156 夕暮れの終わりに
その日の夕暮れはゆっくりと行われた。水平線の向こうに落ちていく夕陽。じっと見ていると、少しも沈んでいないようにさえ思えた。
午後6時過ぎ。浜辺の生温い風が、塩気を含んで肌に当たる。髪の毛はベタベタして、重たい。
「夕陽、落ちちゃったな」
前に見たときはあっという間に落ちてしまったのに。
でもきっとそれは、冬だったからなのだろう。
浜辺には自分しかいないから、大きな声で叫んでも、それはただの独り言に過ぎないし、呟きだといってもいい。聞いているのは自分だけなのだから。そう思って朱葵は、夕陽の落ちたほうに向かって、独り言を呟いた。
「ユーキさん!! ユーキさんも、同じ夕陽を見てる?!」
どこかで、自分が見たものと、同じ夕陽を――。
「そうだったらいいな」
朱葵ははぁ、と息をつく。
すると、背後にジャリ、と、砂の擦れる音。
その直後。
「なに、ひとりで青春してるの?」
と、麻の白いワンピースをなびかせ、ユーキが、言った。
* * *
伝えられなかったことがある。
伝えたい、言葉がある。
ユーキがそこに立っていたことに驚かなかったのは、結姫が必ず連れてきてくれると、信じていたからなのかもしれない。
「ユーキさん」
朱葵がそう声を掛けると、ユーキは一瞬目を丸くさせて、そのあと、くすくすと笑った。
「『ユーキ』なんて、久しぶり。もう何年も、そんな風には呼ばれてないから」
「ああ、そっか。光姫さん、のほうがいいのかな」
「・・・・・・ううん、ユーキのままで。そっちのほうが呼び慣れてるでしょ?」
「実はそう」
2人の間に、2年間の溝は、なかった。前と同じように向き合って、話すことができる。とても自然なことだけれど、別れた2人にとってのそれは、不自然にも思えた。
「・・・・・・何年振り?」
「2年、かな」
こんな風に何か話のきっかけを探していると、余計に。
「ああ、ダメ。何だかお互い手探りなんだもの、会話が」
そのうち耐え切れなくなって、ユーキが言った。
「うん。俺もそう思ってた」
「早く言ってよ」
「だって、何をどう話せばいいか、分からなくて・・・・・・」
朱葵のその言葉に、ユーキも黙る。さっきからの気まずい空気。切り裂こうとしても、一旦割れ目が入って、またすぐに戻ってしまう。
「あたしたち、今きっと、同じこと考えてるわよね」
「うん、多分」
“この気持ちを、どうやって伝えればいい?”
「ねぇ、朱葵くん」
「え?」
ユーキは朱葵を追い越して、波の打つ浜辺へと向かう。
「あたし、このままじゃ何も進まないだろうから言うけど・・・・・・」
ユーキは朱葵に背を向けたまま、言った。
「どうして、ここへ来たの?」
朱葵が、この海に来ていると、分かっているわけではなかった。確信だって持っていない。だけどユーキは、ここ以外に、行くべきところなんて、なかった。それは朱葵にとっても、同じだったのだろうか。
「俺は、ユーキさんがここに来ると思ったから、来た」
「あたしが?」
「結姫さん、絶対にユーキさんを連れて行くからって、俺に、『光姫が逃げることのできないところに行って、待ってて』って、言ったんだ」
ユーキは振り向き、朱葵を映す。
「考えたわけじゃなかったけど、ここしかないって、思った。ここにいれば、ユーキさんに会えるって」
「・・・・・・朱葵くん、あたしに会いに、来たの?」
ユーキがそう言うと、朱葵は、ユーキに一歩近づいた。2人の距離はまだ離れていたけれど、向かい合い、見つめ合った視線は、重なり合うほど近くで、お互いを捉えて。
「2年前、言えなかったことを、どうしても伝えたかった。そう思ったら、こんなところまで、あなたを追いかけて来てた」
夕陽が落ちた海辺の、暗くなった世界で、ぼやけたシルエットだけが、お互いを示していた。
次回で完結・・・・・・できたらいいな・・・・・・