36 運命
今回、朱葵が頑張ってます!!そんな朱葵を応援して頂けたら嬉しいです。
ユーキのお客に、音大の講師をしているという人物がいた。
そのためユーキは、音楽についてあらゆる方面から勉強し、知識を蓄えた。音楽学校はもちろん、コンクールや演奏会をいくつも回って、ときには自分自身も楽器に触れてみたりもした。
その中で、ユーキが一番興味を持ったのは、音楽家についてだった。偉大な音楽家たちは、その名声とひきかえに、失ったものもまた、多く。
ユーキは、その境遇を自分に当てはめていたのだ。
特にベートーベン。ユーキが最も「自分」を照らし合わせた人物。
ベートーべンは、ある曲の始まりであり、中心である部分の音を、こう表現したという。
「運命が私の部屋のドアをノックした」
このとき、ユーキの心の中にも、まったく同じ音が、響いていた。
* * *
沈黙は、長かっただろうか。
目を見合わせたまま、お互い、何も言わなかった。
まったく同じおみくじを引くなんて、まさか、そんなことあるわけない、と、笑い合うこともできたはずだ。
だけどそのときは、2人とも、信じてやまなかった。
お互いが、お互いの、「運命」である、と。
沈黙が裂かれたのは、隣で接客をしているキャバ嬢が、フロア中に響き渡るくらいの大きな声で笑い出したからだった。
「あはは、やだぁ。おかし〜」
相手はそれほど高い地位にいる人物なのだろうか、大袈裟ともいえる身振り手振りで、お客の気を良くさせようとしているのが、横目でも分かる。
――このまま永遠に時が止まってしまえばいいのに。
そんな感情を共有していた2人は、突然の空間の崩壊に驚くあまり、またしばらく黙ったままだった。
「・・・・・・あ、そうだ」
ようやく、ユーキが思い出したように言う。
「これ、昨日借りたシャツ。ありがとう」
と、紙袋に入ったそれを手渡した。
そのあとは、2人とも言葉に詰まって、言葉を探して、だけど見つからなくて。
とうとう朱葵が、言葉を発する。
「ユーキさん」
俯きかけたユーキがぱっと顔を上げて、朱葵は、“伝えたかったこと”を、口にした。
「俺、ユーキさんのことが好きだよ」
――ユーキさんもきっと・・・・・・。
そんな妙な確信を、胸に抱いて。
* * *
玄関のドアを開けると、カーテンを開け放したベランダの広い窓から、薄い陽の光が差し込んでいた。
「すっかり朝かぁ」
ユーキは、いつもより少しだけ遅く帰宅した。
「おかえり。みきちゃん」
「ただいま。ごめんね、遅くなっちゃった」
愛はすでに学校へ行く支度を済ませていて、ユーキと入れ違いに登校していった。
ユーキはシャワーを浴びて朝食を軽く作ると、ソファにもたれ込んだ。ドサッと音を立てて深く沈んだ腰は、その夜の疲れを表しているようだった。
「どうしよう」
そう呟いて考え込むのは、これで何度目だろうか。
考えても結局何もまとまらないのは、きっと心が揺れ動いているせいだ、とユーキは思う。
波打っている。心の中にある、2つの気持ちが。
さっきから、それらがぶつかり合っている。
ユーキさんのことが好きだよ、と言った朱葵に、ユーキは返す言葉がなかった。
嘘をつくことなんて、考えられなかった。
――2人は同じ運命で結ばれている。
その想いが、もうユーキに嘘をつかせない。
「お願いだから、そんなこと言わないで」
心が朱葵に引っ張られていくのを、ユーキは繋ぎとめようとする。
「なんで?!」
「朱葵くん。あたしたちは世界が違うの」
「世界?」
こんなことを言ってもしょうがないのに、と思いながらも、ユーキは止められなかった。
世界の違いさえなければ・・・・・・。
何度もそう思った。
思っては、諦めて。また思っては、打ち消して。
けれど、今となってはもう消すことができなくなるほどの大きな気持ちが、ユーキの中に溢れていた。
「朱葵くんのいる芸能界と、あたしのいる夜の世界は、あまりに違いすぎる。それが、きっと2人を引き離すわ」
「そんなの、分からない」
「あたしには分かる。朱葵くんの世界は、自分の気持ちだけを大切にしていればいいんじゃない。ファンの人とか、事務所の人とか、朱葵くんの周りの人みんなのことを考えなければいけないの」
「分からないよ。ユーキさんの言ってることが」
「そのうち分かるわ」
ユーキがこんな風に言うのは、朱葵のためではなく、自分のためだった。
朱葵への愛を受け入れたことで、ユーキは朱葵を忘れることも、できなくなってしまった。
それならせめて、できるだけ早いうちに、この恋に終わりを告げなければ――。
そう思っていた。
「世界の違いなんて、どこにもないよ。俺とユーキさんの間に、そんなもの、ない」
朱葵は、言った。
「それを、俺がユーキさんに証明してみせるよ」
2度目の告白です!!
これで最後になるんでしょうか?!
それにしても朱葵・・・・・・普段はクールなんですけどね。必死です。
ついでに言うと、ベートーベンのある曲とは「運命」で、始まりの音とは「ダダダダーン」の部分です。