたことで、話が途切れた。
――なんだ、三角関係じゃなかったのか。
有紗は期待していただけに、軽く舌打ちを漏らした。
それが、憧れのユーキへの侮辱の行為だとは、気づかずに。
* * *
前日の夜、ついに朱葵の主演するドラマ「ナンバーワン」が第1話の放送を迎え、翌日の今日、視聴率が発表された。
その夜もまた撮影は11時まで行われ、終わったあとに、プロデューサーからそれは突然告げられた。
「みなさん!! 昨日の第1話、なんと視聴率25%を記録しました!!」
スタッフから大歓声が上がり、そこにいた出演者たちも、顔を見合わせて喜んだ。
「今クールの中でトップじゃない?!」
「ドラマの視聴率不調の中で、久々のヒットだ」
「さっそく視聴者からネットに書き込みが寄せられてるぞ」
初主演の緊張を持っていた朱葵は、とりあえずほっとした。こうなると次の第2話が肝心になってくるが、朱葵は、不思議と不安にはならなかった。
――ユーキさんのおかげかもしれない。
ユーキが樹を紹介してくれたからだ、と、朱葵は自分に言い聞かせる。
ユーキを好きだと気づいてから、朱葵は、すべてのことがユーキのおかげだ、と思うようになった。
ドラマでの演技を監督に褒められるのも、不得意なバラエティの収録が上手くいくのも、苦手だった女性のファンに優しく挨拶を返せるのも・・・・・・全部、ユーキを想って過ごす毎日が楽しいからだ、と、実感していた。
「よお、朱葵。好発進だな」
そこへ、桐野が朱葵に声を掛ける。
「これからが勝負って感じだけどね」
「それにしても、お前のホストっぷりはスタッフの中でも評判いいんだぜ。どこで身につけてきたんだよ」
「それは、協力してくれた人がいたから」
朱葵が柔らかく笑みをこぼしたのを見て、桐野はピンときた。
「もしかして、例の彼女?」
「あ・・・・・・うん」
「どうやって知り合ったんだよ」
「え〜っと・・・・・・」
「おい、朱葵!!」
2人の話を裂いて、東堂が言った。
「今後の打ち合わせがあるって言ったろ。監督も他のキャストも待ってるぞ」
「あっ、そうだった。ごめんカズさん、また今度」
「あぁ」
朱葵は怒りを露にする東堂に連れられて、別室へと走った。
「さて、俺は帰るかな」
一息ついて、桐野もスタジオを出た。
いつもなら社員通用口から出て行くのだが、この日は珍しく電車で通勤した桐野は、駐車場に向かう必要もなく、一般出口からテレビ局を出た。
ここからタレントが出てくることはまずない。みんな、通用口から地下駐車場に降り、そのまま車で局を出るからだ。
桐野が玄関を出ようとしたそのとき、先の自動ドアの前に立っている警備員が、何やらもめている。そんな背中が見えた。
「なんだ?」
自動ドアに近づいていくと、警備員と、その後ろにもう1人、誰かがいるのが見える。
長くて艶のある髪に、膝丈の白いワンピースを着ている。
あれは女性だ、と、桐野は確信する。
とうとう2人の真後ろまでの距離に来ると、ウィーンと、自動ドアの開く音がして、警備員が振り返り、女性も視線をやった。
2人と目を合わせた桐野は、女性を見てギョッとした。
この真冬に、しかも、一番の冷え込みだという日に、女性はワンピースの上に何も羽織っていなかったのだ。
それと同時に驚いたのは、女性の、華やかに彩られた美しさだった。
「あ、お疲れさまです」
警備員はスタッフ証を首から下げた桐野に挨拶をすると、再び女性に目をやる。
――彼女は一体何をしているんだろう。
そんなことを思いながら、桐野はそこを通り過ぎる。
と、そのとき、女性の声が聞こえた。
「だから、知り合いがいるんです。ドラマの撮影でここにいるんです。お願いだから入れてください。スタジオの場所は分かりますから」
桐野は振り返って足を止める。
「そうは言ってもねぇ。一般の方の出入りは禁止なんですよ。タレントさんじゃないんでしょう?」
初め、警備員は女性がここを入ろうとしたときに、その美しさから、芸能人かと思った。だが、その服装も手ぶらなのも少し疑問を感じ、引き止めたところ、芸能人ではない、ということが分かったのだった。
「本当に知り合いがいるんです。青山朱葵くんって、まだここにいるでしょう?」
そう、それは、ユーキだった。
朱葵は昨日「フルムーン」に来たときに、言っていたのだ。ドラマが終わったあとホストメイクをしてテレビ局からそのままここに来ていると。そして、明日はきっと夜遅くまで撮影がかかるだろうと。
だからユーキは、「フルムーン」を飛び出すと、ピカピカ通りからタクシーでここまで一目散にやってきたのだった。
「そういうファンの子は多いんだよ」
警備員はふうっと溜め息をつく。
「ファンなんかじゃありません」
ユーキはきっぱりと言う。
「あの・・・・・・」
桐野が声を掛けると、2人は同時に振り返った。
「もしかして、朱葵の想い人?」
「え?」
ユーキは訳も分からず、さっきまでの威勢を失い、言葉を詰まらせる。
その姿を見て、桐野は不思議と確信した。
――この人が朱葵の・・・・・・。
そう思ってみると、なぜだか、朱葵と目の前に立っている女性が、とても似合っている2人だと感じた。
「朱葵なら、もうすぐ仕事終わると思う」
「え?」
すると、桐野は後ろを振り向き、ユーキがドラマを見学しに来たときに待ち合わせた、あの噴水を指差した。
「あそこに座って待ってて。今、朱葵を連れてくるから」
そう言うと、桐野は自動ドアの向こうへ走った。
「あの・・・・・・!!」
ユーキは桐野を呼び止める。
そして、振り向いた桐野に、「ありがとう」と、笑顔を向けた。