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140 大人と自由

「20歳になれば、何かが変わると思っていた」

 秋山はそう言って、ひとつ、大きな溜め息をついた。

「どうしてそう思ったんですか?」

「今の若者とは勝手が違う。あの時代、中学を卒業したら働くのが当然だったんだ。高校に進むのは難しかった。私には夢があったが、5人兄弟の長男だったから、中学を出たら働く、そう、決まっていた。だけど20歳になったら、タバコも酒も解禁、周囲も「大人」として扱うようになった。そして、私は家を出た。『もう大人だ。自由だ』って、諦めていた夢を、もう一度追うことにしたんだ」

 秋山は当時を懐かしく思い出し、目を細めた。



 *  *  *



 20歳になれば、何でも自分の自由になると思っていた。

 

 だけどこうして歳を重ねて振り返ってみれば、自分の自由になったものは何ひとつなかったと、気づく。

 

 生きる道、時間、心までもが、誰かによって決められ。


 あまりに多くの大切なものを失ってしまった、と。






 20歳になって家を出た秋山は、東京に向かっていた。中学を卒業してすぐに働き、親に渡していた給料の僅か一部を、この日のために貯め続け、とうとうそれを持って、飛び出した。

 秋山の夢は、自分の店を持つことだった。何でもいい。何か、自分の象徴となるものを形に残したいと、思っていた。

 だけど、どんなことをしようかさえ決まっていない。そんな漠然とした夢は、あっさりと叶うはずもなく、意気込んで出て来た東京で、お金だけが、確実に無くなっていった。

 そんなとき、とりあえずお金を稼ごうと始めた喫茶店のアルバイト。そこで、秋山は喫茶店の持つ独特の雰囲気と、切り離された空間に流れる有意義な時間の魅力に、自身も嵌っていったのだった。

 いつか自分は喫茶店を開こう。そんな風に夢が具体化されていった頃、秋山は、お客として来ていた桜田園さくらだそのと知り合う。



 桜田園は、毎週日曜日の朝7時に必ずやって来るお客で、コーヒーとサンドイッチ、サラダを盛り合わせたモーニング・セットを注文する。秋山がバイトに入って2週間後くらいから、その光景は習慣となった。朝陽の当たる一番奥の席に座り、窓から差し込んでくる光を眩しそうに受けながら、いつも、何か読んでいる。雑誌なのか小説なのか、それは定かではない。

「これから仕事ですか?」

 コーヒーをテーブルに置きながら秋山が声を掛けたのは、その習慣が、3ヶ月ほど続いたころだった。園は読んでいた冊子からぱっと顔を上げ、驚いた様子で、秋山を見る。

「え?」

「いつも、この時間に来てるから。仕事の前のひととき、なのかなぁって」

 園はまだ驚いた表情をしている。

「それに、いっつも何か読んでますよね」

 すると園は、くるんと巻かれた内巻きの髪に似合う笑顔で、「ええ」と、言った。

「よくお客を見ていらっしゃるんですね」

「常連さんは特別。それにあなたは、とても覚えやすいから」

「え?」

「同じ曜日、同じ時間。同じ席。同じメニュー。席に着いて、本を読んでいるのも。みんな同じだから、つい、目で追ってしまう」

 そして店を出て行くときの「ありがとう」という言葉と、笑顔。みんな、いつも同じ光景。

「やだ。見られていたなんて」

 園は握っていた冊子で、顔を覆った。

「あっ、気を悪くさせてしまったらすいません。ただ、あなたが・・・・・・」

「え?」

「あ、いや。でも、決して変な意味ではなくて、」

 秋山が両手をぶんぶんと振っているのを、園は、冊子で口元を隠しながら、くすくすと笑う。

「私も、嫌だとか思っているのではなくて。見られていたなんて、私、変な顔をしていたらと思うと、恥ずかしくて」

「そんなことないです。それに、カウンターから見えるあなたの横顔が光に照らされてとても綺麗で――」

 そう。その横顔が、眩しくて、近づけなくて。

 

 どうしても、近づきたくて。


 ――ただ、あなたがここに来ることが、いつの間にか俺の時間の中に、刻まれていたんだ。





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