154 結姫とユーキ
「結姫」と「ユーキ」まぎらわしいかもしれませんが・・・
「お姉ちゃん・・・・・・!!」
「ママ!!」
ユーキと愛が驚きを重ね合わせ、結姫を呼ぶ。
目の前にいるのが妹と娘だと、結姫は分かっていないのか、ぼんやりと天井を見つめ、重たそうに視線を横へ流す。
「愛ちゃん、あたし、先生呼んでくるから」
ユーキはバタバタと病室を出て、結姫の視界からいなくなった。
「うん、意識がはっきりとしている。脈はまだ安定していないけど、もう大丈夫だ」
と、初老の男性医師は、ユーキに笑いかける。
「本当ですか、先生!! 良かった・・・・・・!!」
ユーキは愛と顔を見合わせると、さっきからざわついていた、胸のあたりを撫で下ろす。
「お姉ちゃん、分かる? あたしが、分かる?」
ユーキの問いかけに、結姫は唇をうまく動かすことができず、コクン、と、小さく頷く。
「ママ!! わたしのこと、分かる?」
愛はユーキの後ろから、不安そうに顔を覗かせた。7年前の自分、なんて、まだ赤ちゃんだったのだ。今、小学6年生の愛を、結姫は自分の娘だと、ちゃんと分かるのだろうか。
結姫はまた、ぎこちなく頷いて、そのあとに、「あ」「い」と、唇で形をつくった。
「ママ、愛はずっと、ママのそばにいるからね!!」
7年間の寂しさが溢れ出してしまったのか、愛は、「ママ」と、何度も呼んだ。小学5年生に上がるとき、高学年になったから、と、呼び方を「お母さん」に変えたのだが、愛は今、当時まだ1歳だったころの自分に、戻っていた。
結姫は手を伸ばし、愛の髪に触れる。さらっと、その細い髪を撫で、「大きくなったね」と言うように、微笑んだ。まだ、言葉をつくるのは難しいらしい。
すると結姫は、ユーキのほうにゆっくりと、視線をずらした。ユーキはそれに気づくと、結姫が何と言いたいのか、分かったような気がした。
「愛ちゃん。ちょっとだけお母さん、借りていいかな」
「うん、分かった。じゃあ愛は、剣斗くんのお見舞いに行ってくるね」
またね、と、愛は結姫に手を振って、病室を出た。
「お姉ちゃん。剣斗くんね、ここの病院の患者さんなの。お姉ちゃんのお見舞いに来るようになってから、友達になったのよ」
と、ユーキは言った。
「これでいいのよね? 何か、2人だけで話したいことがあるんでしょ?」
結姫は、ゆっくりと唇を動かし、「み・・・・・・」「き・・・・・・」と、消えそうで擦れた声を発した。ユーキはじっと、それに続く結姫の言葉を待っていた。
「わた・・・・・・し、ご・・・・・・めん・・・・・・ね」
「え?」
――ごめんね?
「お姉ちゃん、何言ってるの。あたしに謝ったりしないで」
「うう・・・・・・ん。わたしは、光姫の・・・・・・光姫の人生を、変えてしまったの」
「どうして、」
どうしてそれを知っているの、と、言ってしまいそうになって、ユーキは、途中で口を噤む。
「お姉ちゃん、あたしは何も変わってないわ。お姉ちゃんに謝られる理由なんて、持ってない」
だけど結姫は、目を閉じて、首を横にフルフルと振った。
「光姫、もう、いいのよ。わたしのせいだ、って、言ってもいいの」
「お姉ちゃん、やめてよ」
結姫は途切れ途切れに、拙く、話す。
「わたしが光姫のすべてを奪ったんだ、って。わたしが憎いんだって、言っても、いい」
「やめて!! あたしはそんなこと思ってない」
ユーキは、はぁ、と息をつくと、言った。
「確かにあたしは、思い描いていた夢も、人生も、すべて変わってしまった。だけどそれは、あたしが、自分で決めたのよ。たとえそれがお姉ちゃんの事故がきっかけだったとしても、そうすることが、あたしの望みだったの。だから、お姉ちゃんのせいなんかじゃない。誰のせいとかじゃ、ないの」
結姫は体に力を込めて、起きようとした。だけど、7年も動かしていない体は、思うように動いてくれなかった。
「光姫が、自分で決めたことでも、わたしは光姫にごめんねって、言うわ。だって、約束したんだもの」
「約束?」
「結姫さん。あなたは光姫さんに、謝らなければいけない。あなたがしてしまったことは、光姫さんのすべてを奪ったんだ。今は、どこにいるか分からないけど、きっとここにも来ると思う。そのときは光姫さんに、「ごめんね」を言ってほしい」
――わたしは光姫の、何を奪ってしまったの?
「光姫さんは、俺と一緒にいても、あなたを忘れたことはなかったよ。俺と同じか、それよりもっと、大切に想ってた。だから彼女は、俺のこと、諦めたんだ。俺には他に大切なものがあるし、自分にも他に大切な人がいるから大丈夫、って。だから、光姫さんがここに来たとき、言ってあげて。『今まで心配かけてごめんね』って」
――うん、分かった。
「よし。約束だからね」
――ねぇ、あなたは、光姫の彼?
「・・・・・・うん。正確には、元、だけど」
「え、それって・・・・・・」
ユーキの頭の中を、“決して有り得ないはずのこと”が、過ぎる。
「まさか、そんな」
そして、花瓶に咲いた花束を見やる。
――これは・・・・・・“彼”が・・・・・・?
結姫はもう一度体に力を込めて、ぐぐっ、と、起き上がった。
「光姫。今まで心配かけて、ごめんね。でも、もう私は大丈夫。だからあなたは、彼のことだけを、想っていいのよ。あなたの行きたいところへ行って、いいの」
結姫は光姫の両手を握り締めると、「今までありがとう」と言って、光姫の背中をトン、と、押した。