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155 今さらなんてない

「おや、お帰りかい?」

 病室を出たユーキは、結姫の担当医の、初老の男性に声を掛けられた。

「あ、先生」

「今日は随分早いね。愛ちゃんはまだ咲田くんと楽しく話していたけど」

 咲田くん、というのは剣斗のことで、彼もまた、この医師が担当している。どうやら今、剣斗の診察に行った帰りらしい。

「あたし、お姉ちゃんに、追い出されちゃいました」

 ユーキが笑いながら話すと、医師は「えぇ?」と、小さく声を上げた。

「姉妹ケンカでもしたかい? せっかく目を覚ましたばかりなのに」

「いえ。『あたしは大丈夫だから別の行くべきところに行って』って。今まで心配してたのに、もういいって、突き放された感じです」

「そんなもんだ。本人はどれだけ周りが心配したかなんて、知らないんだから」

 ユーキと医師は、互いに笑い合った。

「行くところがあるのかい?」

「え?」

「もしかして、結姫ちゃんのお見舞いに来てくれた男の子のところかねぇ」

「何で、」

 医師は言った。彼も結姫ちゃんに背中を押されてどこかへ行ったよ、と。

「どこか、へ?」

「そう。きっと彼にも、行くべきところがあったんだろう」

 ユーキは病棟の窓を、ふっと覗く。視線の先には、自分がこれから行こうか、迷っているところがある。

「光姫ちゃん、行っておいで」

 と、医師は言った。

「でも・・・・・・」

「2年前の光姫ちゃんの決断には、随分驚かされた。正直、今さらだと思ったんだ。今さら無理だと。だけど光姫ちゃんは、私が無理だと思ってたことを、可能にしたじゃないか。そう、今さらなんて、ないんだよ」

 

 今さらもう遅い、と、何度、思ってきただろうか。

 朱葵に別れを告げて、東京を去って、満たされなかった想いはそのまま、膨らむこともしぼむこともできずに、ユーキの心の中をふわふわと浮いていた。時にそれは心の一番敏感な部分に当たって、切なさを思い出させた。

 その度に、もう遅いのだと、言い聞かせてきたのだ。

 だけど、もし、今からでも遅くないと、言ってもいいのなら――。

 

 ――今からでも、取り戻すことができる・・・・・・?


「先生。もし、どうしても、今さら無理だったら、」

「駄目だったら、帰ってくればいい。またやり直すことはできるんだから。今の光姫ちゃんみたいに、もう一度追えばいいだけだ」

 ユーキはちらっと、剣斗の病室を見やった。

「先生。愛ちゃんを、お願いします。必ず、戻ってきますから」


 

 ユーキは、ユーキの行くべきところへ。



 今から行っても、全然遅くない。



 *  *  *



 朝、見ることができなかった太陽を、今、見ている。

 真っ赤に燃えた太陽、とは、このことを差すのだろう。太陽は、周りを覆い尽くす雲をも巻き込んで、紅に染まっている。もうすぐ海に、落ちていく。

 ここに来るのは3度目だった。だけど夕陽を見るのは初めて。前に来たときは、ユーキと話しているうちに沈んでしまったのだ。そういえばあのときは、ユーキにひどく怒られたものだった。


 ――だけどそのおかげで、夜明けの瞬間を一緒に見ることができたんだよな。


「明日一緒に夜明けの瞬間を見よう!!」と提案した自分。あれは咄嗟の言葉だったけれど、でも、それで良かったと思う。夜、ユーキから打ち明けられたことも、朝、海でしばらくの別れを覚悟したことも、すべて、2人の距離を近づけてくれたから。


「待っててくれる? 俺が、ユーキさんを抱ける自信が持てるまで」


 そんなことも言った。結局自信を持てるようになる前に、2人には別れがきてしまったけれど。

「何か、できなかったことがいっぱいあるな」

 デートだって結局、2回しかしていない。だけどその2回とも、夕陽の落ちる瞬間や、夜が明ける瞬間を、共に見ることができた。

 ユーキを抱くことだってできていない。でも、傍にいるだけで、いつでも幸せを感じることができた。初めて、ひとりじゃないことの喜びを、知った。

「何だ、できなくてもいいことばっかりじゃん」

 思い出せば、どうしてもやりたかったことなんて、なかったかもしれない。


 

 だけど、ただひとつ。


 

 後悔しているとしたら、たった、ひとつだけ――。





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