146 世界の違い
――結婚、していない?
「じゃあ、ユーキさんは今どこにいるんですか?!」
「おい、ダラダラとしゃべらないとは言ったが、話さなきゃいけないことがいくつかある。それともお前は何も知らないまま、ユーキに会いに行くつもりか? それで、何が変わる?」
朱葵は、ぐっ、と口を噤む。
「順序良く話そう」
樹が言うと、朱葵は、俯いたまま小さく頷いた。有紗は「久しぶりだし、フロアで遊んでるから」と、「Owner’s」を出た。これから樹が朱葵に話そうとしているのは、有紗は知らないことであり、知ってはいけないことだ。
「いい子だな。ちゃんと分かってる。ここから先は、彼女は聞くべきじゃない」
きっと話が終わるころに、有紗は絶妙なタイミングで戻ってくるだろう。樹はその後ろ姿を目で追うと、ふっ、と笑い、肺に残っていた微かな煙を吐き出した。
朱葵は、膝元についた手をぎゅっ、と握り、拳をつくる。手の平の内側が、熱を持って、汗を生んでいた。
「ユーキの姉、結姫のことは、知ってるか?」
「あ・・・・・・はい。けど、上手くはぐらかされていたような気がします。肝心なところは何も・・・・・・」
追究しようとしても、「それは今必要じゃない」と、何度かユーキに言われた。それはとても分かりやすい“拒絶”だった。
「そうだろうな。あいつは、お前に知られたくなかったんだと思う。そんな生き方しかできなかった自分を」
「でもそれは、ユーキさんの素顔なんですよね」
「ああそうだ。復讐のためにすべてを捨てて、結局、すべて、失った」
「復讐?」
「稜のことは知らないか?」
知らない。朱葵がそう答えると、樹は、稜と結姫のことを、話した。悲劇はここから始まって、ここで終わったのだと。そして、ユーキが稜を怨んでいたのは誤解で、最後には、理解したのだ、と。
「そんな・・・・・・。じゃあ、ユーキさんがキャバクラで働いていたのは、」
「最初から無駄だった、ってことだな」
「そんな・・・・・・ことって・・・・・・」
朱葵は自分の、まるで、自分のことのように辛さを感じ取って、味わっていた。ユーキの気持ちが分かる、というのではない。ユーキが、ひとりですべてを背負って生き、だけどそれが間違っていたということに、単純に、同情していたのだ。
親も分からない捨てられた子供の自分と同等か、もしくはそれ以上の苦しみを、ユーキは何度、経験してきたのだろう。それを思うと、悲しくて、苦しい。同時に、その辛さを分かってあげられなかった自分が、あまりにも無恥な人間に見えた。
「樹さん。俺は初めから、ユーキさんを求めるべきじゃなかったのかな」
住む世界が違いすぎる、と、朱葵を否定し続けたユーキ。けれど、追い続けた。ユーキが好きだという気持ちだけを持って、追い続けた。
いつしか2人の間には、ユーキの言う「肩書きの差」は、なくなっていた。
そう、思っていたけれど。
「ユーキさんは、違ったのかな。傍にいても、やっぱり俺とは違うって、思ってたかな」
時が経っても、ユーキは自分を想っていてくれているはず。そんな自信はなかったけれど、それに似た、願望という想いは、持っていた。
もしかしたらユーキは、自分を想っていてくれるかもしれない、と。
「樹さん。俺はユーキさんのこと、何も、分かってなかった?」
今になって浮き出てきた“世界の違い”の本当の意味が、心の中で、あらゆる崩れ方で、バラバラに壊れていく。




