17 反比例な想い
打ち合わせになんとか間に合った朱葵は、そのあと午後6時から、ラジオにゲスト出演する。
テレビ局からラジオ局までは、徒歩で行ける距離にある。
朱葵は、マネージャーの東堂と2人でラジオ局を目指した。
「そういえば、朱葵、おまえどこに行ってたんだ。恵比寿なんて、滅多に行かないだろ」
朱葵のマンションは表参道にある。
そこから恵比寿は電車で10分ほどの距離だが、だからといって、朱葵があえて立ち止まるようなところではない。
東堂は、朱葵の口から女性の存在を聞き出そうとした。
「あぁ、今回のドラマの役作りに協力してもらってる人の家にいたから」
と言って、それ以上を、朱葵は口に出そうとしなかった。
ちなみに、朱葵が役作りのためにホストクラブで働いたことを、東堂は知らない。
ユーキの存在も、もちろん。
ただ、プロデューサーに連れられてキャバクラに行ったことは、知っている。
なぜなら、乗り気じゃなかった朱葵を、「役作りのために行ってこいよ」と勧めたのは、この東堂だったのだ。
東堂雄一は28歳。この業界に入ってからは2年。それまでは広告代理店の若きエースだったのだが、なんともピラミッド型の社会に嫌気が差して、辞めた。
マネージャーとしては新人だが、敏腕だ、という評判はどこからともなく聞こえてくる。
朱葵のマネージャーになったのは、半年前。この半年で知名度と仕事がうなぎ登りで増えているのは、この東堂のおかげでもある。
朱葵も、東堂を信用している。
だけど、ユーキの存在だけは、どうしても言えなかった。
たとえ今は親しい関係でなくても、これから、どうなるか分からない。
自分にとって、ユーキは他の女性とは違う。
もしかしたら自分は、ユーキを愛してしまうかもしれない。
そして、仮にユーキも自分を愛してくれたとしたら。
朱葵は、東堂を信じているからこそ、分かるのだ。
きっと、2人の関係を知ってしまったら、あらゆる手を使って引き離そうとするだろう、と。
だから、ユーキの存在を証明すること――キャバクラで交わした一言。ホストクラブで働いたこと。風邪を介抱してもらったこと――を、言うことができなかったのだ。
――まだユーキさんとは何も始まってないのに。
知り合ったばかりのユーキと付き合ったときのことまで考えてしまっている自分を、朱葵は笑った。
一方、東堂は自分なりに役作りをしているという朱葵に、何の疑問も持たなかった。
それどころか、「しっかり役を掴んで来いよ」とまで、言ってしまっていた。
まさか、自分の朱葵への期待が、2人の出会ったきっかけになっていたのだとは、知る由もなく。
* * *
ユーキは、午後8時に「フルムーン」に出勤した。
「ユーキさん、おはようございます」
「おはよう、有紗ちゃん」
フロアは今日も上々の客入りだった。
「ユーキさんがいないと『フルムーン』はなんだか物足りないです」
と、有紗が寂しげに言う。
「そんなことないわよ」
ユーキは笑って返す。
「最近お休みしてますね。ユーキさん、珍しくないですか?」
「うん。ちょっと、人助けしてたから」
「人助け?」
「でももう終わったから。これからはまたガンガンお仕事するからね!!」
そう言うと、ユーキは早速やって来た常連客を迎えに行った。
「よかった。いつものユーキさんだ」
またいつも通り、ユーキは毎日働き、オーナーに「休め」と言われて仕方なく休む、なんて日々を送るのだろう。
有紗も、ユーキでさえ、そう思っていた。
――もう会うこともないんだから。
朱葵が帰って、部屋中に残していった名残が消えるまでの間、ユーキは、そう言い聞かせていた。
名残がすべて消えてしまったとき、境界線を引いたユーキの心に、朱葵は、いなかった。




