157 幸せの行き先1
3部構成です。長いですが、一気に読んでほしいと思います。ラストです。
「ユーキさんに、会いたかった。2年間、仕事だけを見て、打ち込んできたけど、ユーキさんを忘れることができなかった。俺はずっと、ユーキさんに、会いたかったよ」
そう話す朱葵の影は、時に、ゆらりと動いた。夜になって一層強くなった波風が、2人に体当たりでぶつかってくるのだ。
それでも、場所を変えようとどちらも口にしなかったのは、そんな暇さえないほど、お互いが、お互いのことしか考えていたかったからなのだろう。
2年の時を経て、今、感情が溢れ出し、流れ始める。
「会って、伝えたいことがあった。本当は京都に行く前に言おうと思ってたんだけど、できなくて、だから京都から帰ったときに言おうと思ってた。結局それも、できなかったけど」
伝えたかった想いは、2年前、京都から戻ったときに、消えてしまった。ユーキは、朱葵を待っていなかった。
「あのとき俺は、ユーキさんに『俺たちのことをマスコミに公表しよう』って、言うつもりだったんだ」
「え?」
ユーキは塩気を含んでバサバサになった髪を、掻き上げるようにして押さえたまま、朱葵を見ていた。はっきり映らない姿の、光る眼差しだけを、捉えて。
「俺、ユーキさんと付き合ってること、世間に公表するなんて、考えたこともなかったんだ。隠れて付き合うことが当然のようにさえ、思ってた」
「・・・・・・あたしが、キャバクラ嬢だったから?」
哀しそうに漏れるユーキの声は、波音に消されるほど、弱く、吐き出される。
だけど朱葵はそれを聞き取って、首を横に振った。
「ううん、違うよ。俺が、俺のほうが、ユーキさんに不釣合いだったんだ。六本木ナンバーワンで、同性の憧れの対象で、夜の世界の誰もが知ってる――。そんなあなたの傍にいるのが俺みたいな男でいいのかって、そう思ってた。ユーキさんには、俺たちの間に世界の差なんてない、なんて言っておいて・・・・・・自分が一番、それを感じてたんだ」
世界の差も、肩書きも。気にしていたのは、朱葵のほうだったのだ。
「映画を撮ることで、成長すると思ってた。・・・・・・自信が欲しかったんだ。ユーキさんの傍にいるのは俺なんだって、誰にでも言い切れる自信が」
だから京都に行く前に、「東京に戻ってきたら俺たちのことを公表しよう。だからそれまで、俺のことを待っててほしい」と。
それができなかったから。
京都から戻ったときに、「俺たちのことを公表しよう。これからも傍にいてほしい。俺のこと、待っててくれて、ありがとう」と、伝えるつもりだった。
「・・・・・・でも今、俺たちは付き合ってるわけじゃないし、こんなこと今さら言ったって、何の意味もないことは、分かってる」
そう。たとえ今ここで「公表しよう」と言っても、その“材料”がない。2人はもう、恋人ではないのだから。
それでも朱葵が伝えたかったのは。
「2年前の俺の気持ちと、臆病だった心を、ユーキさんに知ってほしかった。それと、今の俺のことを」
そう言って朱葵は、ユーキの手を手探りで掴んで、ぎゅっと、握った。
「ユーキさん。俺ね、変わったんだ。たぶん、ほんのちょっと、ううん、そこからひとつまみくらい減らした分の強さかもしれないけど、手に入れたんだ。2年前と変わってないのは、ユーキさんへの想いだけ」
ユーキの握った手を、朱葵は、自分のほうへ引き寄せた。えっ、と微かに漏れた声は、朱葵の胸の中へと消されていった。
「ユーキさん、好きなんだ。俺の傍にいてほしい。俺を孤独から引き抜いてくれたのは、あなただった。だからこれからも、俺をひとりにしないで、傍にいて」
抱き抱えられた背中から伝わる体温と、頬に当たる、熱い胸の鼓動。
直線と名付けられたものは皆、曲がることができないように。
一瞬の余所見も、遠回りもせず。
ユーキの心に、朱葵の想いがまっすぐ、そこを目がけて、放たれた。