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1 ユーキという女

注意:本文中に出てくる団体名、その他の名称は、作者のイメージで作られています。実在のものとは違います。実在する場所を参考にはしていますが、あくまで作者によって作られたものです。


 人生の道を踏み外したなんて、一度も思ったことはない。


 この世界で生きていること、後悔なんてしていない。


 だけど、なぜ心はこんなにも空しいのだろう。



 *  *  *



 六本木に、高級キャバクラが立ち並ぶ通りがある。

 通称「ピカピカ通り」。ある大物芸人がテレビでこの通りをそう呼んだことから、それが定着した。その人によれば、クラブのネオンがどこの街よりもピカピカと光っているからだという。

 




「ねぇ、ユーキさん、今日何時に来るかなぁ」


 ピカピカ通りの中でも1,2を争う人気のキャバクラ「フルムーン」の化粧室で、入店6ヶ月の有紗ありさとまゆが話している。

「えぇ? いつもと同じくらいじゃない? 9時とか」

 まゆは有紗の問いに、当然のように答える。

「8時ごろ指名客が来るんだけど、そいつすっごいカラダ触ってくんの。ユーキさんに相談したかったんだけどなぁ」

 有紗はふぅっ、と大きく溜め息をついた。

 それに、まゆがグロスを塗りながら言う。

「しょーがないんじゃない? お触り禁止っていっても多少は我慢しないとね。せっかく指名してくれてんだからさ」

 まゆは上唇と下唇を「んっ」と合わせて、「ぱっ」と離した。

「それに、そんなんでいつもユーキさん頼ってちゃダメだよ。できることは自分で解決しないとね」

 そう言って、まゆはぷっくりした唇をうっとりと鏡に映したあと、満足してフロアに戻っていった。

「まゆのお客にはそんなヤツいないから言えんのよ」

 有紗はそう呟くと、もうひとつ溜め息をついた。


 ――でも、そうか。ユーキさんばっかり頼っていられないよね。


 そう思い直して、入店してすぐにユーキにもらったシャンパンピンクの口紅を丁寧にひく。「絶対似合うと思ったから、買っちゃったの」と言われて渡されたそれは、有紗のブラウンの瞳にもよく合っていた。



 *  *  *


 

 午後8時半を過ぎたころに、有紗の指名客がやって来た。この客は、1か月前に会社の上司に連れられて来たのだが、そのときヘルプについていた有紗を気に入って、それ以来1人で訪れるようになった。今日で、3回目になる。

「いらっしゃいませ。松岡様」

 有紗は営業スマイルで隣に座る。さっきの不安はとりあえず忘れて、有紗は接客に集中した。

「ねぇ、有紗ちゃん。今度、外で会わない?」

「えっ」

「2人でどこか出かけようよ」

 有紗は、その松岡の言葉を、同伴(外で食事や買い物をしたあとに2人で店に来ること)の誘いだと思い、喜んだ。同伴は、月末の給料日に大きく関わってくる。指名数と同伴数が優秀だった人には、店から“ごほうび”が貰えるのだ。

「ほんとですか? 嬉しい」

「喜んでくれる?」

「もちろん!」

 すると、松岡は有紗の耳元で囁くように言った。

「有紗ちゃんも、僕のこと気になってたの? じゃあさっそく今日にでも、行っちゃおうか」

 有紗は、耳がぞくっとしたのを感じた。その一瞬で、小さな震えが全身を駆け巡る。

「ね、有紗ちゃん。そうしようよ」

 と言って松岡が有紗の手を握り、もう片方の手が膝を撫でた。

 そのとき、有紗は悟った。松岡の「どこか出かけよう」とは、「プライベートで」という意味だったのだと。そして、それを喜んでしまったから、有紗も自分と会いたいと思ってくれているのだと。

 気づいたときはすでに遅く、松岡は有紗に顔を寄せてきた。

「松岡様、あたし、あの、そういう意味じゃなくて」

 有紗は両手で松岡の胸を押し込めようとしたが、それでも松岡は引かなかった。


 ――やばい。


 そう思った瞬間、有紗はドンッと、渾身の力を込めて押していた。

 ドタッ、という音で店内が静まり返って、有紗ははっとなった。

「いてててて」

 松岡が、ソファから転がり落ちていたのだ。

「なにすんだよ!!」

 松岡は尻餅をついたまま、有紗に向かって叫んだ。

「大丈夫ですか?! 松岡様!!」

 すぐにオーナーが駆けつけてきて、松岡に手を貸しながら謝っている。

 松岡はゆっくり立ち上がると、今まで有紗に見せたことのない顔でオーナーに文句を言った。

「なんなんだ、この店!! 客を突き飛ばすなんて」

 有紗はそんな松岡を見上げ、どうしようもなく震えていた。だが、謝りたくない、と思った。


 ――あたしが悪いんじゃない。絶対、謝らない。


「有紗ちゃん、松岡様に謝りなさい」

 オーナーがそう言っても、有紗は謝らなかった。そんな有紗に、松岡はさらに激昂した。

 

 


 

 店中の注目が、松岡に注がれていた。

 そんなとき、店に入ってくる1人の女がいた。

 キィ、と扉を開けると、いつもサイドに並んでいるボーイたちがいない。

 フロアに近づいても、ガヤガヤと賑やかな声がしない。

  

 ――なに、この雰囲気。


 女は不思議に思った。

 そしてフロアに入ると、みんなの目が一点に集中しているのに気づいた。

 その視線の先には、肩を吊り上げながら罵声を上げている客と、その横にオーナー、ソファに有紗が座っていた。


 ――有紗ちゃん? あれは確か、有紗ちゃんの指名客の松岡様。


 そう思い、近づいていった。

 女が通り過ぎると、みんなの視線はその女へと移っていった。口々に、何か言っている。

 女は松岡とオーナーと有紗の前まで来ると、自分に気づいていないその3人に向かって、言った。

「なにかあったの?」

 有紗は声のするほうを向いた。松岡とオーナーも、ほぼ同時に。

「ユーキさん」

 

 

 有紗の前に立っていたのは、「フルムーン」でナンバーワンの、ユーキだった。



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