151 仔成病院
車で来たのは正解だった。山沿いにある無人の駅から、バスもタクシーも出ていないのだ。いや、正確には、バス停もタクシー乗り場らしきところもあるのだけれど、バスは2時間に1本のペースで運行するだけで、タクシーは病院に向かう途中、2台しか遭遇しなかった。
「本当に、ここにユーキさんがいるのかなぁ」
朱葵は、思わず不安の声を漏らす。
「それに、この住所・・・・・・」
樹のメモ。実は、貰ったときから不思議に思っていた。
県、市、町、番地まで書かれたあとに、
“仔成病院 712病室”
と、書いてあったのだ。
それに朱葵が気づいたとき、樹は曖昧に笑って、「行けば分かる」とだけ、言った。
「ユーキさんが、入院してるってことなのかな」
そんなことを考えながら、朱葵は、車を走らせた。唯一の手がかりが、ユーキを示していることを、信じて。
* * *
仔成病院は、山を背に、海を目の前にして、建っている。敷地の広い丘の上に、真っ白な建物。ここだけ、この町から切り離された空間にあるような感覚。避暑地にある、豪勢で涼しげな別荘を思わせるそこは、町のイメージとは違い、ユーキに、よく似合っている。
「ここなら、ユーキさんがいるかもしれない」
朱葵は車を降りると、助手席から花束を持って、病院へ向かった。
「あの、712号室は?」
病院は外から見たよりもずっと広くて、開放的だった。もうすぐ夏の爽やかで軽い風が、どこからか流れてくる。その風に浚われるままに歩みを進めると、朱葵は、ちょうど7病棟のナースステーションに着いた。
「あら、吉倉さんのお友達かしら?」
と、看護師は驚き、嬉しそうに笑う。
――吉倉?
何となく耳にしたことがあるのを、朱葵は記憶を引っ張り出して、思い出す。
――そう、確か・・・・・・。
朱葵が考えを巡らせているうちに、看護師が、言った。
「珍しいわ。彼女のお見舞いに来るのは樹くんだけだと思ってたから」
「え?」
「さあ案内するわね。ちょうど行くところだったのよ」
看護師はナースステーションを出ると、こっちよ、と、朱葵の先を行った。朱葵はまた風に背中を押されながら、その後ろをついていく。
「樹さんって、よく来るんですか?」
と、朱葵は尋ねる。ユーキとは2年も会っていないと言った樹が、ここに来ているはずがないのだ。
「樹くんのお知り合い? ううん、最近はね、もうずっと来ないのよ。2年くらい経つかしら。それまでは月に1回必ず来てくれていたのに、あるときから、ぱったり来なくなったの。どうしたのかしら」
「2年前? その前からここに?」
看護師は朱葵の問いに気づかなかったのか、病室の端まで来ると、その先「特別病棟」の札が掛かったガラス扉を開け、奥の一室を指差した。
「ああ、ここよ。吉倉結姫さんの病室」
ここは、最も開放的な部屋だった。午後の暖かい風がさわさわとレースのカーテンを揺らし、結姫の肌を撫でる。太陽の光は結姫を照らし、輝いている。
「お花、花瓶に挿してきましょうか」
看護師は朱葵から花束を受け取ると、病室を出て行った。
朱葵は病室の入り口に立って、ベッドに横たわる結姫を見る。
「ユーキさん・・・・・・じゃ、ないんだよな・・・・・・」
もう7年もこうして眠り続けているのだというから、きっと、成長も遅いのだろう。目を閉じていても、その姿はユーキと重なってしまう。
「結姫さん。あなたは、いつまでこうしているんですか・・・・・・?」
朱葵は結姫の手に触れ、声を掛ける。
「あなたが目を覚ましたら、ユーキさんと会えるような気がするんです。だから・・・・・・」
すると朱葵は、ピクッ、と、手を震わせた。
いや、朱葵ではなくて――。
「結姫、さん・・・・・・?」
軽く触れた結姫の指先が、小さく、揺れた。